ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

現代詩手帖 2021年3月号 特集・詩と災害 記憶、記録、想起 思潮社

2021-03-08 21:55:40 | エッセイ
 まもなく3月11日が巡ってくる。十年目である。現代詩手帖でも、自由詩10編、短歌50首、俳句50句の震災アンソロジーを冒頭に、特集が組まれている。
 ここで書こうとするのは、気仙沼に住む私に関わりのある人の作品や論考を紹介しようとするものであって、特集の全体像や文学的な意義を論じようとするものではない。私自身の現在を表白しようというのでもない。ごくシンプルな覚え書きである。

《短歌・菊池謙、熊本吉雄など、気仙沼》
 歌人斉藤斎藤が選ぶ短歌50首の中に(しかし、斉藤斎藤というのは、本人は本名だと言うらしい。本当に本名ならば何も言うところはないわけだが、どうなんだろう。奇をてらった名前であることは間違いがないし、面白いネーミングであることも間違いはない。ふつうにペンネームだと言っている方がいいように思う)、気仙沼市・百一歳と記された菊池謙さんという方がいる。

「海ゆかばみづくかばねと十字切る強き地震の襲ひ来る夜」

 気仙沼市の方とのこと、直接には存じ上げないが、河北新報の河北歌壇でお見かけしたお名前、年齢、歌のように思う。
 「海ゆかばみづくかばね」とは、戦前の軍歌からの引用である。戦意高揚というよりは、鎮魂の歌である。そもそもは、万葉集の大友家持の長歌の一節からとったものという。
 「みづく」とは〈水に浸かった〉、「かばね」とは、本来、肉体のことだが、〈魂を失った肉体〉、つまりは〈死体〉を指すことが多い。〈海路を行けば、水に浸かった死体がある〉。「十字切る」とは、つまり、菊池さんはクリスチャンであるということか。
 日本古代からの歴史と、戦前の惨劇、西洋から移入された文明・文化と、十年前の東北の災害が、三十一文字のなかに重層されている、というべきだろう。
 熊本吉雄さんは、私たち「詩誌霧笛」の同人である。市役所市民課の職員、戸籍・住民記録担当の課長補佐として震災に遭い、文字通り数多くの死体に向き合った方である。震災の後、短歌を始められた。「霧笛」には、毎回、短歌と詩と短いアフォリズムを掲載なさっている。

「とりあえず通販で買ったような町 なんかイヅイなあ もぞもぞ歩く」

 「いづい」とは、〈むずがゆいような、なんかしっくり来ない〉というような感じを表わす方言である。一定程度復興の進んだ気仙沼の内湾周辺の街を「通販で買ったような」と形容する。大量生産の製品のような、独自の歴史を失った町。
 なお、熊本氏は、3月3日付の河北新報15面、「東日本大震災10年」企画の「10年の震災詠選」にも、

「外来種の店がにょきにょき生えてきて更地占拠し町は二度死す」

が選ばれている。
 たまたま、どちらも、熊本氏の、復興しつつある街の復興のあり方について批判的な視点から描かれた歌となっているが、震災後に、氏が現実に目にした光景とその場での、また、その後の思いを詠んだ歌も、相当に深いものがある、と私は思う。
 ちなみに、この河北新報の企画の熊本氏の歌の選者・花山多佳子氏、もう一人の選者の佐藤通雅氏、また俳句の選者の高野ムツオ氏も、それぞれの作品が、現代詩手帖のアンソロジーに掲載されている。

《自由詩・伊藤比呂美、及川俊哉、福島》
 自由詩は、10編選ばれている。
 伊藤比呂美は、率直な詩人だ。「料理する、詩を書く」という1編。この率直さは現代詩ではないかのようだ。このあからさまな率直さ。比喩もなく想像もない。比喩もなく、想像もなく詩が書けるというのは、圧倒的な力業である。これは、最大の賛辞である。いま、日本で、女性の詩人と言えば、まずはこの人、であるに違いない。
 及川俊哉氏は、「放射性物質の神等を遷し却(や)る詞」が掲載される。神社で神主が読み上げる祝詞(のりと)を模した作品である。

「慎み敬つて放射性物質の神等(かむだち)に申して白(まを)さく
 そもそも汝(いまし)神等は海原距てし遠つ国オーストラリアの
 根の国底の国ウラニウム鉱山より採掘され
 日高見の国にくだりたまふ…」(31ページ)

 祝詞は、荒ぶる神を鎮め世に安寧を齎すために捧げ読み、告げるものである。放射能を荒ぶる神に擬(なぞら)える。及川氏が神職に成り代わって放射能の害悪を鎮めようとする、この試みは唸らされる。戦前の神道云々の批判めいたもの言い(そんなこといまさら言い立てる人もいないだろうが)に惑わされる必要はなく、地域を守る産土の鎮守の社のシャーマンたろうとするものと思えば良い。
 実は、私は読書生活のはじめが、小学校5年生の頃の古事記、日本書紀であり、結婚式のプログラムに、いざなぎ、いざなみの国産み神話を模した詩を載せ、また、二十年以上前に、風土記に模して気仙沼の伝説をでっち上げた「偽説 鼎の浦嶋の子伝説」なるものを書いている。こういう擬古文に出会うと嬉しくなってしまう。
 ところで、俳句、短歌、自由詩の選者、お3方による座談会が掲載されているが、詩の選者山田亮太氏が、

