ビルボード・チャート日記 by 星船

1970年代から80年代にかけての特にビルボードのチャートを中心に、洋楽を愛する皆さまにお届けするブログです

スレイド Slade - My Oh My(1984年の洋楽 Part34)

2020-08-27 21:58:03 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart34はSladeの"My Oh My"。
最高位は8月18日と25日の37位。年間チャートは圏外でした。

Sladeですが、2カ月前に紹介しました6月16日付で最高位20位を記録した"Run Runaway"以来2度目の登場、Top40にも2曲目の登場で、最終的にもこの2曲のみがTop40ヒットになりました。

Slade、その"Run Runaway"の時にも紹介しましたが、再度復習しますと、イギリスのロックグループ、デビューは1960年代半ば、レコードデビューは1969年にリリースした『Beginnings』です。
残念ながらこのアルバムはヒットしませんでしたが、1971年にシングルの"Coz I Luv You"が母国イギリスで突然の大ヒット、70年代初めのグラムロック・ブームに乗って大人気グループとなります。
その後もアメリカではヒットが出ませんでしたが、イギリスではNo.1ヒットを連発、スーパーロックグループとして人気を確立します。

その後もライブでは相変わらずの大人気グループでしたが、70年代半ばころからレコードセールスの方は低迷していました。
そして彼らの11枚目のアルバム『The Amazing Kamikaze Syndrome』からのイギリスでのファーストシングルカットがこの曲"My Oh My"です。イギリスではこの"My Oh My"の方が先にシングルとなり久し振りの大ヒットとなりました、最高位2位を記録します。
その後、メンバーの脱退等もあり活動が停滞した時期もありましたが、今でも活躍を続けています。

"My Oh My"ですが、曲の作者はメンバーのNoddy HolderとJim Lea。
この曲はロックバラードの名曲、いい曲でしたねぇ。
70年代のNazarethの"Love Hurts"やAerosmithの"Dream On"を思い出すような美しいメロディのロックバラードです。
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ピーボ・ブライソン Peabo Bryson - If Ever You're In My Arms Again(1984年の洋楽 Part33)

2020-08-20 21:48:48 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart33はPeabo Brysonの"If Ever You're In My Arms Again"。
最高位は8月18日から3週続けた第10位。年間チャートは47位でした。

Peabo Brysonですが、R&Bシンガー。中でもソウルバラードの第一人者です。
レコードデビューは1970年代中頃。ソロで出したアルバムは、R&Bチャートではコンスタントにヒットしますが、レギュラーチャートでは大ヒットにはつながりませんでした。

初めてのシングルヒットは、Roberta Flackのデュエットで1983年に最高位16位を記録した"Tonight, I Celebrate My Love"。初めてのTop40ヒットであり、年間チャートも96位に滑り込みました。
このシングルが入ったアルバムは『Born to Love 』ですが、「Peabo Bryson and Roberta Flack album」ということで、全編Peabo Bryson と Roberta Flackのデュエットアルバムです。

そして"If Ever You're In My Arms Again"が2曲目のTop40ヒットで、この時点で彼の最高のヒットとなりました。
曲の作者はCynthia Weil、Michael Masser、Tom Snowの3人のソウル系ソングライターの共作。彼の10枚目のスタジオアルバム『Straight from the Heart』からのシングルカットです。
邦題は「愛をもう一度」。美しいソウルバラードです。Peabo Bryson、なんといってもソウルバラードが似合います。

Peabo Brysonのシングルヒットですが、実は彼一人で歌ったのはこの1曲のみ。この曲の後、1992年に全米No.1ヒットとなったRegina Belleとのデュエット"A Whole New World"を含め4曲のTop40ヒットがありますが、すべてがデュエットソングなのでした。ソウルデュエットの帝王(?)です。

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エルトン・ジョン Elton John - Sad Songs (Say So Much)(1984年の洋楽 Part32)

2020-08-13 22:42:39 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart31はElton Johnの"Sad Songs (Say So Much)"。
最高位は8月11日付の1週のみの第5位。年間チャートは54位。無数の大ヒットを持つElton Johnとしてはまずまずのヒットといって良いでしょう。

さて、今週は、Rod Stewartに続いてElton Johnと、スーパースターの連続となりました。
Elton John、もちろん洋楽ファンの皆様なら彼のことは私よりもご存知だとは思いますが、改めて彼の歴史をたどってみますと、デビューは1960年代、イギリスのみのリリース『Empty Sky』がデビューアルバム。(アメリカでは1975年にリリースされました)
2枚目のスタジオアルバム(アメリカではデビューアルバムです)の『Elton John』から素晴らしいバラード"Your Song"が全米で8位、イギリスでも7位の大ヒットとなり初めて彼の名前が世界に知れ渡りました。
1972年には"Rocket Man"が最高位6位の後、"Crocodile Rock"が全米No.1、それからは大ヒットを連発し、"Bennie and the Jets"、"Lucy in the Sky with Diamonds"、"Philadelphia Freedom"、"Island Girl"、そしてKiki Deeとのデュエット曲"Don't Go Breaking My Heart"と、70年代に6曲のNo.1ヒットを記録します。この70年代の彼の人気は凄いものでした。

