11月27日は父の初めての月命日でした
住職の息子さんにお経をあげていただきました
空気を震わせるほどの迫力のあるいい声なんですよ
小さな頃から聞いているお経は耳に心地よく気持ちを落ち着かせてくれます
ひと月前まで父が生きてここにいたのだと思うと不思議な感覚に陥ります
七日七日はあっという間なのに、父がいた日々ははるか昔のようにも感じたりするんですよね
このひと月の間、母ともいろいろな話しをしていますが
本当にたくさんの人の温かくて優しい思いに支えられてきたんだなって思います
父の葬儀の時からそれは感じていました
父の葬儀にお参りに来てくださったくさんの人達
かけていただいた言葉の数々にどれほど励まされた事か
葬儀にかかわっていたスタッフの皆さんの細かな心配りもありがたかったです
葬儀会場の入り口に置かれた父の写真のそばには
父が大好きで、そして最後の食事となったバナナと柿が用意されていました
小鉢に入れられたバナナにはヨーグルトまで添えられていてたんです
そして控室の祭壇には夏の間いっぱい食べてくれたトマトのサラダまで用意してくれて
後でみんなで“供養になるから”って美味しく頂きました
私達の話しをちゃんと聞いてくれて気持ちを汲んでくれていたからこその事ですよね
プロなんだから当たり前って思う人もいるかもしれないけれど
こんな風に小さな思いやりがこの時の私達には涙が出るほど嬉しかったんです
葬儀が終わって姿は変わってしまったけれど大好きな我が家に帰って来た日
たくさんあった花のお世話をする事も気持ちを落ち着かせてくれたなぁ
数日後お参りに来てくれたケアマネージャーさんと父の訪問リハビリを担当してくれた先生達
たくさんのスタッフさんにお世話になったけれど、この3人の人達は特に仲良くしていただきました
もう会えないと思うと淋しくて淋しくて、だからお参りに来ていただいた時は本当に嬉しかったんです
今まで父の事で出会い、お世話になってきた人達とは縁が切れてしまいます
病院へ行けば偶然会える事があるかもしれないけれど
それでも家に来てもらって話したりはできないし、医大の先生に会う事もありません
訪問理容の○○さんとももう楽しいおしゃべりをする事もできません
そんなふうに会えなくなってしまう人達の事を考えて寂しくて何度涙が出た事か
でも考えてみると、それほど思いが残る人達と出会えて
父の介護に協力してもらって支えてもらえたんだから素晴らしい事ですよね
もう会えなくてもかかわりが消えても繋がったご縁を忘れずに大事にしていきたいなって思います
またまた余談ですが
父の写真は11年前に下の姪っ子が小学校に入学した時の家族写真から作ってもらいました
この写真みんなとてもいい表情で
父は生前“自分の葬儀の時はこれを使ってくれ”って言っていたんです
今頃父はこの時みたいにふっくらと元気になって私達を見ているのかなぁ
父が亡くなってから初七日までは弟が毎日のように来てくれました
今も七日ごとに来てくれますが、都合が悪くない限りココアも一緒に来てくれるんです
おてんば娘で感情表現が超ストレートなココア
しろんがいつもいつも心の奥底から癒してくれるとしたら、ココアはお祭りのように元気をくれます
お祭り騒ぎに疲れて少しくたびれたココア
黄色のスヌーピーの洋服が可愛いでしょう
この時のココアはテーブルに乗ったおやつを『待て』しています
“よし”と言われてすごい勢いでおやつに食いつくココア
これを見るといやしん坊の様だけれど、本当に辛抱強く待っているんですよ
お手、おかわり、伏せ、コロン、バーン、ハイタッチができます
ココアを抱っこする母
しろんは絶対に抱っこさせないから、やっぱり嬉しそうな顔をするんですよね~
実はしろんって母の事ライバル視しているところがあるんです
自分のそばにいない時、私が母と一緒に仲良く過ごしている事を察しているみたい
最後にちょっと色っぽいココアを見てください
憂いを秘めた表情といい、手の揃え方、腰から足のラインといい
来年の2月には3歳になるココアの大人の女性の色香を感じさせるショットでしょう
