映画『ハドソン川の奇跡』を、DVDで再鑑賞する。
2009年1月15日に起きた、旅客機のハドソン川不時着水という実話をもとにした映画である。
果たして、機長の決断は正しかったのか?という検証から始まる。
タイタニックやスピード、タワーリングインフェルノ……考えてみればこうしたパニック映画を好んで観てきたように思う。
船も飛行機も実際に乗るのが苦手なのは、こうした映画に知らず知らずのうちに影響を受けているからかもしれないと思うほどだ。
映画館で観るのと違い、家で鑑賞することの利点は、何度もリプレイできるということだ。
不時着水する瞬間を何度も何度も繰り返す。
救助に向かったフェリーや船の人々の表情や行動、救急隊のヘリの迅速さを何度も観ては、ああ、いいなあと(不幸なできごとだからこそ)、思う。
ちなみに、ヘリから飛びおりた隊員も、救助にあたったフェリーの乗組員も、俳優ではなく、当時、実際に現場で活動したかたを映画に起用したのだという。
折も折、日本では北海道の先っぽで観光船の沈没という痛ましい事故が起き、乗っていたかたの半分近くが見つかっていない。
たまたまチケットがあったから、この船に乗り換えた人もいたそうだ。
映画でも、滑り込みセーフで、この飛行機に乗ることができた人たちがいた。
ちょっとした偶然が、その人の運命を大きく変える。
水上を行く船に乗っていた人たちには、救助の手がまにあわず、本来空を行く飛行機が、水の上に落ちた(不時着)のにかかわらず、全員が生還した。
なんとも皮肉な結果だと思う。
同じ水温2度でも、海ではなく、川であったこと、飛行機の大きな翼や救命ボートがあったこと、機長の判断が的確であったことなどが功を奏したのだろう。
映画の終わりで、乗員乗客の155人は単なる数字ではなく、そのうしろにはそれぞれに顔があり、またその後ろには彼らの親兄弟、妻、子供たちなどさらに多くの顔があるというくだりには、胸がつまる。
26人にも26の、それ以上の顔があるのだと。
2009年1月15日に起きた、旅客機のハドソン川不時着水という実話をもとにした映画である。
果たして、機長の決断は正しかったのか?という検証から始まる。
タイタニックやスピード、タワーリングインフェルノ……考えてみればこうしたパニック映画を好んで観てきたように思う。
船も飛行機も実際に乗るのが苦手なのは、こうした映画に知らず知らずのうちに影響を受けているからかもしれないと思うほどだ。
映画館で観るのと違い、家で鑑賞することの利点は、何度もリプレイできるということだ。
不時着水する瞬間を何度も何度も繰り返す。
救助に向かったフェリーや船の人々の表情や行動、救急隊のヘリの迅速さを何度も観ては、ああ、いいなあと(不幸なできごとだからこそ)、思う。
ちなみに、ヘリから飛びおりた隊員も、救助にあたったフェリーの乗組員も、俳優ではなく、当時、実際に現場で活動したかたを映画に起用したのだという。
折も折、日本では北海道の先っぽで観光船の沈没という痛ましい事故が起き、乗っていたかたの半分近くが見つかっていない。
たまたまチケットがあったから、この船に乗り換えた人もいたそうだ。
映画でも、滑り込みセーフで、この飛行機に乗ることができた人たちがいた。
ちょっとした偶然が、その人の運命を大きく変える。
水上を行く船に乗っていた人たちには、救助の手がまにあわず、本来空を行く飛行機が、水の上に落ちた(不時着)のにかかわらず、全員が生還した。
なんとも皮肉な結果だと思う。
同じ水温2度でも、海ではなく、川であったこと、飛行機の大きな翼や救命ボートがあったこと、機長の判断が的確であったことなどが功を奏したのだろう。
映画の終わりで、乗員乗客の155人は単なる数字ではなく、そのうしろにはそれぞれに顔があり、またその後ろには彼らの親兄弟、妻、子供たちなどさらに多くの顔があるというくだりには、胸がつまる。
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