10月のしろんの月命日
何もしてあげられなかったね
2015年1月30日にしろんが虹の橋に留学して以来、ずっとその日に思い出をつづってきたのにね
ハロウィーンも何もできなかったなぁ🎃
ハロウィーンにはいつもしろん協力してくれてかわいい写真いっぱい撮ったよね
今年は虹の橋から《頑張れ~負けるな~
》ってエールを送ってくれていたのかな
もうこんな事がないようにしっかり自己管理して頑張るからね
くも膜下出血で倒れて入院している間福多んは弟の家でお世話になっていました
少しづつ情報は入っていたけれど
福多んは何しろココアが苦手で、ココアを連れて初対面した弟の事も警戒して
フーシャア―威嚇するしグルグル唸るし、遊びに来ても手の届かない場所にこもって
とにかく苦手で怖い存在だったようなんですよね~
だからすごく心配していたんですが
弟との電話で“すっかり慣れて寛いでいるぞ。ココアとも距離を測ってうまくやっているぞ”って
聞いて安心してはいたんですが
退院して弟の家で福多んと再開した時は、普通に馴染んでいる様子にびっくりしました
弟やココアとも懐いているとは言えないまでも(福はもともと懐っこい方ではないので)
普通にこの家で暮らす事を受け入れて家族として受け入れている様子でした
ココアはもちろん我が家ですがリラックスしています
リラックマならぬリラッワンコ❓❓
でも福が我が物顔で超ダッシュの運動をするもんだから、すっかりビビって
上下関係が変わった事がストレスになったのか、耳をカイカイしすぎて今薬を縫っています
でも仲が悪いって事ではないんですよ
だってほらこんな風に近くに来て一緒にお昼寝したりしてるんです
福多んはちょっと迷惑そうこうして見ると福の方が女帝で10歳近くの年上のココアが年下に見えますね~
“まぁいいわその距離保つんならそばにいてもいいことよ”と言わんばかりの大あくび
福多んはなんと言うか、一応居候なんだから態度デカすぎねって感じですよね~
“アラッいないと思ったら場所変えたの❓❓”とえらそうな背中が言ってますよ福多ん
でもまぁ弟ともココアとも仲良くなってくれたのはいい事です《善き善き》
9月の末に母とドライブの途中で寄った公園で写した1枚です
もう雪が降る時期で季節感が違い過ぎるんですが、すごくきれいだったので見てくださいね
ナナカマドの赤い実が日差しを受けてキラキラしていました
ふと空を見ると一直線の飛行機雲
青空の切り取り線みたいでペリっとめくったら何が見えるか
子供みたいな想像をしてしまいました
今年は豪華な黄金色の黄葉は見る事が出来ませんでした
退院する時車の窓から見たイチョウの木はすっかり裸んぼになっていました~
入院するとドクターや看護師さんはもちろん頼りになる大きな存在です
でもリハビリの先生達も本当に大事な存在なんですよね
父も母もそして今回私までリハビリの先生達に助けられました
理学療法士さんです
とても可愛い人で私服で会ったら分からないと思ういやマスク外すだけで分からないかも
でも理学療法がいつから始まったのかもわからないんですよね
ICUにいた頃は記憶もあいまいだし、完全に別世界にいたような気がします
あれはもうパラレルワールドですね
夢か妄想か後付けの記憶なのか、いま改めて思い出してもどんどん訳が分からくなるちょっと怖い時間でした
時間もとにかく長かった~極端な時は1時間経ってると思ったら5分くらいだったり
21時頃に寝て、もう3時4時になってると思って時計見たらまだ日も変わっていない23時だったり
眠れない時は夜が長すぎて辛かったんですよね~
作業療法士さんです
彼女も若くて可愛い人でしたよ
作業療法は運動の他に脳の機能が衰えていないか口頭で質問されたり紙に書かれた問題を解いたりします
これは結構面白かったんですが、例えば《ケから始まる言葉を1分間で言ってください》って言われて
最初は5個しか出なくて、けっこうショックで
自主トレでアから初めて12,3個出たらイに次はエにって感じでやっていたら、次の時は結構答えられました
このリハビリは認知症の問題だったと思います
後、車の運転が出来るかどうかの検査もあって、これはかなりのプレッシャーでした~
成績が悪いと警察や免許センターにその旨連絡が行くらしいので合格して本当に良かった~
彼女は入院中に仲良くなった人です
集中治療室から出て最初の病室で一緒でした
彼女は脳梗塞とかくも膜下出血ではなくて脳腫瘍の手術をしたそうです
彼女も同じ日に退院したんですが、リハビリの為に別の病院に転院しました🏥
私も大きな後遺症はなかったんですが最初の頃を思い出すと記憶はあいまいなんですが
譫妄みたいな混乱がいっぱいありました