先日母の眼科の受診の為に病院へ行ってきました
あの日父が緊急搬送されてから初めて来たんです
この病院に父は何年お世話になった事でしょう
行く前から少し気持ちが揺れていたんですが
車を駐車場に入れて出ると1番に目に入るのはいつも父を支えて上った階段です
ここの上り下りは父にとっては大変だったと思います
でも1ヶ月に1度の受診日にここの上り下りをするのは父の状態を確認する目安になっていました
支えた時の父のぬくもりやその時の会話を思い出して涙のスイッチがオンになりそうだった
この病院には父の気配があり過ぎて
車椅子に乗る父がどこにいても不思議じゃない感じで、ちょっと辛いなって思いました
時間が経てば、その気配を懐かしく嬉しく思う時がきっと来ると思うんだけれど
この写真は2009年の9月に写したものです
入院している父に会いに行くたびに自主的歩行訓練をしていたんだけれど
この時は待合室の椅子の周りを歩く練習をしました
この後リハビリ重視の系列病院へ移転して、頑張って年末に退院したんだよね
父のいない生活を当たり前と思う自分と、いつも泣きたい自分が混在しています
でもちゃんとコントロールして心のヤジロベエは安定しているので『自分』大丈夫そうですよ
余談ですが父と私丸い鼻がそっくりでしょう
しろんが眠っている姿を見て何となく“あれっ”って思った
あれって思った理由は何だろうって近付いて見てみると
お耳がくっつき過ぎて、ひとつの大きな耳に見えていたんだね~
初雪が降った日から毎日小さな雪や大きな雪が絶え間なく降ってる感じです
これってもしかして根雪になっちゃうのかなぁ
旭川市、今日とうとう初雪が降りました
スーパーに買い物に行って戻ってきた時、車はすっかり雪化粧状態
フロントガラスもドアミラーも水分たっぷりの雪が張り付いていました
ズンズン降り続ける雪に庭もうっすら積雪状態になりました
旭川の初雪は1888年に観測を始めて以来記録的な遅さで
平年より26日遅く昨年より46日も遅かったんです
雪虫の姿も見かける事も少なくて我が家の庭で初めて見たのは10/26でした
雪虫を見かけたら2週間以内に初雪が降るって言われてるんですよね
全く紅葉が進まなかったどうだんつつじがやっと黄葉し始めたのは11/11
きれいに紅葉出来ないまま散ってしまいました
秋の日だまりで気持ち良さそうに日向ぼっこしていたダイちゃんママ(10/25)
こんな姿も当分見られないんだね
ずっと雪だるまマークが並んでいるけれど、降っては融けてを繰り返して
本格的に根雪になるのはもう少し先だといいなぁ
しろんと過ごせる時間も少しづつ増えてきました
父が亡くなって2週間が過ぎた頃から、時々ゲージの中に柔らかめの●があったり
少々ペレットを残してみたり
“そろそろ甘えてもいい僕の方を見て”ってしろんからのサインかなって思ったりしたんです
で、ちょっと気を使って寝ている時にふわもこソックスを枕の用に置いてあげたりしたんですが
(きっと気持ちがいいだろうなって気使いだったんだけど)
むくっと起きて“なにこれ”な態度を取り始め
グイグイと外にほっぽり出し始め
完全に“こんなのいらない邪魔邪魔”って感じ
“一緒にいてくれるだけでいいの過保護は無用だよ”って言われた気がしたよ
しろん、これからもずっとそばにいてママの事支えてね
父の旅立ちにたくさんの優しいメッセージ、そして母と私への励ましの言葉本当にありがとうございました
父が確かに居たはずの場所から忽然と消えても
日々は変わらず多分正確に24時間を刻み、朝が訪れ夜が訪れ1日が終わって行きます
母と2人不思議なくらい普通の日常を送っています
私のいる所から父の祭壇が真正面に見えて穏やかな笑顔の父といつも目が合います
“おとうさんどうしてそこにいるんだろうね”って食事をしながらTVを見ながらいつも話しかけています
今年の2月に写した父の誕生日の写真
来年この日が来ても父の誕生日の写真が増える事はないんだね
10月10日いつも通っている病院での最後の受診日になった日
