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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

鷲田清一 哲学の使い方 岩波新書

2015-10-10 21:12:13 | エッセイ

【哲学のアンチ・マニュアル】

 この本は、「《哲学のアンチ・マニュアル》となることからとりかかる」と書き出される。

 「哲学はとりあえずの解答を得るためのマニュアルではありえない」のだと。

 マニュアルとは、取り扱い説明書。手元に置いて、器具機械の操作方法が分からない時に、手にとって必要なページをめくって、ささっと、方法を読みとる、その場で解決を得るための手段、一種の道具。

 で、この本は、マニュアルではない。

 つまり、哲学とは、簡単ではないものである。安易なハウツー本などではありません、と宣言している。

難しいものである、と。

だから、「安易ではない」ものであることは間違いないところだろう。しかし、だからと言って、小難しい哲学書ではない。

そもそも、新書である。狭く専門を深めるために書かれた本ではない。広く読まれるために分かりやすく書かれた本である。もういちど、しかし、言ってみれば、浅はかな常識を疑うことなく前提にしたハウツー本ではなく、深く思索を極めたそのあとに、あるいは、深い思索のそのただ中で、専門の術語に頼らず、日常に流通する分かりやすい言葉で書こうとする哲学書である。

「哲学の使い方」というときの哲学は、使うものである。荘厳な開かずの扉の向こうに仕舞いこまれた秘仏だとか、誰も読めない外国語で書かれた聖なる書物ではない。使い込むための哲学。

第1章は「哲学の入り口」、第2章は「哲学の場所」、第3章は「哲学の臨床」と題される。 


【第1章哲学の入り口、第2章哲学の場所】

第1章にはこんなことが書いてある。

現代は「混迷を深め、先ゆきが見えない時代、にっちもさっちもいかない難題を幾重にも抱え込んだ時代」であり、そういう時代には「ひとは哲学に過大な答えを求める。」だが、「他方ではしかし、ひとは哲学にほとんど期待しない。」

 

「哲学にはこのように、一方では過剰とも言える期待が寄せられ、他方では過小な期待しか寄せられない。(15ページ)

 

ある少数の人々が、哲学に過大な期待を寄せ、恐らく大多数のひとびとは、一切哲学などに期待することはないということなのだろう。しかし、その中間で、哲学の果たすべき役割があるはずである。哲学に対する一般的なイメージを超えたところに、哲学はあるのだ。

特に、氏の唱える「臨床哲学」は、そういう場所にこそある。

第2章「哲学の場所」には、たとえばこんなことが書かれる。科学者というものに対する一般的なイメージには反することかもしれない。

 

「西欧近代科学における《博士号》(PhDとは「哲学博士号」の謂いである)の意義に通じる。博士号は、ふつうそう考えられているように、限られたある専門分野において精緻な研究を成し遂げたことに対して授与されるのではない。…(中略)…だから、専門分野以外の領域を「専門ではありませんので」と言って斥けるのは博士として失格である。博士号というのは本来、この分野に限ってなら何でも知り尽くしているということに対してではなく、いかなる未知の分野においてもそれに相応しい科学の方法を用いて確かな探求ができるという一般的能力に対して賦与される称号なのである。」(130ページ)

 

科学者こそ、哲学者でなくてはならないのである。

世にいう「理系」だとか「文系」だとかいう区分でいえば、哲学は「文系」の典型ともイメージされるところだろう。しかし、哲学は、論理学を含む、というか、哲学からその一部として論理学が生まれたのであり、論理学なしに科学はありえない。歴史的な経緯をたどっても、科学は、哲学の一部として生まれたものである。

自然科学の科学者は、その専門分野限定の専門家であるより先に、そもそも哲学者であるはずなのである。このところは、世にあまりよく認識されていないことだろう。


【 第3章哲学の臨床、あるいは哲学カフェ】

第3章「哲学の臨床」は、「哲学カフェ」という取り組みについての紹介が多くの分量を占めている。

 

「よく見るためには多くの眼をもつことが必要だ。他の視線との摺りあわせをするなかで、複数の眼でものを見られるようになること、そのことでまなざしを立体化し、押し拡げることが重要だ。ハンナ・アーレントが『人間の条件』のなかで公共的なものの成立要件としたあの「立ち位置(ポジション)の多数性」、「視点(パースペクティヴ)の多様性」つまりは「複数性」である。そういう複数性の場を市民のあいだに切り拓く試みの一つに、《哲学カフェ》がある。/《哲学カフェ》にかぎらず、このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。「カフェ」といっても喫茶店のことではない。「サイエンス・カフェ」とか「アート・カフェ」といった類の、少人数でおこなう対話の集会である。市民が三々五々集まり、それぞれの社会的なポジションを離れて世情について自由に論議し、その議論を活字化する、あのジャーナリズムの原型ともいうべきものを生んだ英国のコーヒーハウスにちなんで、そう名づけられたらしい。」(188ページ)

 

先般読んだ、鷲田氏監修の「哲学カフェのつくりかた」の解説や、他のメンバーの執筆部分を含めて、手際良くまとめ直したものになっている。

哲学というものが、明晰判明な知の営み、論理によって、純化された原理原則に集約されるものというよりも、多様な人間の声に導かれた多様なものであること、多様なものを多様なままで受け入れて行こうとするものであること、このあたりは、一般的には意外なこと、と受け止められるのではないだろうか。

また、「カフェ」という部分。18世紀イギリスでという歴史的な経過、さらに、私たち自身がその中で育ってきた日本の喫茶店文化をも踏まえたものであること。

日本の中でということが、私自身にとっては、高校生の頃から、気仙沼で、ということであり、大学に行って、東京で、入り浸り、ひとと出会い、交わってきた喫茶店、ジャス喫茶、ロック喫茶そのものでもあり得るということ。

私が大学で、いちおうではあっても哲学を学んだこと、それなりに本を読みつつ考えてきたこと、高校生の頃から喫茶店という場所に関わり、喫茶店のマスターと会話し、友人と時を過ごし、言ってみれば青春を過ごしたこと、そして、いま図書館という場所で仕事をしていること、それらのことが、複合して交り合って化学変化を起こして、哲学カフェという場所になだれ込んで来たみたいなことになっている。

終章「哲学という広場」で、

 

「哲学の議論においては相互触発ということがあるのみで、教師も生徒もない。哲学は教室ではなく市民たちの《広場》で試みられるべきものである。…(中略)…七十代の老人が高校生と…(中略)…何度も語り合っているうち、その二人が友だちになることだってあるやもしれない。社会のなかにそういう思いがけない椄線を引くこと、それを哲学の対話はめざしている。そこに生まれた小さな隙間をこじ開けて、同時代に起こっているさまざまな問題や困難を解決する道筋を自ら紡いでゆく、そんな関係が生まれることを希っている。/それをわたしたちはデモクラシーのレッスンともいってきた。」(235ページ)

 

哲学カフェは、私がその中に身を置いて、学び続けてきた地方自治という場所にまで、関わってくるものである。

私が若い頃からずっと興味を持ちつづけてきた文学、精神分析、文化人類学などを含んだ思想、教養、哲学、それが、哲学カフェという出来事に、いま、流れ込み、融合し、さらにいえば結晶化してくるとすら言いたいような事態となりつつある。

 

いま、出会うべくして出会っている、というようなことなのだろう。



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