ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

偽説 鼎の浦嶋の子伝説 (再掲)

2019-04-03 09:13:30 | 小説

※これは、1999年の気仙沼演劇塾うを座立ち上げの頃に、風土記(奈良時代の)や、大島村長村上氏らの作った乙姫窟の伝説などを踏まえ書いたもの。2010年に、いちど掲載しているが、3回に分けて上げていたので、今回、改めて、一括でまとめてアップすることにした。気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)が間もなく開通するタイミングでもある。

 

 陸の国、気仙沼の郷は緑なす山地に入り江深く風光明媚を世に知られたるところなり。

 かの地に、浦嶋なる村落あり。鮪、鰹、秋刀魚、鮫等数多の水揚げある気仙沼市魚市場の真向かいにして、昆布若布牡蠣等養殖漁業と烏賊釣り、シラス(小女子)掬い網の沿岸漁業を生業にしたるところなり。浦嶋と称うも嶋に非ず。鼎ヶ浦(気仙沼湾の美称なり)に沿い、大島を望む地ゆえに名づくるか。

 この地に、昔、男ありけり、名は詳らかならずも、今、世のひと、鼎の浦嶋の子となむ呼び習わしたる。ひととなり、容姿麗しく、鄙の知にはあれども風流(みやび)なること類なかりき。

 浦嶋の突端に鶴ヶ浦なる小湾あり。計仙麻大嶋神社の鎮座します大嶋亀山を真向こうに仰ぐ瀬戸に面したり。浦嶋の子、鶴ヶ浦より独り小舟に乗りて湾中に浮かび出て、古より鮑が産地として知られたる大嶋の竜舞崎にこそ向ひたる。先ず、唐桑半島に向かひ、左手に「森は海を恋ひ海は森を恋ふ」とて高名なる舞根湾の沖にて早馬山を望み、右手の大嶋には、くくと砂の音奇妙なる十八鳴浜、白砂の田中浜、波静かなる水浴場小田の浜連なり、終に、唐桑半島が突端の御崎と大嶋が先端の竜舞崎を結びたる線を超えたり。太平洋の波は高く浦嶋の子の小舟は木の葉の如く舞ひたり。

 一時のうちに三日三夜も経るかと思ひたるが、安波山の大杉神社に波平かなること祈り、御崎神社、巌井崎が琴平神社、竜舞崎が竜神様に身の安からむこと願う。

 忽ち、海中から五色の亀を得たり。心に奇異と思ひて舟に中に置きたれば、見る間に婦人となりぬ。その姿美麗しく、比ぶべきものなかりき。

 婦人曰く「われは竜宮の亀姫なり。(またの名を乙姫といふ。)陸の国の大嶋の竜舞崎なるわが窟を訪づれ、しばし、人の世を眺めむとおもふに。風流(みやび)の士独り滄海にうかべり。風雲のごと、ふと、道を誤りたり。竜舞崎には如何に行かむ。」と曰ひき。

 辺りを眺むるに風おさまりて波平らけく、大嶋の竜舞崎ははるか、唐桑半島が御崎と巌井崎の間にあり。

 浦嶋の子、神女がその窟の在り処を知らざることあるかと心に疑ふも、答えて曰ひけらく「われ棹を廻らして竜舞崎に行かさね。もともと、その磯にて陸の国の気仙沼が鮑を数多捕獲んぞと船出したるものなり。」

 竜舞崎の乙姫の窟は、あたかもあたかも鉄道のトンネルの如く、自然の岩に洞穴開き、此方の磯から入るに奥から波押し寄せたり。彼方に岩井崎見ゆ。浦嶋の子、常時にこの崎に通ひたるにかようなる窟あること知らざりき。

 浦嶋の子と乙姫と、夫婦の契りを成しき。

 巌井崎は、その奇怪なる景観からもと地獄崎と称うが、仙台藩第四代藩主伊達吉村公巡回の際、対岸の大嶋竜舞崎を望みて、浦嶋の子と乙姫が古の物語に感(たけ)りて言祝ぎ、祝崎と改むと言ふ。

