塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーとソーシャル・メディアの発達

2013-03-15 23:36:02 | 日記
 インターネットと携帯電話、そして次々誕生するソーシャル・メディアによって、地球を駆け巡る情報伝達は更に速度
を増しています。

 ではこの速度をサッカーは利益として得ているのでしょうか?

 僕は得られている面はあると考えます。

 例えば東南アジア、MLSに代表される新興リーグに関してです。

 木崎伸也氏の文章だったと思いますが、ハンブルクに高原直泰が移籍して間もない2003年、ドイツでは本当に日本
にゴールポストが存在するのか、という不安の声があったと聞きました。

 カズがジェノアと契約しているときも同様で、東洋人にサッカーが出来るとは思えないという思い込みで、カズは随分
苦労しました。

 サントスを筆頭にブラジルで腕を磨いた事など、まるで考慮されなかったのです。

 Jリーグは誕生当時から「Jリーギ」と呼ばれ、ブラジルでは放送がありましたがここにきて東南アジアでも放送がは
じまりましたし、僕たちもMリーグやSリーグの存在を知っています。

 ソーシャル・メディアが発達する事は、それだけ各国の試合映像が入手しやすい上に、選手個人だけでなく代表の力量
も推し量れる形になりました。

 例えばMリーグにスペイン代表として活躍したグイサが加入しましたが、もし数年前ならいかに高い報酬が得られたと
しても、新天地に東南アジアを選ぶことは考えにくかったと思います。

 ましてやスペインという、選手ならば皆がこの地に立ちたいと思う国から来たわけですから。

 エミール・ヘスキーやデル・ピエロがオーストラリアを選んだことも、事前に様々な情報収拾が簡単になったことを意
味します。

 ネガティブな話題も一気に広まる危険性もありますが、現在はまだポジティブな面があるように思うのです。
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シャヒンとパウロ・ソウザ、ふたりの事例から学ぶ

2013-03-15 01:04:52 | 日記
 ゴール・コムにトルコ代表ヌリ・シャヒンが、指揮官ブレンダン・ロジャースとのポジションの相違があったことを
明かしています。

 ワールド・サッカーダイジェスト2012年10月4日号で、このトルコ代表はリバプールの赤ジャージを纏う喜び
と指揮官と同じ目線であることを好意的に語っていたのですが、折り合いというのは難しいですね。

 シャヒンによると、ロジャースは彼をFWの真後ろ、つまり

 「背番号10」

 の位置で起用したかったとのこと。

 シャヒンにとって本来のポジションでは無かったため、彼はロジャースに問いただしたところ、答えてはくれなかった
と語っています。

 ロジャースとしてはジェラードとシャヒン、そして愛弟子のジョー・アレンをスアレスと上手く組み合わせるためには
シャヒンを一列あげるべきだと考えたのでしょうか?

 セントラル・ミッドフィルダーが一列ポジションを上げることは、僕たちが考える以上に大変なようで、インテルもか
つてこの事例で失敗しています。

 2000年インテルはマルチェロ・リッピ政権で戦っていましたが、彼はユヴェントス時代の教え子であるパウロ・ソ
ウザをドルトムントから獲得し、彼を2トップ下で起用します。

 このポルトガル代表MFはリッピの要求にこたえるべく奮闘するも、思うように事は運ばずパルマに移籍を余儀なくさ
れます。

 ソウザもリッピにこの変更について言及しましたが、納得できる返答は無かったと言います。

 選手としては当然本来の位置でプレイしたいが、クラブの事情が許さない時もありますが、リバプールもインテルも駒
は他にも存在しました。

 指揮官の胸の内はわかりませんが、コンバートはそれだけ神経を使う事柄であることは間違いありません。
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クライフェルトと柳沢、その考えの根底にあるもの

2013-03-15 00:41:47 | 日記
 「そう、僕はシュートをチームメイトに良いパスをだすだろ?もちろんまず考えるのはシュートだけれど、僕より
  周りに良いポジションをとっている選手がいれば僕はそちらにパスを出す。」
 
 「(中略)つまり僕は自己中心的なプレイヤーじゃないのさ。」

 この言葉はナンバー498号で杉山茂樹氏が執筆した、オランダ代表FWクライフェルトのインタビューです。

 この号はオランダとベルギー共同開催とった欧州選手権2000のプレビューが目玉記事であり、表紙もこのオラン
ダ代表FWを起用していました。

 同い年で誕生日までが一緒のファン・ニステルローイが負傷欠場となったため、クライフェルトへの注目が一層高
まった時期でもありましたが、この文章をよむと、あの人物の名前が浮かんできます。

 「柳沢敦」

 元日本代表FWであり現在はベガルタ仙台に在籍する彼と、当時のクライフェルトが全く同じことを示唆している
ではありませんか。

 しかし前者がこの発言をするたびに

 「柳沢の姿勢はFWに向いていない」

 と嘲笑する人間が多かったはずですが、後者に対してそのような批判めいた話は聞いたことがありません。

 むしろクライフェルトの得点能力、例えば98年ワールドカップ対ブラジル戦で見せた鮮やかなヘディングと同じ
ように、彼のパス能力を視野の広さを讃える声が多かったはずです。

 柳沢への批判は、

 「日本代表FWの脆弱」

 とい一般的な見方がそうさせたのかもしれませんし、単純に比較してクライフェルトの方がFWとして得点を量産
することに長けていた面もあるのでしょう。

 つまりクライフェルトは点も取るがパスも出す、しかし柳沢の場合、シュートを打たないがパスは出すというよう
な、懐疑的な見方をされていたのかもしれません。

 リール、PSV、バレンシアにニューキャッスルと、バルサ移籍以降のクライフェルトは相次ぐ移籍を余儀なくさ
れ、引退しましたが柳沢はまだ健在です。

 同じ思想でサッカーに取り組んできた両者のコントラストは、成績だけでなく現役生活でもどこか対照的ですね。
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