塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

逸脱という居心地の悪さ

2013-01-20 00:47:44 | 日記
 僕の父は口癖のように

 「仕事は綺麗に時間通りにやらないと意味が無い」

 と言います。

 僕とウマの合わない上司も同様の意見のようです。

 ですから仕事中や家の手伝いの最中、ほんの少しでも逸脱したと感じてしまうと、その逸脱した行為そのものが凄く心の
負担に感じてしまいます。

 僕は心の中で

 「大丈夫、問題ない」

 と繰り返し唱え、実際その通りの事が多いのですが、馬鹿みたいな話ですが彼らが不手際を起こしても、涼しい顔をしてい
ることが多いのです。

 周囲には随分と圧力をかけているはずなのですが。

 日本のサッカー選手が逸脱、言い換えれば監督の意見を尊重しすぎると言われているのは、僕が感じている心の負担を彼ら
も担っているためではないでしょうか?

 普通に生活している人間と、プロとして常に評価が隣り合わせに人間を比較するのは暴論でしょうが、根っこは変わる事が
無い気がします。

 サッカーは味方と相手がミスを繰り返すスポーツです。

 ですから得点が生まれるわけですし、その度合いによって退場や警告が生まれるわけで、実生活の中でもミスを犯さない人
間は存在しません。

 僕は不思議なことに、夜眠る頃になると決まって

 「ああ、あれやってきかな。」
 「失敗した、片づけをひとつ忘れてきた。」

 と自分の行動を振り返って眠れなくなる時が多々あります。

 メンタルの弱さを自分でもつくづく痛感してしまうのですが、案外他人からすれはどうても良い出来事でもあるのです。

 例えばサッカーでPKを外した際、その責任を追及されるのは致し方ないのでしょうが、逆に周囲が蹴った選手の勇気を
尊重することも、心の負担を和らげるはずです。

 大観衆とテレビの前で考えられないくらい大勢の人間が見ている中で蹴る度胸があることは、本当に素晴らしいと思いま
すから。
コメント
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