ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

偽説 鼎の浦嶋の子伝説 その3(終)

2010-03-14 21:44:43 | 寓話集まで
 夕闇せまりて山に登れば、港のまちの燈ともりたる光景、音に聞く函館山の夜景に勝るとも劣らぬものと見えたり。浦嶋の子、ここにいたりて、この眺め、かつてより知りたるものとも思へり。乙姫に問ひけらく。姫。答えて曰わく。「ここは二十一世紀が気仙沼、この山は安波山なり。」浦嶋の子驚き不審(あや)しみて言葉もなかりき。つらつら眺むるに神明崎が浮見堂のライトアップされ朱く水面に映りたるは常日頃親しみたるものなり。
 乙姫の誘ふまま旅荘に入りて、鮪鰹秋刀魚牡蠣雲丹鮑フカヒレモーカの星など豪華なる海の幸のあふれる玉手箱膳を食らひ、鯛や比目魚の舞ひ踊るを見て宴のときを過ごしたり。ウエスト・アメリカンズなる楽団が「気仙沼の魚のうたシリーズ」となむ演奏するも面白し。サンマ・サマー、マンボウ・マンボ、戻りがつおのうた、ミス・シー・フード・イズ・ホヤ、どんこ汁(ジル)バ、鰈(彼へ)の他、新曲のフカヒレ・ソングなど珍妙なり。
 やがて、宴も終わりて、乙姫が膝枕にて、うたた眠りき。
 ふと目覚めたるに、浦嶋の子、もとの大嶋の竜舞崎の窟に独り寝たり。乙姫の姿、何処にも見えず。かたはらに箱あり。後のひと、鹿折金山にて産出したるモンスター・ゴールドにて形づくりたる純金の玉手箱となむ語り伝へるものなり。
 純金の玉手箱開けたれば、はっと白き煙上がり、海の幸あふれたる弁当現れたり。鰹鮪など食らひつつ、乙姫がこと思ひうかべたり。
 浦嶋の子、その後、陸の国気仙沼、鼎ヶ浦の浦嶋の地にて、麗しき乙女を娶りて、ともに白髪の生えるまで末永く幸福に暮したりと伝ふ。(その家、詳らかならず。)
 後の気仙沼松崎村が領主煙雲館鮎貝家より出たる歌人落合直文が「砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず」と詠みたるは、近代日本短歌にて恋人の言葉を初めて使ひたる用例なるが、遠き昔、鼎の浦嶋の子が竜宮の乙姫を思ひて己が家のまえの砂浜に佇む姿を詠へるものとなむ聞こゆ。


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