「及川さんは一人の人間のスケールでは抱えることのできない震災を千年前の蝦夷の神話に仮託して祝詞にすることで、救いや理解を得ようとしている。」(53ページ)

と語られている。及川氏の詩集が「えみしのくにがたり」(2018年、土曜日術出版社)であるから、〈蝦夷の神話に仮託して〉というのは間違いとは言えないかもしれないし、前後の文意の読み取りはそのとおりと言っていいのであるが、実際のところは、征服者側である大和朝廷の神話を下敷きにしているわけである。東北の人間としては、この点は留意しておきたい。(だから良くないなどとは決して言っていない。われわれは蝦夷の子孫でもあるが、畿内や関東からやってきた征服者の子孫である割合の方が高いと、私は思っている。)

《和合亮一、未来能楽》
 和合亮一氏は、未来能楽と銘打って、ワキとシテ、地謡からなる「火星」を寄せている。まさしく能楽にふさわしい、幽霊と交流する鎮魂歌である。

《新井高子、大船渡、東北おんば、山浦玄嗣》
 新井高子氏は、埼玉大学人文社会研究科准教授とのこと。大学のHPでは、日本の近現代詩研究に取り組み、日本民俗学会にも所属とある。そうか、埼玉大学か。人文社会研究科というのは教養学部の大学院であるから、私の母校の先生と言うことになるが、ここで取り上げるのは、だからということではない。
 この特集では「「東北おんば」の屹立―土地ことばの精霊」と題して、「岩手県大船渡市に住むおんばたち(土地ことばで、おばさん、おばあさん)」との取り組みを報告なさっている。
 冒頭、次の詩句が目に入る。

「大海(うみ)さ向がって たった一人(しとり)で
 七、八日(しぢ、はぢんち)
 泣ぐべど思って 家(ええ)ば出てきたぁ」

 これは、石川啄木の短歌の、大船渡のおんば訳だという。
 なるほど。
 しかし、どうもこの字面が、記憶にひっかかる。気仙沼、大船渡と近隣で、こちらは宮城県の気仙沼、一方は岩手県の気仙郡と分かれてはいるが、古くからケセンの地として、藩政期には同じ伊達領の北方で、一体の地であった訳であるから、ことばが近いのは当然であるが、それだけではないような。
 読んでいくと、

「聖書の翻訳などで知られる山浦玄嗣らの活躍によって、大船渡市をはじめとする気仙地方のことばはケセン語とも呼ばれる。」(82ページ)

と出てくる。
 ああ、やはり、山浦先生である。
 山浦玄嗣氏は、聖書のケセン語訳に取り組み、『イエスの言葉 ケセン語訳』(文春新書)などを表わしたカトリックのキリスト者、詩人、小説家、脚本家、劇団の主宰者、演出家、若いころは東北大学医学部助教授、地元で開業する外科医である。私と妻と、夫婦ともども親しくさせていただいているが、ここでは詳細は省く。また、細かなことをいえば山浦先生の創ったケセン語独自の表記法ではない、しかし、それはそれで構わない、などという長くなりそうな注記も省く。
 つまりは、新井氏は、大船渡の妙齢の女性たちと啄木のケセン語訳に取り組んだということである。

「稼せぇでも
 稼せぇでも なんぼ稼せぇでも楽になんねぁ
 じィっと 手っこ見っぺ」(83ページ)

 これが、何の翻訳かは言わずとも明らかであろうが、「気仙弁の豊かさ、おんばたちの温かさにすぐさま魅了され、百首の訳を成し遂げて」、「豊穣な話しことばをもつ彼女らにわたしのほうが弟子入りし」て、2017年9月に『東北おんば訳 石川啄木のうた』を出版したという。
 なるほど。
 新井氏は、「三陸沿岸は、汲めども汲めどもつきない泉なのである。」と記して、この報告を閉じる。

《瀬尾夏美、陸前高田》
 瀬尾夏美氏が、「わたしの家」という詩を寄せられている。
 瀬尾氏は、東京芸術大学大学院出の美術家であり、震災後、大船渡と同じ岩手県気仙地方の陸前高田市に住まい、2019年に、『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、この3月1日に、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)を上梓されている。
 鷲田清一氏のもとで「哲学カフェ」にも取り組まれ、友人の小森はるか氏とともにしばらく陸前高田でも継続して開催されており、私も数回、気仙沼から通って参加させていただいた。
 掲載の詩は、

「波に呑まれてまちが消えた
 わたしの家も流され散った」(100ページ)