体調を崩す日もあったけれどまだまだ元気な笑顔を見せてくれていました
この日も3ヶ所受診して、その他に内科でインフルエンザのワクチンをしました
時間も長くかかったけれど頑張っていたのにね
父は本当に亡くなる瞬間まで変わらない日常を過ごしていたんです
健康な人だったのに70歳を過ぎてから前立腺がんや心臓の手術をして
この4年2ヶ月の間は頚椎の手術に始まって、さまざまな病気や症状と戦い
何度も手術を受け入退院を繰り返しても不屈の精神で家族の元に戻ってきました
何よりも家で家族と暮らす事を心から望んだ父でした
去年の5月にも手術を受け、それから少しづつ体力が落ちて
去年の12月から週2回のデイケアを1回にして訪問リハビリを週1回にして
状態に合わせて家で暮らせるようにケアマネージャーさんとも何回も相談したものです
亡くなった日の午前中もケアマネージャーさんと冬に向けての話し合いをして
帰る時父はベットに横になりながら“気を付けて帰ってね”って声をかけていたんです
10月27日の朝、いつものように自分で着替えて朝食も普通に食べて
お昼は食欲がないというので大好きなバナナと柿を食べてもらって
“コーヒーは?”って聞くと“後で飲む”って言っていつもと同じようにお昼寝
腹部大動脈瘤破裂
検死をしてくれた先生の話しではは“おそらく一瞬の事で痛いも苦しいもなかったでしょう”との事でした
父が旅立つ少し前の時間の神居古潭の紅葉の写真です
私は叔母さんと一緒に猫のココのお参りに神居古潭の霊園へ来ていました
そして母はほんの20,30分庭で落ち葉を拾っていたのです
あれだけそばにいて同じ時間を過ごし何かあるごとに私達を呼んであれこれ世話を焼かせたくせに
最後の最後になって、たった1人でさっさと旅立ってしまった父
“今まで世話を焼かせて苦労させたから最後は手間をかけないように逝ったんだよ”って
みんなが言ってくれました
“よくやってくれたね、ありがとう”って言ってくれました
でもやっぱりどうして?どうして?って思うたびに涙が止まらなくなったんです
ただ最後まで変わらなかった眠っているように穏やかな父の顔とか
昔からどうって事のない痛みにも弱かった事とか
色々考えると、父にとって最高に幸せな旅立ちだったんだと思えるようになってきました
最後まで望んだ通り、家で家族と過ごし大好きなものを食べてお昼寝のまま旅立った父
目には見えないけれどドヤ顔の父の笑顔が見えるような気がします
あれから2週間以上の時間が過ぎて
辛かった事苦しかった事様々な葛藤も全て浄化され、ただただ愛しいだけの存在になった父
母と尽きる事のない思い出を語っています
父が亡くなった事でやらなければならない事も日々山積み
きっとそんなふうにして立ち直り本当の日常を取り戻していくんだろうなって思います
父の長いお話しに付き合っていただいてありがとうございました
これからブログも少しづつ日常に戻していきたいと思っています
皆さんのところへも遊びに行かせてくださいね
そしてこれからも時々父の思いで話しに付き合ってください
長きにわたり父や私達家族への応援本当にありがとうございました
僕は今一生懸命食べています
最近ママはいつも忙しそうで僕とあまり遊んでくれません
僕のお部屋のお掃除の時と寝る前のほんのちょっぴりの時間
ママはいつもぼくにごめんねって言います
そしてしろんがいい子でいてくれて本当に嬉しいよって言ってくれます
僕はいつもママの気持ちが不安な時や心配している時
一緒に具合が悪くなったりおなかを壊したりするんだけれど
今ママの心はすごく不安定なんだけど、なぜか僕は頑張らなきゃって思っています
僕の事で心配かけちゃいけないって思っています
ママと一緒にいられる時間が今は少ないけど
いつも元気でいようっていっぱい食べています
ママはそんな僕を撫でながら時々泣いて“ごめんね”って言います
でもママの心がだんだん落ち着いて静かに穏やかになってきてる事、僕わかるんだ
だからいつものママに戻るのをみんなもう少し待ってあげてね