塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

食べる事の怖さ、劇的な改善

2013-03-19 22:19:55 | 日記
 今の時代、3食を適切な量、適切な時間帯に食べられる方の方が少ないでしょうね。

 僕は会社に弁当を持参しますが、帰宅後23時過ぎに再び夕食を食べますから、お世辞にも良い食べ方とは言えません。

 いけないのはその「繋ぎ」として、会社帰りにおやつを買うことで、ジャンクフードやビスケットを食べて腹を満たす
というわけです。

 外でも家でも、飲むコーヒーを「微糖」「無糖」に出来る限りしていることは、細やかな抵抗ではあるのですが、恐ら
く意味はないのでしょうが。

 こうしてみますと、サッカー選手の体調管理はある種時代に
 
 「逆行」

 しているかもしれません。

 金子達仁氏の著作「決戦前夜」の中に、川口能活が

 「俺、太りやすいから」

 と理由で連れられた串焼き店で、提供された鶏のもも肉の皮を剥いで食べる場面が登場しますが、彼はナンバー500
号の中でこの行為に触れ

 「ゆとりがなかった」

 と回想しています。

 世間一般で思われているほど食事に注意はしていないよ、そうカズも話していますが選手も当然好きな料理を楽しむ権利
があります。

 ただ川口のように

 「今この一皿を食べてしまったら、全てがぶち壊しになるのでは」

 という恐怖感が選手の中にあることは確かでしょうし、ベンゲルがアーセナルの食事内容を改善して選手たちが蘇った話
も有名です。

 僕個人としては時にジャンクフードや宅配ピザ、ラーメンを選手が味わって良いと思います。

 その代りに

 「ああ、食べてしまったから練習しっかりやろう」

 と思えたら良いのではないでしょうか。

 店の方も日本代表に限らず選手が来店すれが嬉しいでしょうし、地元の店をクラブと選手が紹介することも必然ですしね。
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マイケル・オーウェン33歳、引退を発表

2013-03-19 22:02:13 | 日記
 今彼の居場所はストーク・シティ。

 マイケル・オーウェン33歳が今季をもって引退します。

 1988年のワールドカップ対アルゼンチン戦において、ロベルト・アジャラをかわして放ったあのシュートに彼の
未来が凝縮されているように見えたのですが。

 アラン・シアラーが欧州選手権2000の後にイングランド代表を退き、エバートンでウエイン・ルーニーが台頭し
ても、ベッカムと共にオーウェンは代表の支柱であり続けました。

 しかし彼の魅力である敏捷性は、名声だけでなく

 「ハムストリングの負傷」

 という故障ももたらす結果となりました。

 ロナウドがバルセルナからインテルに移籍後、相次ぐ膝の故障で戦列を離れたように、肉体そのものが時に脳に閃い
た動きを支えることが出来なかったのです。

 オーウェンもロナウド同様に欠場することがしばし見受けられましたが。

 ジェラール・ウリエの描くカウンター・サッカーに、マイケル・オーウェンという選手は欠かせない存在であり、エー
スの座もロビー・ファウラーから引き継ぎます。

 しかし一見同じサッカーを目指しているように見えたラファエル・ベニテスは、このイングランド代表FWは不要と考
え、レアル・マドリーへの売却を余儀なくされます。

 スティーブン・ジェラードがイスタンブールの地でチャンピオンズ・リーグ優勝の余韻に浸ったことは、オーウェンに
とって厳しい結果でしたが、彼がユナイテッドでジェラードがまだ手にしていない

 「プレミア優勝」

 を2011シーズンに味わったことも皮肉な結果ですね。

 ベニテス就任がなければ、両者は共にプレイしていたでしょうか?

 しかしブレンダン・ロジャースのサッカーにジェラードが必要でも、オーウェンという存在はきっと不要でしょう。

 彼の名前をずっと早く振り切れたという点では、ファンはベニテスに感謝すべきかもしれません。
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熟睡できること、気持ちの切り替え

2013-03-19 14:55:07 | 日記
 サッカー選手はどんな試合の後、熟睡することができるのでしょうか?