と始まり、最後は、

「誰にも、どこにも、同じように、日々が積もってゆく
 失われたものさえも。この真下にある」

と終わる。
 6ページの中に、3点の、自身の手になるイラストが配置される。淡々とつづられる詩に相応しい、モノクロであるが、あわい色彩のはかなく美しい作品である。

《土方正志、気仙沼、和合亮一》
 ページを開くと、土方正志氏の「あの日に引き戻す言葉の〈圧〉」である。
 土方氏は、仙台の出版社あらえみしの代表者にして編集者である。2016年に河出書房新社から「震災編集者 東北のちいさな出版社「荒蝦夷」の5年間」を上梓されている。私にとっては、「仙河海シリーズ」で震災後の気仙沼(をモデルにした架空の街)とその歴史を描いた小説家・熊谷達也の同伴者であり、気仙沼出身の気鋭のライター須藤文音の師匠である。

「あの日から二週間、宮城県気仙沼市、遺体安置所から軽トラックに乗せられて家族の許に帰ってきた知人の遺体と対面した。」(107ページ)

 この知人は、私と同い年で,ある時期〈同じ釜の飯を食った〉仲間であり、実は須藤文音の父である。

「あるいは和合亮一さんの『詩の礫』(徳間書店、2011)の詩の一節――「放射能が降っています。静かな夜です」。…なじみの寿司屋のおやじさんからやっと手に入れた焼酎をあおりながら、いまこの上空を目には見えない微細で禍々しいなにものかが通り過ぎているのかと、静かな絶望に満天に星降る夜空を見上げた、あの記憶が生々しくよみがえる。」(107ページ)

 土方氏と同様、私もまた、満天の星空を見上げる時、和合氏のこの詩句を復誦せざるを得ない。

《山内明美、南三陸町》
 山内明美氏は、今、宮城教育大学の社会科の准教授のようである。気仙沼の南隣の南三陸町出身の社会学者、民俗学者。「共時的記憶の《世界》」と題して、海辺の里の伝説を記す。

「リアスの磯場は、子どもにとってはうってつけの遊びの場なのだが、岩と岩が複雑に隆起しているため、危険な場所でもある。その昔、赤子を背負った子守りの少女が、岩の裂け目を飛びそこね、暗く深い海の穴に沈み、死んでしまったと語り聞かされた。」(111ページ)

「三陸の漁師は、この世とあの世を毎日のように往還しながら、生まれ変わってはまた海へこぎだすのであり、死にゆく彼岸の海から、豊穣の生を持ち帰っては、その命をつないできた。死を生に、苦を楽に、悲しみを楽しみへと、この《世界》を転換する。…何としても、この能力なしに、三陸の漁師にはなれないのだと思う。」(113ページ)

「長らく近代世界を生きてきた私たちは、厄災を防ぎきることに人間の幸せが待っていると考えてきた。しかし、厄災は、常に生と一体にあったのかもしれない。」(113ページ)

と閉じる。
 山内氏の描く美しい世界である、と言ってはいけないだろうか?

《アンケート・秋亜綺羅、照井翠、原田勇男、宮田建、須藤洋平》
 「このⅠ冊、この1篇」というアンケートに、秋亜綺羅さん、「宮城県詩人会が毎月開いているポエトリー・カフェで…「双子なら同じ死顔桃の花」という照井翠の句に、参加者の多くから異論が出た。」と書かれている。この句は、特集冒頭の50句のなかに取り上げられているものだ。
 ポエトリー・カフェは、コロナ・ウィルスの影響で休止中である。私ごととなるが、その一環として昨年3月開催予定だった「気ままな哲学カフェ」が延期のままになっている。
 原田勇男さんが、「3・11は仙台市で被災した。二週間後から津波に襲われ壊滅した石巻市南浜町と門脇町、仙台市荒浜ほか被災三県の海辺を取材した。地獄のような光景に直面し言葉を失った。」(142ページ)と記す。
 原田氏は、この取材の中で、気仙沼の第18共徳丸の光景もご覧になっている。
 河北新報生活文化部副部長の宮田建氏、南三陸町出身の須藤洋平氏の詩集『あなたが最期の最期まで生きようと、むき出しで立ち向かったから』(河出書房新社)を取り上げ、「愛だ、救いだ、神だとかいう」「胡散臭く思われる」「言葉に命を吹き込んだ」(144ページ)と評価される。
宮田氏は、上で触れた河北新報の「東日本大震災10年」企画の担当者であり、実は、宮城県詩人会会員の詩人である。

《マーサ・ナカムラ、前橋、気仙沼》
 さて、特集ではないが、巻末のスクランブルに、前橋文学館で「変な話がしたい。マーサ・ナカムラ展」が開催されているとの紹介が掲載されている。これも、気仙沼に関係する話題ではあるが、詳細は省く。ただ、会場には、気仙沼市のマスコット・キャラクター、ほやボーヤが展示されているという情報がある。
 ということで、まさしく現場である被災地気仙沼に暮らす身であるからではあるが、関係分の紹介だけでも、ずいぶんな分量となった。

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