 そのまま、うとうとと眠りたるが、目ざむるに、乙姫、浦嶋の子を誘ひて、窟の奥、波の寄せる方に進みぬ。海水に入り、まさに窟を出たるとき、身は軽々と中空を飛び、見知らぬ港に着きたり。

 この港には、四〇〇トンクラスの大いなる遠洋漁船数多係留され、行き交うひとびとにて賑わひたり。岸壁は、石山修武なる建築家のデザインによる「海の道」と曰ひ、ニセアカシヤの並木に波と小石の浜を装ひたる透水舗装の舗道と斬新なる意匠の見送りデッキ兼トイレ、マストにウミネコのとまる姿となむ曰ひたる照明燈あり。恵比寿様が釣り竿で自ら釣り上げたるマグロに乗った世界一のマグロの貯金箱も面白し。新しく整備されたる魚市場北桟橋には「海鮮市場・海の市」オープンし、世界に稀なる鮫の博物館「リアス・シャーク・ミュージアム」などあり。

 このあたりにてマグロの丼など食べたるに値段も手頃なるが、その美味さ絶品なり。フカヒレラーメンもまた精妙滋味なり。

 山に向かえば、これも石山が設計なる「リアス・アーク美術館」なるものあり。宇宙から着地して海に迫り出さんとする大いなる宝箱なり。開けてみれば三百歳も若返りたる心もちやすなるらむ。

 夕闇せまりて山に登れば、港のまちの燈ともりたる光景、音に聞く函館山の夜景に勝るとも劣らぬものと見えたり。浦嶋の子、ここにいたりて、この眺め、かつてより知りたるものとも思へり。乙姫に問ひけらく。姫。答えて曰わく。「ここは二十一世紀が気仙沼、この山は安波山なり。」浦嶋の子驚き不審(あや)しみて言葉もなかりき。つらつら眺むるに神明崎が浮見堂のライトアップされ朱く水面に映りたるは常日頃親しみたるものなり。

 乙姫の誘ふまま旅荘に入りて、鮪鰹秋刀魚牡蠣雲丹鮑フカヒレモーカの星など豪華なる海の幸のあふれる玉手箱膳を食らひ、鯛や比目魚の舞ひ踊るを見て宴のときを過ごしたり。ウエスト・アメリカンズなる楽団が「気仙沼の魚のうたシリーズ」となむ演奏するも面白し。サンマ・サマー、マンボウ・マンボ、戻りがつおのうた、ミス・シー・フード・イズ・ホヤ、どんこ汁(ジル)バ、鰈(彼へ)の他、新曲のフカヒレ・ソングなど珍妙なり。

 やがて、宴も終わりて、乙姫が膝枕にて、うたた眠りき。

 ふと目覚めたるに、浦嶋の子、もとの大嶋の竜舞崎の窟に独り寝たり。乙姫の姿、何処にも見えず。かたはらに箱あり。後のひと、鹿折金山にて産出したるモンスター・ゴールドにて形づくりたる純金の玉手箱となむ語り伝へるものなり。

 純金の玉手箱開けたれば、はっと白き煙上がり、海の幸あふれたる弁当現れたり。鰹鮪など食らひつつ、乙姫がこと思ひうかべたり。

 浦嶋の子、その後、陸の国気仙沼、鼎ヶ浦の浦嶋の地にて、麗しき乙女を娶りて、ともに白髪の生えるまで末永く幸福に暮したりと伝ふ。(その家、詳らかならず。)

 後の気仙沼松崎村が領主煙雲館鮎貝家より出たる歌人落合直文が「砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず」と詠みたるは、近代日本短歌にて恋人の言葉を初めて使ひたる用例なるが、遠き昔、鼎の浦嶋の子が竜宮の乙姫を思ひて己が家のまえの砂浜に佇む姿を詠へるものとなむ聞こゆ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