ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

祈り・地の利

2009-02-16 21:07:10 | 寓話集まで
   
地の利を得て
海の恵を収穫する
時満ちて
海の恩恵を捕獲する

それはわたしの功績ではない
それはあなたの功績ではない

祈りがある
祈りがあるだけだ

祈りは眠りではない
祈りは瞑想ではない
祈りは行動だ

川を遡ると
柞の森
ロブレの森があった
河口の湾には
プランクトンがいて
牡蠣が生きていた

そして
ひとがいた

港があった


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1 コメント

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師がいること ()
2009-05-05 23:24:58
 内田樹という学者が、人に師たるためには、自ら師を持つことが肝要であるみたいなことを言っている。なるほど。
 この詩においては、師は二人いる。
 一人は、畠山重篤。森は海の恋人の。
 もう一人は、壤晴彦。役者にして演出家。気仙沼演劇塾うを座の指導者。
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