クモ閣下出血をした人の退院後の1番の心配は水頭症だと聞きました
水頭症になったらどんな症状が出るのか詳しく聞いたので、これからの数ヵ月はよくよく気をつけようと思っています
今回の入院は福多んにとっても青天の霹靂だったと思います⚡⚡
毎日おうちで猫時間をのんびり満喫している状態からいきなり知らないおうちに連れていかれ
そこにはなんと苦手なでっかいおじさんとココアがいるんですから、最初はもうパニックだったと思います
今は家に戻って、こんな風に大好きなオシャベリドールの兄ちゃん達とのんびりお昼寝しています
でも福多んの事もすごく心配だったから、弟がすぐ福多んを引き取ってくれた事には感謝です
大きなゲージも上下に分けて一緒に持っていってくれました
電話で家に慣れてココアとも適当な距離感でうまくやっているって聞いてほっとしていたんですが
実際弟の家で自由に動き回り、ココアもそうだけれど弟にフーッともシャーッとも唸る事もせず
そばによってフンフンしている姿を見て感動しました
弟は動物好きで先代猫のココもすごく可愛がっていたので仲良くなってほしかったんですよね
これからもっともっと仲良くなってくれるといいなぁ
私の事ですが退院して5日経って少しづつ頭の重さが軽くなっているようです
くも膜下出血で倒れる数日前10月1日に母と聖台ダムへ紅葉を見に行きました
まさかこの3日後にあんな事が起きるなんて、人生って本当に何が起きるかわかりませんね
紅葉は終盤でしたがまぁまぁきれいでした
ルーミーランチしてから、まずは1人でダーッと見て回りました
水のないダムって味気ないですね
前日なら(9月中)水あったのかなぁ
でもいつもの場所でツーショット撮れて良かった~
紅葉はきれいだったけれど天気が悪かったせいかほぼ貸し切り状態でした
これは今回初めて使った簡易の車椅子です
6月のお墓の納骨式の時弟が持ってきてくれたもので、お嫁さんのおかあさんが使っていたものです
これがあれば近くの公園も歩かずに行けるので、きれいな花壇にも楽に行けると思ったんですが
坂道とかかなり使いずらいし、本人もあまり嬉しくないようなので、ちょっと考えてみたいと思います
それにしても本当に人生はあざなえる縄の如しですね~
今年も紅葉、けっこう元気にあちこち見に行ったのになぁ疲れているとか不調なんて感じなかったのになぁ
入院していると食事だけが楽しみだってよく聞きますよね
私も長い間個人病院で食事を作っていたので、その時も患者さんからこの言葉をよく聞きました
私は3度食事の内容を変えてもらいました
集中治療室にいる間はもちろんおかゆで軟食でした
最初の頃は記憶もあいまいで、どんな食事か覚えていなくて食べた記憶もなく
高カロリーの点滴で補っていたようです
一般病棟に移ってもしばらくこの食事が続いたんですが、同室の人が朝パン食で私も変えてもらいました
でも毎回同じパンで、また変えてもらいました
今度はおかゆではなく普通色でお蕎麦が出た時はメッチャ嬉しかったです
でも薄味に慣れていて、一口飲んだ時“しょっぱ”って思いました
カレーが出た時も嬉しかったけれどめっちゃお子様味でした
病院食は待ち遠しいという感じじゃなかったけれど、それなりに美味しかったし
何より早く元気になりたくて頑張って食べていたんですが、その時も少し違和感がありました
家に帰って自分で料理して慣れた味を食べた時“あ~苦いんだな”って思いました
舌の奥の方で微妙な苦みを感じるだけなので、気にしなければ大丈夫だしそのうち収まるかもしれません
集中治療室にいる間は自分が病気で入院していると思えなくて違う事に捕らえられていました
時間も行ったり来たり感が強くて聞こえてくる会話に“またこの話し聞くの何度目だろ”
なんて思ったりしてまるでパラレルワールドにいるような感覚でした
まぁ自分の生え際の大きな傷を見ると、骨外して前頭葉わちゃわちゃされたんだから仕方ないですよね
お久しぶりです
こんなに長くブログを休んだのは、ブログを開設して初めての事です
特にここ数年は毎日投稿していたんですよね
実はくも膜下出血で入院していました
10月4日に倒れて、少し落ち着いた頃にカメラを持ってきてもらって病室の窓から紅葉を写しました🍂
10月4日に倒れて22日目の事でした
集中治療室を出て、3度病室を変わったんですが2度目の部屋からはドクターヘリの発着を間近に見る事が出来ました🚁
なんだか宇宙人みたいな顔をしていると思いませんか
倒れた時はかなりひどい状態で、家に駆けつけて私を見た弟は“これはもうダメかも”って思ったそうです
でも後遺症は今の所ですが全くなく退院する事が出来ました
これからも今回の事少しづつ書いていきたいと思っているのでお付き合いくださいね