塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

岡田氏に見た腹を括る事の大切さ

2013-03-18 23:33:23 | 日記
 2007年の秋、イビチャ・オシムが脳梗塞で倒れ、第二次岡田政権が発足します。

 その際岡田氏は「接近、展開、連続」という言葉を用いて前任者の戦術を踏襲することを表明しましたが、本当は氏は最初か
ら、自分の色を出したかったのではないでしょうか?

 でも、自分の意思を伝えるのは、恐れと躊躇があったのだと思います。

 これが純粋な政権交代ならば何の問題もなかったのでしょうが、オシムが病に倒れたという突発的な出来事だった上に、ワー
ルドカップアジア予選まで、岡田氏に残された時間はさほど多くありませんでした。

 それ以上に、オシムが残した

 「水を運ぶ人」
 「日本サッカーの日本化」

 という言葉が一人歩きをしてしまい、かなりの注目がサッカーの質そのものではなく、彼の言葉に注目が集まってしまいました。

 ですから岡田氏が就任当初から独自色を出せば

 「どうして時間も無いのに前任者の遺産を活用しないのか?」

 という批判を浴び、仕事がしにくい環境が生み出てしまった可能性は高いと言えます。

 ですから

 「自分のやりたいようにやる」

 と宣言した時、彼は腹を括ったのでしょうね。

 一般企業はそうではないと思いますが、客商売では僕のような末端が出社、責任者が休日という日がよくあります。

 ですから、責任者の伝言や仕事の内容をメモで確認しても、自分の意思、言い換えれば優先事項や方法はその都度変化してゆき
ます。

 それはお客の入り、商品の入荷量で変化する為、最適を生み出すための「最善」の方法を常に模索しないといけないのです。

 「責任者はこうしろ言っているが、このやり方では怒られるかな」

 と内心で躊躇することもありますが、勢いで片づけてしまうと案外はかどる事も多いのです。

 人間、時の流れよりも覚悟を決めた方が良い結果が得られるのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユヴェントスが来日した85年と96年

2013-03-18 00:29:14 | 日記
その一方でユーヴェが参戦した2度のトヨタカップは、どちらも強烈な印象を残しています

 まず1985年の対アルヘンティノス・ジュニオルス戦ですが、国立競技場の大観衆とテレビの前に居座った視聴者は、
アルド・セレナはオフサイド・ポジションに居たということで無効となった、プラティニのボレー・シュートに騒然とな
りました。

 「プラティニ・ゴール! スーパーゴール! ビューティフル・ゴール!!」

 とアナウンサーが絶叫するも、茶色の土のグラウンドにふてくされて寝ころぶフランスの英雄が見せた、精一杯の

 「エスプリ」

 に、世界の凄さを感じた方は多いと思います。

 この時のユヴェントスにがGKのタッコーニ、FWのラウドルップと脇役にも恵まれていました。

 そして改めて

 「デルピエロ・ゾーン」

 という言葉が日本で認知された1996年大会は、同じくアルゼンチンのリーベル・プレートを迎えての一戦でしたが、
誰よりもこの戦いを望んでいたのがジダンでした。

 敬愛してやまないウルグアイ代表のフランチェスコリと対戦できるということで、ジダンは気合十分でしたがまだこの
時はそれほど注目を集めていたわけではありませんでした。

 デルピエロにフェラーラ、トリチェッリというイタリア代表にボクシッチ、デシャンという外国籍選手の方が、注目度
は高い時代でした。

 ジダンはその後、1998年、2000年にメジャー・トーナメントで優勝し、名実共に世界最高峰に上り詰めます、

 そんな若き日のジダンを見ることが出来たファンは、非常に幸運だったと言えますね。

 現時点ではこれが彼らの最後のクラブ、ワールドカップでの姿ですが、今季優勝を逃すと来年以降、再び苦しい戦いが
余儀なくされるでしょう。

 (参考資料 日刊スポーツ 第22回トヨタカップ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アントラーズとユヴェントスが抱える共通項

2013-03-18 00:13:59 | 日記
 ユヴェントス。

 イタリアきっての名門クラブであり、郷土愛が強い事で知られるこの地で全国区の人気を誇る彼らは、ガエタノ・シレア
アントニオ・カブリーニを筆頭に多くのイタリア代表を輩出してきました。

 アントニオ・コンテ政権が誕生した昨年は、無敗でセリエAを制覇し優勝回数は28度を数えます。

 あのカルチョ・ポリが無ければ、今頃彼らは前人未到の星3つを胸元に括り付け、今季を戦っていたはずです。

 鹿島アントラーズ。

 Jリーグ誕生以降その適切な選手補強と強化方針により、名門の名をほしいままにする強豪クラブとして知られています。

 かつて競い合ったジュビロ、ヴェルディ、F・マリノスが優勝から遠ざかるのをしり目に、昨年のナビスコ・カップ制覇
で手にしたタイトルは総勢16.

 2000年には3冠を達成し、ユヴェントス同様に多くの代表選手を生み出してきました。

 しかし不思議な事に、このイタリアと日本を代表する両者は、一歩外に足を踏み出すとその評価が一変します。

 ミランのガッリアーニが

 「ミランは世界で最も国際タイトルに恵まれている」

 と時折胸を張りますが、ユヴェントスがチャンピオンズ・リーグを制覇したのは1985年と1996年のわずか2度で
あり、アントラーズはまたアジア王者に輝いていません。

 僕自身振り返っても、アントラーズがアジアの残した足跡を思い浮かべることは出来ず、この点だけを考慮すればレッズ
とガンバの印象の方が強いですね。

 ユヴェントスにも言い分はあるでしょうが、その中には彼らとは無関係な外的要因もあります。

 1985年の決勝はリバプールとの対戦でしたが、この年はあの「ヘイゼルの悲劇」が起きた年で、彼らの優勝が霞む
大参事となってしまいました。

 またユヴェントスは2003年に決勝に進んでいますが、この時はミランにPK戦のすえ敗れています。

 「イタリアのクラブ同士の退屈な試合」

 という報道があったように、ミランもユーヴェも周囲からの視線は芳しいものではなく、守備的サッカーの決勝戦と批判
される形に陥ってしまいました。

 今季は優勝を狙える位置にいますが、インテルのファンは彼らの失態を希望するでしょう。

 リーグ優勝の回数は格段に劣るも、インテルは欧州王者に3回輝いていますから、この点では彼らをからかえる立場にい
ますので。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする