ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

みやぎミュージックフェスタ2008イン気仙沼 海によせて その3

2010-03-26 21:07:22 | 寓話集まで
第2部 古(いにしえ)の海辺 暗転中

紳士
―夢か現(うつつ)か、幻か。遠き昔の都人(みやこびと)は、道の奥の潮汲みの、塩炊きの、松島を見る塩釜の、港の奥の、いや、一景島見る鼎の浦の、港の奥の細浦の、塩売り、塩振り、塩降らし、いや、外海、荒海、地獄崎、いや、祝いが崎の潮吹きの、潮汲みの、塩炊きの、翁(おきな)が技(わざ)の伊勢の国、いや、伊勢が浜、薪(まき)切り、薪取り、かまど焚(た)き、甘き塩をば炊き上げて…

語り
 紳士、いやに高ぶった様子。一方、こちらは、一見、落ち着いておりますが…

婦人
―源氏物語の主人公とも目される、平安初期の尊い方が、潮汲みの老人の姿で、中世の都の辻に現れて、みちのくの海辺の塩田を思い浮かべた途端に、魂は、この土地に飛んでこられた。まるで、お能のような、不可思議なこと。ありえない!いや、確かに、いま、ここで目の前に…

語り
 感動しています。

紳士
―来(こ)ぬ人をまつほの浦の夕凪(ゆうなぎ)に焼くや藻塩(もしお)の身もこがれつつ、と、藤原の定家(ていか)の歌にあるが、待つ人は来(こ)ぬ、待たぬ人は来るのが世の習い。しかし、思い焦がれれば、待つことの叶わぬ人にも会えるもの。いや、めでたい、めでたい…

語り
 立ち別れあんばの山の峰に生ふ(おう)る、 あれ、あんば、あんば、いんば、いなば!
 立ち別れいなばの山の峰に生ふ(おう)る、待つとし聞かば いま帰り来んと、在原行平(ありわらのなりひら)も詠(うた)っておりました。

婦人
―ああ、波が!危ない、危ない。だめ、だめ、そんなに波に近づいちゃ!

語り
 融の大臣(とおるのおとど)がお連れした、あの幼子が、波打ち際で戯れております。夢幻(ゆめまぼろし)の世界の方ですから、ご心配には及びません。

紳士
―立ち別れあんばの山の峰に生ふる待つとし聞かば いま帰り来ん、と、この私が歌ったとおり、待っている、待っていると、聞こえるように唱え続ければ、待つ人は、必ずやってくるもの。あの幼子も、待つ、待つと唱えれば、今に、麗(うるわ)しい乙女となって、艶(あで)やかな舞姿を、私に見せてくれるに違いない。ふふふ。

婦人
―ああ、危ない、また波が!

語り
 奥様には、聞こえていない様子。
 さて、物事には、何事も松竹梅(しょうちくばい)、まつ、たけ、うめと位がつきます。
 生まれたばかりの女の子が、堅固なお城も傾けるような、絶世の、松の位の美女に成長するようにと、父親の願を込めた歌があったと聞いております。

紳士
―おお!これは…

語り
 あの幼子が、天からの光を浴びて、見る見るうちに成長し、美しい乙女となりました。 


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