塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

古いサッカー雑誌から世相を読み取る

2013-03-12 23:33:10 | 日記
 ここ最近、新刊と中古を問わず本を買うことを控えていますが、それでも古本屋に通っていると思いもよらない掘り出し
物に遭遇します。

 ワールド・サッカーダイジェストが巻末のバックナンバーの在庫状況を掲載していますね。

 その下段には「ワールドカップ・スペシャル!!」と題して、ハードカバーの完全保存版2500円の広告があるのです
が、僕はそのオリジナルを一冊手に出来ました。

 広告では1982、86、90年大会の3冊を「復刊」の形で販売していますが、僕の手にした86年度版はソフト・カ
バーで、定価850円と記されています。

 マラドーナがジュール・リメ杯を高々を掲げている表紙に

 「マラドーナのアルゼンチン
  8年振り2度目の世界チャンピオン」

 と書かれたその言葉を読みますと

 「どれだけの薬物をマラドーナは接種したのだろうか?」

 という気持ちになります。

 贅肉もなくそのバランスの取れた肉体は、バルダーノやルジェリ、バチスタという他の代表選手から見ても羨望だったの
ではないでしょうか。

 中を見ますと、記事の他様々なブランド広告(パトリックやル・コック、裏表紙はプーマ)と店舗紹介があります。

 当然今のようなホームページ・アドレスはなく、店舗までの地図が掲載されているのが特徴です。

 ナイキやリーボックがこの頃はサッカー市場に進出しておらず、ヤスダやモンブランといった老舗の影響が濃かった時代
です。

 今見ると選手たちが着ているジャージもどこかレトロで、足下は黒一色と言った具合。

 いかに今の選手たちが履くスパイクが鮮やかで、軽量化されているのかが一目瞭然です。

 ちなみにこの時マラドーナはプーマの愛用者でしたが、プーマ・ジャパンではなく当時の代理店「リーベルマン」の連絡
先に記載されていることだけでも、時代の流れを痛感します。
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鬼平犯科帳を読んでバルサとレアルを考える

2013-03-12 01:52:31 | 日記
 僕が今読んでいる本は「鬼平犯科帳」で、4度目の再読になります。

 ご存知の方もいいと思いますが、実はこの作品は完結していません。

 池波正太郎先生が文庫本では24巻にあたる「誘拐」を執筆中病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったためです
が、新作を読めなくとも鬼の平蔵様に何度も出会える楽しみが、この作品にはあります。

 鬼平犯科帳を読めば、下手な人生指南本、ビジネス本を読む必要はありません。

 確かに創作話ではあります。

 しかしその人物の表情や心の描写は本当に素晴らしく、例えば平蔵様が全幅の信頼を置く与力、佐嶋忠助はお頭は前任
者の堀帯刀から鬼平様に変わったとたん、その表情が素晴らしく輝きます。

 つまり、部下というものは上司によって磨かれるものなですが、逆に部下によって上司も成長するわけです。

 現在のバルセロナも指揮官と選手の関係を考えるうえで重要な存在です。

 グアルディオラ去りしバルサを指揮するのが、昨年までアシスタント・コーチを務めていたティト・ビラノバで、この
人選は理に適ったものとされていました。

 ビラノバがトップの監督を務めることを疑問視する声もありましたが、それはベップが監督に就任した2009年も同
様で、前任者があれだけの功績を遺したため、

 「新人監督における経験不足」

 を唱える声はさほどではありませんでした・

 しかし、彼がガンという病におかされるとは、周囲だけでなく本人もおもっていなかったでしょうし、再び戦列を離れ
るのは明らかに予定外でした。

 リーガの覇権を奪回するのは間違いありませんが、あれだけ優れたバルサの選手たちも指揮官不在という類では、戸惑
うことも多かったのでしょう。

 バルサと対の間柄になるモウリーニョは、スティーブ・クラーク、ヴィラス・ボアスとは随分疎遠のようで、特に後者
とは全く連絡をとっていません。

 バルサは前任者を踏襲することができますが、監督によって目的が異なるレアルでは、選手も覚えることがあって大変
のように見えます。
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