塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

いきなり責任を与えるべきか、それとも期間を設けるべきか

2013-03-28 22:59:48 | 日記
 最近、経済誌およびインターネットのビジネスサイトでユニクロの記事が増えています。

 内容はユニクロに新規採用された正社員の退職が極端に多いというもので、13年前の秋に同じ道を辿った僕としては
一概に見逃せないのです。

 離職の背景には

 1・学校卒業の立場でいきなり部下を持つ(パートさんに指示を出す)
 2・上からの突き上げ(業務成績)
 3・ある意味プロサッカークラブのような、完全実力主義

 という点があるようですが、特に「1」に関しては僕も板挟みの経験が在ります。

 正規雇用という僕の立場は当然給料も高く、パートさんより地位もあるわけですが、実は一番使い勝手が悪いのです。

 仕事の手際で言えば後者の方が明らかに部があるにもかかわらず、彼らの方が給料が低い。

 僕は尊大な態度で過ごしたとは思っていないのですが、4月の入社時にあった貪欲さは確実に失われ、同時に気力も自信
も無くしてしまいました。

 やはり、新入社員を育てるにはいきなり責任を与えるよりも、適度な期間を置くべきだと思うのです。

 例えばサッカーでもそうで、ロベルト・マンチーニのように初年度からフィオレンティーナでコパ・イタリアを獲得する
例もあれば、日本代表監督ザッケローニのように、下積みを行ってきた例もあります。

 つまりファン・バステンやフランク・ライカールトのような例が極めて希であり、やはり自分が持つ

 「指導方針」

 を胸に刻む時間は必要だと思います。

 僕は最近「鬼平犯科帳」を読み直していますが、サッカーに限らず武士の情けというものは時代遅れなのでしょうか。

 平蔵様は自分の子供では無いお順という幼女を手許に引き取りますが、そんな人間的暖かさが不要というわけでもない
と願いたいものです。
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98年のジャマイカ代表に見る鍛錬の大切さ

2013-03-28 18:11:48 | 日記
 時間はそれぞれ異なりますが、出来るだけ毎日エクセルシートと向き合うことで、自分の心境に変化が生じてきました。

 僕は内心「機械音痴」を自認していますが、シートを作成して印刷しお手本と比較すると、

 「僕でも何とかできるものだな。」

 と思えるのです。

 書店には500円で最新のワード、エクセルの教本が販売されており、虎の巻として買っておこうかとも思いますが、
1998年当時のジャマイカ代表も、試合数の少なさを克服して臨んだ代表でした。

 「プロ・リーグの無い国に日本が負けるわけがない」

 と意気込んでいた日本ですが、結果は1-2の敗戦でジャマイカの全得点をたたき出したウイットモアの名前を、今で
も覚えている方は多いでしょう。

 ジャマイカの指揮官レネ・シモンエスは、ジャマイカ・サッカー協会の肝いりでブラジルから招かれましたが、彼が代表
の底上げとして手を付けたのは以下の2点です。

 1・イングランドでプレイする、ジャマイカにルーツを持つ選手の帰化
 2・自分の母国ブラジルで幾度も親善試合を行う事

 つまり、試合を数多く行う事で

 「試合への入り方」「相手との間合いと駆け引き」「勝っている時の時間の使い方と逃げ切り体制」など、ワールドカッ
プ本戦で求めれれるであろう事柄を、徹底的に体に染み込ませたのです。

 一方で日本は

 「ダイナスティカップ」

 つまり顔の知れたアジア諸国と戦うだけで、岡田監督を支援しようとしましたが明らかな間違いでした。

 試合数の多さが経験値に直接結びつくとは言えないでしょうが、新戦力を例し新しい戦術に挑戦するだけの試合を、協会
が与えなかった点は確かです。

 かつて川口能活は、日々の鍛練を自分の拠り所としていましたが、ジャマイカもブラジルでの日々が支えになっていたの
でしょう。
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アンマンで見られた大相撲の光景

