塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

イブラヒモビッチが履くスパイクは何か

2020-04-15 20:06:38 | 日記
 イブラヒモビッチがナイキからプーマに契約を変更するのではなかろうか。

 という話題が以前からスパイク好きの間で賑わっています。

 今イブラヒモビッチは、今年の7月ごろに発売されるであろう、プーマの新製品ではなかろうか、と指摘されるスパイクを完全ブラックアウトの形で着用しています。

 フェルナンド・トーレスがホワイトアウトの形でピッチに立った際は、はた目からでもランバード・ラインが確認できたために

 「モレリア・ネオ2」
 「トーレスがミズノと契約目前だ」

 という形がすぐに伝わりましたよね。

 しかしイブラヒモビッチのスパイクは、新製品である可能性高いこともあるのでしょう、エキスパートから見ても細部がよくわからない様子です。

 改めて彼を凄いと思うのは、38歳という引退が近づくであろう年齢にも拘らず

 1・ミランがスソやピョンテクなどを移籍させ、イブラヒモビッチの居場所と用意したこと
 2・プーマのような大手が新契約を準備していること

 の2点になります。

 スパイクの件はミランがプーマと契約している関係上、新作や新素材の情報が得やすいという点もあるのでしょうが、ふつうはもっと若い世代を契約選手に迎えようと思いますよね。

 ただ、ミランを心底愛してるイブラヒモビッチでさえ、ミランの現状は財政を含めて移籍したいと思うほど不透明の様子です。

 インテルがコンテ招聘で好調であることも、ミランファンからすればやるせない気分にさせてしまうのでしょうが。
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一人ぼっちに利点はあるか

2020-04-15 19:46:54 | 日記
 一人ぼっちでいることに、メリットはあるのでしょうか。

 ありますよ、間違いなく。

 でも傍から見ていると。肩肘張っている、強がりなだけだよ、奇妙な奴だとマイナスな印象しかないでしょうね。

 金銭面でいえば、結婚式やコンパに呼ばれないから、余計なお金が必要ないとううメリットが浮かびます。

 ただ、僕が考える一人ぼっちの最大のメリットは

 「マイナスが周囲に電線しないこと」

 これにつきます。

 僕はひとりぼっちですから、サッカー観戦も常に一人ですよ。

 ハーフタイムに手洗いにいき、時間を見つけてマッチ・デイ・プログラムを読み、持参した弁当を食べお茶を飲むという塩梅です。

 ですから、僕の両隣りに観戦者は当然いません。

 サッカーに限らず、プロ競技では大声でヤジを叫ぶ方がいますが、それは周囲に打電する可能性があり、特にPKやイエローカードなどの際は、審判にかかる心理的負担はすさまじいの一言に尽きます。

 ですから、僕はヤジを飛ばすことは無いのですが、仮に共に観戦した人間が、口汚い言葉を発してしまうと、

 「付き合いとして、致し方なく同調する」
 「嫌な気持ちを我慢する」

 のどれかに甘んじることになるのです。

 友達がいれば、間違いなく派閥が生まれます
 友達がいれば、当然誰かの悪口が生まれます
 友達がいれば、間違いなく不良や犯罪に近づきます
 友達がいれば、間違いなく借金の申し出や金に絡む問題が起きます。

 ひとりぼっちであれば、だます相手も罵声を浴びせる相手も、金を借りる、貸す相手もいませんし、悪口が伝言ゲームのように周囲に伝達していくこともありません。

 僕が中学時代、サッカーではなく卓球を部活に選んだのも、サッカーでは間違いなくいじめや侮蔑の対象になるとわかっていたこともそうですが、卓球は「個人競技」であることも大きかったですね。

 しかし、これは誤算でやはりバカ扱いは相当な頻度で受けましたし、当時から友達がいなかったので、相手すら見つけることが困難だったことを付け加えておきます。
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僕が密かに一人遊びをしている件

2020-04-15 19:37:25 | 日記
 漫才コンビ「ナイツ」の土屋さんが、一人遊びとして熱中している「消しゴムサッカー」を伝えています。

 フランスに旅行した際も、消しゴムサッカーを街中で楽しんだようで、パリ・サンジェルマンに馴染みあるパリジャンも、この光景で繰り広げられるサッカー遊びには、面食らったと思います。

 でも、僕も小学生の時近い遊びをしていましたよ。

 用いたのは消しゴムではなく1円玉でしたけどね。

 僕も今、一人遊びを密かに行っています。

 その遊びは2018年に初めて行い、8月ごろにとん挫してしまった

 「ゲームの名は無言」

 というものです。

 このゲームは、1年間赤の他人様から一回も電話が無いことを達成条件にしているもので、今のところは3面(3月)までは見事にクリアしています。

 ただ条件として

 親、兄弟、親戚など肉親からの連絡はカウントしない
 修理依頼や注文など、僕が依頼した店舗からの電話もカウントしない
 間違い電話も当然カウントしない

 という3条件は設けています。

 作家、開高健が著作の中で、誰からも電話がかかってこないことは、すこぶる贅沢でなかろうか、と述べていたはずですが、今の時代、確かに静寂は得ようとしても得られません。

 僕の場合は何も、静寂と言う贅沢が欲しいのではなく

 「僕に果たして友人はいるのだろうか」

 という、常に胸に抱えている疑問を、連立方程式のように解く方法にすぎません。

 ですから一昨年、いきなり「他人」から電話があった時は、驚きもしましたしゲームが終了してしまったことが残念でもありました。

 昔「笑っていいとも」のテレフォン・ショッキングの際、タモリさんにゲストが

 「どうしましょう、俺本当に知り合いがいませんよ」
 「誰を呼んだよいのか」

 と真剣に悩む方がいましたが、その気持ち、実によくわかりますねえ。
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