塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モウリーニョとファーガソンに見る共通認識

2013-03-17 23:26:32 | 日記
 今の段階ではモウリーニョの去就がはっきりしません。

 アレックス・ファーガソンがこのポルトガル人を高く評価していることは有名ですが、ファーガソンは彼に自分と同じ
才覚を見ているのでしょう。

 その才覚というのは戦術に関することではなく

 「副官を育てて一人前にすること」

 にあります。

 イングランドにおいて監督はマネージャーとよばれ、選手の体調管理と休日の設定、そして戦術の確認と対戦相手の
分析など、その作業は多岐にわたります。

 オフシーズンも携帯電話は鳴りやまないと言いますし、監督が全ての権限を持つ貴重な存在とは言え副官の存在が大き
なアドバンテージになります。

 ファーガソンの場合はスティーブ・マクラーレンやカルロス・ケイロスを育て、巣立ってゆく様を見届けました。

 両者が師匠と同じだけの名声と評価を得ているわけではありませんが、それでもユナイテッドで培った出来事は有意義
な出来事だったと思います。

 モウリーニョはインテル時代、副官のジュゼッペ・バレージに記者会見で応答してもらうなど、信頼を置いていました。

 それはモウリーニョの舌鋒が理由でメディアとの間に軋轢が生じ、彼が定例会見に臨めなかったというマイナス要素が
あったにせよ、副官の存在が確かだったからこそ、この決断が出来たとも言えます。

 今プレミアで最も注目を集めるのがWBAですが、このクラブを率いるスティーブ・クラークも、モウリーニョの副官と
して鳴らした存在でした。

 かつてリバプールを率いたラファエル・ベニテスのように、トップだけでなくアカデミーも含めた全権を手中に収めた
例もありますが、やはり

 「手に余ってしまう」

 事が多いですね。

 ですから副官を育て、自分の枠割を減らし集中力を持続させる決断を下すことも、有能な指揮官にとっては不可欠なの
でしょう。

 例えば日本代表で言えば、トルシエを支えた山本氏はその良いサンプルと言えます。
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イングランド、母国が抱える矛盾点

2013-03-17 01:27:54 | 日記
 ワールド・ベースボールクラシックのアメリカを見ていますと、ワールドカップに冷淡だったころのイングランドが
思い浮かびます。

 ウルグアイの地で記念すべきワールドカップが初開催された際、この場合はイングランド以外の欧州各国も長い船旅
を敬遠し、不参加を表明しましたが、母国と自他ともに認めるイングランドの場合は様子が異なりました。

 つまり、自分たちが最も優れたサッカーをしている。

 自負心というよりもエゴの方が勝っていたのです。

 イングランドの夢はハンガリーが打ち砕きますが、彼らも動乱の為に時代の趨勢から取り残されてゆきますし、30
年代に栄華を誇った隣国オーストリアも、近年はメジャー・トーナメントから遠ざかっています。

 2000年代前半のフランス
 2000年代後半のスペイン

 というよううに、時代はある主要国を軸に回り、そして新たな主要国が生まれるサイクルは今も昔も決して変わりま
せん。

 イングランドが66年のワールドカップで優勝してから今年で47年が経過しますが、それでも人々はサッカーに生涯
をささげ、基盤となるクラブに大声援を送っています。

 アメリカも大リーグという世界屈指のリーグがありながら世界制覇出来ないことは、ある種の逆説と言っても良いので
しょうが、やはり選手の大半が祖国に留まっていることも無関係ではないでしょう。

 「勝負弱い」

 と酷評され続けたフランスはイタリアから、スペインはイングランドからそれぞれ勝負に徹する姿勢と底力を学び、そ
の敗北の歴史を払しょくすることに成功しました。

 イングランドはプレミアという世界最高峰のリーグがありますが、代表の主力がスペインかドイツでプレイするように
なれば、異なった価値観と同時に新しい概念を代表にもたらすことが出来ます。

 彼らは確かにエリクソンとカペロ、ふたりの外国籍監督を起用しましたが、それはイングランド人の中になり手がいな
いという、消極論のためでしたから。
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弾丸シュートは本当に凄い?

2013-03-17 00:30:52 | 日記
 僕たちはテレビのハイライトで流れる「弾丸シュート」に拍手を贈りますが、それはしっかりと枠に飛んでいるから
こそゴールになるわけです。

 弾丸シュートは見ていて迫力がありますし、決まった時の爽快さは格別ですが、その多くは枠をとらえていない事が
多いですね。

 ならば枠を捉えるのは、ゴロのシュートでも良いではありませんか。

 香川真司がノーリッジ戦で奪った3点目は、大変穏やかな代物で弾丸シュートよりも確実の相手の息の根を止められ
ます。

 現役時代のフィリッポ・インザーギが、相手最終ラインとGKの位置を常に把握し、オフサイド・トラップに幾度も
引っかかりながらもゴールを量産できたのは、彼のシュートが確実に枠を捉えていたことと無縁ではありません。

 確かにインザーギはGKとの1対1を外したこともありますし、ポストにシュートが弾かれ、懸命にゴールラインに
戻ってきた相手DFにボールをかき出されたこともあるでしょう。

 しかし、弾丸シュートを遠い位置から打たれることよりも

 「より確実に、しかも嫌らしく」

 ゴールを奪うことができたインザーギは、友人であるクリスチャン・ヴィエリよりも相手からすればずっと脅威に見
えたのではないでしょうか?

 テレビのハイライトは見ていて楽しいものですし、番組の華であることも否定しません。

 しかし、弾丸シュートをただ称賛していてもその感覚で捉えるようになってしまいますと、Jリーグと日本代表FW
を批評する際の妨げになってしまうでしょう。

 ボールをネットに押し込むには、長距離よりも近距離、高いシュートよりも低いシュートの方が理に適うのは当然と
言えますしね。
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