その後、活動休止期間や、盟友の作詞家Bernie Taupinとのコンビを解消したりと、人気にも陰りが見えますが、それでも毎年シングルヒットをTop40に送り込み、コンスタントにヒットアルバム・シングルを出していきました。

そして1983年の17枚目のスタジオアルバム『Too Low for Zero』ではBernie Taupinとのコンビが完全復活、そのアルバムからは"I Guess That's Why They Call It The Blues"が最高位4位、年間33位を記録する3年ぶりのTop5ヒットとなります。

さて"Sad Songs"ですが(副題に (Say So Much)が付いています)、彼の18枚目のスタジオアルバム『Breaking Hearts』からのシングルカット。"I Guess That's Why They Call It The Blues"に引き続きのTop5ヒットとなりました。このアルバムからは他に2曲がTop40ヒットとなりります。

この曲、アルバムのヒットの後も、彼の人気は衰えることなく、というよりも、さらに彼の人気が高まってきたところもあるほど、息の長い活躍となります。
88年には"I Don't Wanna Go on with You Like That"が最高位2位、George Michaelとのデュエット"Don't Let the Sun Go Down on Me" が1位、
そして97年には"Candle in the Wind 1997"が14週間の1位の歴史的な大ヒットとなるなど、今でも活躍を続ける偉大な歌手です。

"Sad Songs (Say So Much)"の作者はElton Johnとその盟友の作詞家Bernie Taupin。黄金のコンビの作です。
題名は"Sad Songs"ですが、70年代後半のスランプ時期のような悲し気な曲調ではなく、明るく楽しい曲です。
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オリー&ジェリー Ollie & Jerry - Breakin'... There's No Stopping Us(1984年の洋楽 Part31)

2020-08-06 20:46:09 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart31はOllie & Jerryの"Breakin'... There's No Stopping Us"。
最高位は8月4日付の1週のみの第9位。年間チャートは80位。Ollie & Jerry初めてにして唯一の大ヒットになりました。

Ollie & Jerryの"Breakin'... There's No Stopping Us"、突然の大ヒットでしたが、この曲、映画「ブレイクダンス」の主題歌だったのです。ブレイクダンスを世界に有名にしたのはこの映画だったのですね。
映画は、私は見ていませんが、映画の重要な場面で使われたのがこの曲です。
曲の作者、プロデュースともに、Ollie & Jerryが手掛けています。

さて、Ollie & Jerryですが、彼らはなんとあのRay Parker Jr.率いるバンド「Raydio」の1978年のヒット曲、ビルボードでは最高位8位を記録した"Jack and Jill"の時のメンバー、リードボーカルとベースがJerry Knightで、drumsがOllie E. Brownです。
その後、両者とも、セッションミュージシャンとして活躍し、この映画のためにコンビを組んだようです。
ヒット曲はこの"Breakin'... There's No Stopping Us"のみの1発屋で、もう1曲この映画の続編「 Breakin' 2: Electric Boogaloo」の主題歌"Electric Boogaloo" がHot100には入りましたが、残念ながら最高位は45位とTop40入りは逃してしまいました。


こちらが映画バージョンです。重要な場面で使われたようです。
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エディ・グラント Eddy Grant - Romancing the Stone(1984年の洋楽 Part30)

2020-07-30 20:32:15 | '84年洋楽
1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart30はEddy Grantの"Romancing the Stone"。
最高位は7月21日と28日付の第26位。年間チャートは残念ながら圏外でした。

"Romancing the Stone"、いい曲でした!もっとヒットしたと思っていましたが、最高位26位、Top40には6週間のみの小ヒットで終わってしまったのは残念でした。それでも印象に強く残っているのは、日本でヒットしたからなのでしょうか?
元々はロバート・ゼメキス監督の映画『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』の主題歌として作られたそうですが、どんないきさつか、映画では(ほとんど)使われなかったとか。それが小ヒットで終わってしまった理由かもしれません。映画は面白かったと思います。ちゃんと映画に使われていれば、曲が良かったので大ヒットになったのかもしれませんね。

Eddy Grantですが、南アメリカの「ガイアナ共和国」生まれ、元々はイギリス領ギアナ、南アメリカで3番目に小さい小国です。
1960年代中頃からイギリスでグループ活動を始めたようです。
ソロ活動に移行後、人気が得たのは80年代に入ってから、彼の3枚目のソロアルバム『Walking on Sunshine』からのシングル"Living on the Front Line"が初めてイギリスのヒットチャートに登場します。
そして、7枚目のソロアルバム『Killer on the Rampage』からのシングル"Electric Avenue"、「エレクトリックレゲエ」というのでしょうか、新しい音楽で世界的な大ヒットになりました。全米で第2位、全英でも2位を記録します。

"Romancing the Stone"ですが、曲の作者は彼自身。彼の8枚目のソロアルバム『Going for Broke』からのシングルカット曲で、ポップでテンポよく、ギターソロもカッコ良く、大ヒット間違いなしと思える曲でありました。


こちらが1983年7月2日から5週間の2位を記録、"Electric Avenue"。年間1位のThe Policeの"Every Breath You Take"を抜けずに2位止まりではありましたが、大ヒットでした。エレクトリックポップレゲエという新しい音楽、これまで聞いたことがない異色の曲でした。
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