 例え1-0で勝利しても内容が芳しくなければ寝返りを数多く打つのかもしれませんし、2-3、3-4など打ち合った
末の敗戦でも、ファンが暖かい声を掛けてくれた上に、内容も伴っていたならゆっくり眠れるものでしょうか。

 ポジションの問題もあるでしょうね。

 どんなに内容がよくとも敗戦であれば勝ち点は「0」であり、最終的にこの敗北で降格する可能性も出てきてしまいます
が。

 サッカーに限らず、どんな職業でも従事していればおのずと責任が生じますし、監督や中軸ならばその負担は倍増します。

 ですからサッカーにおいて

 「遠征先でも自宅でも快眠できるメンタリティ」
 「敗戦を糧にしながら、同時に次節への希望を見失わないメンタリティ」

 このふたつの内面が本当に大切だと僕は思うのです。

 傍から思うと些細な出来事でも、当人からすれば非常に気になることがあります。

 僕は気になることがあるとよく眠れず、布団の中で随分寝返りを打つことがありますが、サッカー選手はもっとシビアな
環境に置かれていますから、やはり眠れない時もあるのでしょう。

 DFの選手ならば

 1・ハンドやファウルでPKを献上
 2・相手FWと競った際に相手を怪我させてしまった

 などがそうでしょうし、FWならば幾度もシュートを外した日が当たると思います。

 ポジションに関係なく退場した際の居心地の悪さは、僕たちが到底感じることが出来ない代物でしょうし、だからこそ彼
らは口ぐちに

 「切り替え、切り替え」

 と自分を鼓舞する事で、心を落ち着かせているのですね。
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俯瞰して状況を見るむずかしさ

2013-03-19 14:38:30 | 日記
 無我夢中で仕事をし、帰宅してその内容を冷静に振り返ると

 「ああ、あれで良かったのだろうか?」
 「他のやり方があった気もするし、これをやってくるのを忘れたな。」

 と凄く不安に感じることがあります。

 出来るだけ頭を働かせ、周囲を見渡すように心がけていますが、やはり俯瞰する作業はどんな場合でも難しいですね。

 現役時代の中田英寿がこの俯瞰、言い換えますと空間把握能力が抜群に優れていたと言われていますが、第3者とし
ての見方、サッカーで言えば監督の指示がどれだけ大切かがわかります。

 野球は攻撃と守備に分かれますし、バスケットボールもサッカーと比較すれば選手交代の幅は広く、同時にタイムを
請求できるうえ、監督が作戦ボードで指示を与えられます。

 サッカーでは

 1・選手交代は3人まで
 2・試合中、監督はテクニカル・エリアにまでしか侵入できない
 3・ボールデッドで選手が給水を行う際、監督は声を掛けられるがその回数が限られたもの

 など、選手と監督のコミュニケーションは試合中、非常に限られています。

 ハーフタイムの15分が物を言いますが、監督によっては再度戦術の徹底を図る場合もあれば、選手の興奮が収まる
まで監督が待ち、ジャージの交代やアイシングを終えてから声を掛けることもあります。

 どんなに事前準備を行おうとも、その内容が覆る可能性が大きいこともサッカーの特徴です。

 準備が功を奏して

 「ゆとりが生まれる」

 ならばまだ良いのでしょうが、退場者と故障者の存在、前半早い段階から失点するなど、予想外の出来事に対峙した
際に監督と選手の意思疎通が問われます。

 だからこそファンの多くが

 「監督になってみたいものだ。」

 と願うのかもしれません。

 
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おとぎ話にサッカー、伝承の継承

2013-03-19 02:01:35 | 日記
 花咲かじいさんや桃太郎のように、おとぎ話というのは祖父母や両親の口から子供たちに語り継がれるからこそ、その
物語が途絶えないわけです。

 サッカーも似た状況にあります。

 例えばアルゼンチンがそうで

 「1986年にはマラドーナが祖国を世界王者に導いたのよ。」
 「イングランドとの一戦で見せた5人抜きは、メキシコの人間だけではなく世界中を虜にしたものさ、イングランド人
  を除けばな。」

 というように、マラドーナの偉業を聞かせれた子供たちは、今親となって同じ話を子供にしているはずです。

 世代的にはもうメッシの時代ですが、映像ですら観たことがないであろう世代も、こうして祖国の代表が残した足あと
を知らず知らず認識してゆくわけです。

 日本サッカーも部分的にはそうで、例えばメキシコ五輪がそうですね。

 「釜本は本当に偉大だった。」
 「当時日本にプロは無かったが、彼は世界中のクラブから欲しがられたのさ。」

 と言う話は僕でも知っています。

 そして断片的にではありますが、杉山に八重樫、横山、宮本といった当時の五輪の主力選手さえも。

 これは今もって日本サッカーの金字塔であり、かつてサッカーで誰もが知る話題と言えば、この話しか知られていなかっ
た側面もあるのですが。

 ちなみに僕が小学生時代、このメキシコ五輪代表選手の話が教科書に掲載されましたが、それは彼らが

 「フェアプレイ賞」

 にも輝いたからです。

 相手を敬い公平に戦う姿は、学校の教材としても魅力的だったのでしょうね。

 昨日のワールド・ベースボールクラシック、街中の電気店には代表を応援する多くの方が詰めかけましたが、2014年に
も同様の光景ができることを期待しますし、そろそろ金字塔を劇的に

 「書き換える」

 時が来ても良いと思います。
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