塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

店舗とセールスマンのせめぎあい

2021-04-12 21:14:47 | 日記
 コンビニエンスストアやスーパーマーケットの陳列棚に、商品を置いてもらうことは、メーカー担当者からすれば本当に大変な苦労であると言います。

 僕も書店勤務時代、出版社の方がアポイントなしで訪問し
 
 「この新刊情報を見ていただけないでしょうか」
 「こちら自信作なんですよ」
 
 と売り込みに来たことを覚えています。

 と言いましても、当たり前ですが限りある陳列棚を有効活用するためには、セールスマンの要望をすべて受け入れることは出来ませんし、何か返本しなけれは棚は空かないのです。

 また週刊漫画や雑誌は発売日が決まっていますから、その為の空間は常に維持しないといけません。

 売る方も制作側も、まさに生みの苦しみを味わう毎日でした。

 スポーツ・オーソリティやスポーツデポのような大手に対し、アスレタやヤスダ、コンケーブのセールスマンが来訪し

 「〇〇担当の〇〇と申します」
 「今度、新しいスパイクが登場しまして、今回はサンプルをお持ちしました」

 と切り出した、としましょう。

 しかし、今はナイキのマーキュリアルやプーマのフューチャーなどの人気作、最新作もすぐに値崩れを起こしますし、大手はすぐに新作を発売しますから、店舗側も在庫は持ちたくないと思いますよ。

 ワゴンセールにしても完売するとは限りませんし、アンブロのような中堅ブランドでも、今は置いてもらうのは難しいのではないでしょうか。

 逆にミズノが値崩れしにくい「モレリア」を持つことは、当然強みになりますよね。

 ですからコンケーブの担当者からすれば、柿谷曜一朗が履き始めたという事実は、自社製品の確かさだけでなく、店舗への訴求力が加わった、営業しやすい環境になったと言えます。

 彼がコンケーブを履き続けるのか、それとも再度ナイキに戻るのかわかりませんが、スパイク事情はやはり、契約選手の活躍と存在が大きい事を改めて痛感しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英雄を指揮官に招聘すること

2021-04-12 20:54:50 | 日記
 バルセロナがロナルド・クーマン体制となってから、およそ1年経過となります。

 いつか首脳陣が、カタールのアル・サッドで指揮を執るシャビ・エルナンデスに陣頭指揮を任せたいと考えていることは事実でしょう。

 カタールとスペインではリーグの規模、実力、競争いずれも大きな隔たりがありますが、それでもアル・サッドを無敗優勝に導いたシャビを、見逃すわけにもいかないと感じているのではないでしょうか。

 ただ、クラブの英雄が帰還するわけですから、土台、つまり彼が指揮を執りやすい形を提供する準備をおろそかには出来ません。

 かつて浦和レッズがギド・ブッフバルトを招聘した際、彼と共にプレイした広瀬治氏が

 「ギドはクラブの英雄なんだ」
 「彼の顔に泥を塗る事だけは許されない」

 と語りました。

 レッズ・ファンは過去、皮肉を込めてクラブの補強方針を「サンフレッズ」と揶揄したことがあります。

 確かにブッフバルト体制では、ブラジル代表ワシントン、リーグMVPに輝くロブソン・ポンテなど、質の高い外国籍選手を獲得し、2007年アジア・チャンピオンを勝ち取ります。

 しかし、以後国内移籍はアルビレックス新潟やサンフレッチェ広島から主力を引き抜くことが多く、外国籍選手も

 オーストラリア代表 ステパノビッチ
 セルビア代表 デスポトビッチ
 スロベニア代表 イリッチ、ズラタン

 など多様な選手が在籍しましたが、ブッフバルト体制のような「芯」の通った形では無かった印象を受けます。

 ウーベ・バイン、バシール・ボリと共に、リーグ創世記から低迷したレッズの現状を打開する原動力となったブッフバルトや、引退セレモニーで白馬にまたがるという、クラブにとっての大恩人でした。

 だからこそ彼を招聘した際に、大きな補強を行ったのでしょうが、以後その熱が失われたようにも見えないでしょうか。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松山英樹選手のマスターズ優勝より

2021-04-12 20:43:19 | 日記
 ゴルフに疎い僕でも、松山英樹選手がマスターズで優勝し、その象徴である緑の上着に袖を通したことがどれほ度素晴らしい事なのか。

 は想像できます。

 テニスもゴルフも国内だけでなく、海外を転戦することで移動や気象条件を克服し、心身共にタフになってゆくことが求められますが、サッカーも同じ側面はあります。

 現在の日本代表の主力たちの多くが、海外リーグで研鑽と積んでいますが、興味深いのはJ1から選出されている選手たちの意見です。

 森保監督はマスメディアや僕たちが、便宜的に「海外組」と「国内組」と呼ぶことを不本意と漏らしており、その時に最適の選手たちを選ぶようにしていいると伝えています。

 その人選が海外偏重に映るのは、致し方ないのかもしれませんが、J1から選出の選手たちは

 「Jリーグでできることが、海外組の選手たちには通用しない」
 「だから凄くに刺激になる」

 と棲み分けを気にするのではなく、むしろ歓迎しているように見えます。

 これは海外リーグに移籍すること、優勝すること、複数の国でチャレンジすることが物珍しくなくなったためでしょうね。

 中田英寿だけが別格だった2000年代初頭は、彼だけに注目が集まりやすく必然的にJ1の選手たちと、自然と溝が生まれていた印象があります。

 特に0-5で惨敗した2001年サンドニでのフランス戦、皮肉にも

 「中田英寿とその他の選手」

 という現象が白日の下に晒されましたが、現在のように続々と海外へ移籍というわけにはいかず、中村俊輔がレッジーナに移籍するのは、翌年2002年のワールドカップ終了後でした。

 タイ代表を軸に、アジア圏の選手たちがJ1移籍を目論む機会が増えています。

 その際、かつての日本代表がおちいった無意味な論争も学んで欲しいと思います。

 国内リーグが充実しているからこそ、海外へ移籍できる準備ができるわけですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする