ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

恋人の

2009-06-21 21:55:57 | 寓話集まで

歩けば砂の啼く浜は
日本の海岸の何処にでもあった
に違いない

気仙沼の大島の十八鳴浜まで
狭い沢伝いの道を下らずとも
気仙沼の唐桑の九九鳴浜まで
小舟にのって海を渡らずとも

その啼く浜の白い砂に
波の洗う砂浜に
その恋人の名を書く男も
日本のまちの何処にでもいた
に違いない

気仙沼の松崎片浜の煙雲館から
出た落合直文を待たずとも

恋人は
江戸期には
専ら廓で使われる艶やかな言葉であった
今でいう情人や愛人と同じニュアンスの言葉であった
そうだ
明治になって
欧米文学の翻訳で
現在のような浪漫ティクな意味合いで
使われはじめた
その最初期に
小説の
言文一致の二葉亭四迷と
歌の
新体詩の
緋縅の落合直文がいる
という

直文が
弟子の鉄幹の明星創刊号に寄稿した歌が
歌のジャンルの嚆矢
という
鉄幹の弟子にして妻が
晶子
あの乱れ髪の
烈しい恋愛を謳いあげた
晶子が直文の孫弟子で
同じく啄木も
明星への投稿から歌を始めた孫弟子で
中学生の啄木が
始めて海を見たのが気仙沼の内湾
という

帆船の時代に
北から吹き降ろす風を避け
沖に吹き出す風を待った港である
この内湾を
今でも
暴風の折には
風を避ける漁船が幾重にも連なる港であるこの岸壁を
そぞろ歩く恋人たちが
ピアニスト・加古隆の海の道を口ずさみながら
文明開化の昔の
直文の歌を
想い出す
ノスタルジアの波止場の
往時の新しい文学の
往時の新しい文脈の
往時の新しい文体の
往時の新しい精神の
記憶を呼び起こす
追憶の波止場の

明治の頃には
埋め立てられた残存の
内湾に砂浜が残っていたかそもそもあったかどうか私には知る由もない



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1 コメント

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歴史 ()
2010-05-31 23:08:14
 これは、気仙沼がらみの歴史、文学史ですね。落合直文は知っていますか?
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