2013-03-28 14:32:18 | 日記
 大相撲で小結、関脇が横綱に勝利しますと、観客は座布団を投げて自分の興奮さを現します。

 相撲の世界では感情を表に出すことを良しとしないのでしょう、勝った側も負けた側も土俵から降りる際はその心情が読み
にくい面があります。

 しかし後者が忸怩たる気持ちで一杯でしょうね。

 アンマンの地で試合終了後、見られた光景はまさに同様でした。

 地鳴りのような観客の声援と、あおむけになりながら歓喜の涙を流すヨルダン代表の選手たち、そしてがっくりと腰を折り
膝に手をあてる日本代表。

 皮肉な光景ですが、この光景こそ
 
 「アジア最強は日本」

 という存在を証明してしまいました。

 イランとイラク
 イラクとクゥエート

 中東というのは近代でも近隣諸国と政治がらみで揉めることが多く、だからこそ中東最強を決めるガルフカップの重みは
凄まじいのでしょうね。

 その一方で当然ですが、日本は彼らに戦争をけしかけたわけではありません。

 日本はアメリカの軍事力に依存していますから、間接的にイラクやアフガニスタンの侵攻に関与したとは言えるのですが。

 それでもヨルダンファンの姿を見ていますと、サッカーの勝利は何にも替えられない

 「最高の一服」

 だと理解できます。

 それだけヨルダン市民の日常が狭苦しいという意味合いなのかもしれませんが。

 アジア王者に4度輝く日本を倒したこと、それは彼らにとって俺たちも凄いじゃないかという、一種の自尊心を与えた気
がします。

 
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日本のベンチに切り札はいるか

2013-03-28 14:20:27 | 日記
 かつてフィラが企業スローガンとして

 「チェンジ・ザ・ゲーム」

 という言葉を掲げていたことがあります。

 僕はこのスローガンは「流れを変えろ!!」という意味に捉えていたのですが、現在の日本代表のリザーブには、オフト
政権の中山雅史のような、決定的存在が存在しません。

 オフト政権は選手層が極めて薄いにもかかわらず、招集選手全てが試合に出られたわけでは矛盾点がありました。

 例えばDFの大嶽、FWの山田がその代表例で、この問題が最後まで解決できないまま、日本代表はカタールの地へ旅立
つ形になりました。

 しかし、中山の投入は監督の意思表示としては最適で、ベンチから特別な指示を送る必要はありませんでした。

 「点を取れ、流れを変えろ!!」

 これしか無いわけですから。

 翻って現在の日本代表は、あれだけ厳しいフィジカル・コンタクトを日常で経験しているにも関わらず、やはり選手自身が
とこかで

 「丁寧に、丁寧に」

 という意識を捨て切れていません。

 だからでしょうか、シュートのタイミングが一歩遅れ、相手に寸断されてしまうのです。

 アジアカップ以降招集された新戦力、例えばFC東京の高橋、柏レイソルの田中のように出場したは良いが、どうあがいて
も結果が得られないくらいの短さです。

 仮に成功すれば

 「ラッキーボーイ」

 と新聞は書き立てるでしょうし、それはそれで苦しいものです。

 ヨルダン戦の敗北は、実は代表の選手層がさほど厚くは無く、2010年以降劇的な形で戦力が向上していないことを露呈
した形になりました。

 イタリアでは今でもスキラッチの姿を思い出すファンが多いでしょうが、それは彼が汗をかくことを厭わず、その姿が食べ頃
の果物のようにみずみずしい存在だった為でしょうね。
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セヴィージャ、予算規模を縮小へ

2013-03-28 02:04:13 | 日記
 僕も時代の潮流に合わせ、スマートフォンに切り替えようかと代理店と家電量販店を随分下見し、用語もわかるように
つとめましたが、機種変更の料金は何とかなりそうですが、月額料金が厳しいので止めようかと思います。

 パンフレットの料金プランとにらめっこしますと、最安値でも現在の使用料の3倍はする気配で、正直手がでないとい
うのが本音です。

 先日ゴール・コムだったと思いますが、セヴィージャの会長デル・ニドが

 
 「予算を現在の75億円程度から2000年代初頭の50億円程度までに引き下げたい」

 と語っていたことが印象的でした。

 僕の懐事情とクラブ経営は当然同列に扱えませんが、モンチSDの大活躍により、あれだけの収益を得ていた彼らです
ら、予算規模を縮小せざるを得ないとは。

 「多少無理をしても世間の流行に帳尻を合わせるべきか、古臭いと揶揄されながらも古い形に依存すべきか」

 サッカーも実社会でも、僕たちは時に厳しい選択を突き付けられます。

 ラ・コルーニャが破産寸前ということもあり、現在のスペインを覆う空気は閉塞感もありますが、バルセロナのように
賛辞を受けるクラブもあります。

 それは彼らが

 「カンテラから選手を引き上げ、足りない部分を外国籍選手で補う」

 というはっきりとした意識がある為です。

 つまりアドリアーノやアレクシス・サンチェスはバルセロナを不足分を補うためにやってきたわけですが、実はセビージャ
も20近くの下部組織があるようなのです。

 でもデル・ニドは年々膨らむ育成費にも頭を悩ませており、バルサの方法が格段というわけではないのです。

 それは携帯電話で「エクスペリア」「アローズ」という機種名が大きな鍵を握るように、セビージャというブランドより
もバルセロナという響きの声が甘美だからでしょうか。

 今は幼い子供ですら携帯を持つ時代です。

 カンテラも幼稚園児も、お金の負担がかかるとなれば、結婚と育成に躊躇するのも当然かもしれません。

 
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