ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

小説 スルド

2012-11-12 17:04:57 | 小説
 東京駅で新幹線から中央線に乗り換えて、武蔵境の駅へ向かう。
「大宮で降りて、埼京線で新宿に出た方が早いらしいけどね。」
「うん、でも…」
「乗り換えが2回になるしな。」
 丸の内口側の中央線ホームへの長いエスカレータに乗る。
「丸の内口のドームは、また後にしよう。」
 妻は、もちろんというように、うなづく。
 休日の昼間で込み合っておらず、中央線の快速は座ることができた。
「中央線乗れたってメール入れておくね。」
「お昼食べてないな。」
「でも、そんなにおなか空いてない。」
「ふむ、そんなでもないか。」
 武蔵境駅は、ここ数年の高架化の工事がほぼ終わるところらしい。ホームから、一階に降りて、ほぼスムーズに改札口を出る。前回は、工事用の囲いの周りをまわって、随分と迂回しなければならなかった。ただ、改札を出ると、まだ一部、工事用の囲いが残っている。
 息子は、改札の先、駅ビルの入り口付近に立って待っていた。24歳の若い男にしては、素直に、うれしそうな顔をしている。
 学生会館まで歩いて、荷物を息子の部屋に置かせる。部屋まで上がらずに、玄関先で待つ。二階の端から二部屋目のベランダに、タオルが一枚干してある。真ん中よりの隣の部屋には、Tシャツが一枚。ベランダの、掃き出しの窓が開いて、タオルが取り込まれる。手だけが伸びてきて、顔は見えない。
「あら、隣のひと、いるのかしら。」
「いや、J…でしょう。」
「え、あそこだっけ?」
「そうだよ。端から二部屋目。」
「そうだっけ?」
 今回は、アパートではなく、賄い付きの学生会館にして、私も妻も、入居のときに一度来ているが、半年経っている。
 ひとの名前については、妻は良く覚えているが、私は覚えが悪い。だが、建物の配置、行きたい店の位置とかは、私の方が良く覚えている。どこかへ行くとか、電車の乗り方とか、地図の感覚のようなものは、確かに私の方が良い。
「でも、タオルを干すとか、午後は取り込むとか、よく気がまわって、やれているわね。」
「ああ、確かに…」
 大学までタクシーを拾う。
「ああ、バスは、向こうの通りを通るから、××町のバス停と、駅前まで戻るのとそんなに変わんないんだよね。」
「自転車だと何分くらいかかる?」
「10分くらい。」
「歩くと?」
「えー、歩いたことないけど、50分くらいかかるかな。」
「え、20分くらいじゃないの?」
「いやー」
 通りで左右を見ると、すぐタクシーが来る。手を上げるとすぐ止まるが、中にひとが乗っている。60歳は超えた上品な婦人が降りてくる。私たちはすぐに乗り込んで行き先を告げる。大学正門を入って長いアプローチの先のロータリーで降りると、小ざっぱりとした服を着せた小さな子ども二人を連れた、仕立ての良いという風情のしっかりした生地のワンピースに身を包んだ若い母親が、早速、このタクシーに向けて手を上げている。
「国領までいいですか?」親子連れが乗り込むと、タクシーはすぐに走り出す。
 私たちは、タクシーから降りると、武蔵境行きと三鷹行きのバス停の間を通って、構内のチャペルの方向に歩いた。
「やっぱり、歩いても、20分くらいのもんだよ。」
「そうかな。」息子は、納得の行くようでもない。
 と、構内から、何か打楽器の音が聞こえてくる。
「おや、これは…」
 11月3日、文化の日で、ちょうど大学祭が行われている。大学祭のために上京したわけではないが、おりしも、そうであればと、大学まで足を運んだ。
 チャペルのそば、テントの模擬店が並ぶ通路のほうから、何やら、賑やかな打楽器の音やホイッスルも聞こえる。
 これはサンバだ。
 近づくと、それがサンバのリズムであることはますます明らかになる。
 大小数種類の大きさの縦長の太鼓、胴の短い大太鼓、タンバリンの金属音、甲高いホイッスルの音。
 細い通路は、観客でふさがれ、模擬店のテントの裏の芝生のほうから回り込んで、サンバの集団を見る。
 大人数の太鼓、それに比べれば少人数のタンバリンや金属のパーカッションの類い、その楽団の前で、踊り手が踊っている。
 ブラジルのリオのカーニバルのような踊り手。若い女性の踊り手。小さな衣装で肌を大きく露出したサンバのコステューム。観客の目には、そのきらびやかな踊り手たちがまず飛び込むが、サンバの本体はこの踊り手にはない。
 ダンサーたちは若く美しい。まだ十代か、はたちそこそこの、普段であればまだ可愛いとは言えても美しいとは言いがたい年代だが、目元を鮮やかに化粧して、この大きな羽飾りをつけて肌を露出した女の子たちは美しい。情熱的で美しい。美しいという言葉が似合う。表だって目につく、浮遊する表面。
 しかし、サンバの本体は、この踊り手たちにはない。
 打楽器の音。リズム。地の底から響いてくるような大型のドラムたち。跳ね返るような小型のドラムたち。しゃかしゃかいうタンバリン。サンバホイッスル。人数も、もちろん、楽手たちが、踊り手の数倍を占める。不思議の国のアリスのトランプの兵隊たちを模した楽手たちのコスチューム。強烈なリズム。
 ああこのリズム。音。躍動。
 もう六年前の同じリズム。その時は息子も大きな太鼓の叩き手として参加していた。スルド。スルドという名前の太鼓。胴の長い、首からつるす大太鼓。高校を出て、まだ半年の初々しい一年生、新入部員として、行列に参加して、太鼓を叩いていた。
 同じ大学祭。
 同じ太鼓の音。
 大学に入学してはじめての大学祭。はじめての演奏。
 その翌年、彼は長い休養の時に入る。


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