ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

波止場のエディ 気仙沼2005 Ⅴ 岸壁のポケットパーク

2021-03-03 20:50:12 | 波止場のエディ
 気仙沼では、山に木を植える人々がいる。山に木を植える漁師たちがいる。
 「森は海を海は森を恋いながら悠久の愛紡ぎゆく」と歌った歌人もいる。
 そして、内湾に面した岸壁の遊歩道のベンチを置いた一角の、車道との間の打ち捨てられた花壇に、どうだんつつじを植える若者たちがいる。
 「ポケットパークが、緑に囲まれて生き返ったようだ、というひともいる。連休の間は好天続きで、まだ、根を張り切れない樹木は、喉がカラカラだろう、というひともいる。」
 エディは、太陽光電池のオレンジ色の街灯に照らされた夕暮れのベンチに腰をかけて、傍らのエリカに手を廻そうとする。
 「つかの間の恋なんて、私は要らない。偽りのアルコールは、もっと酷く喉を乾かすだけ。生きていくには、真心と真水が必要なのよ。」

注1)山に木を植える漁師たちとは、「森は海の恋人」の畠山重篤氏らのことで、「森は~」の歌を詠んだ歌人は熊谷龍子氏である。
注2) 内湾に面した岸壁の一角、震災前の北鰹会館の前、今のKポートの道路を挟んだ向かい側に、ベンチを置いたポケットパークがあった。神明崎から海の道、魚市場までの湾岸の遊歩道のほぼ中間の休憩地点。予算の制約で、整備した花壇の植栽にまで手が回らなかったが、当時の観光協会若手メンバーを中心に、ボランティアでツツジを植えることができた。つまり、エディがこの場所に深い愛着を持つのは深い訳があったのである。
 この場所は、対岸に、昼間には安波山、夜にはライトアップされた神明崎浮見堂の、絶好の眺望点となる。



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