塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

過去と現在で異なる言葉

2021-04-28 23:03:08 | 日記
 僕の祖母は随分前に他界しましたが、生前今では明らかに人権侵害当たる言葉

 つんぼ(耳が不自由であること)
 びっこを引く(脚が不自由ため、引きずるようにあること)

 を平気で用いていました。

 と言いましても祖母に悪気、そしこれらが侮蔑的であるという認識はなかったに違いありません。

 何故なら明治40年生まれの祖母は、今とは比較ににならないくらい女性の地位が低い中で懸命に生き、同時に周囲もまた上記の言葉を日常的に用いていたためです。

 そう、今では人権侵害に相当する言葉も、時代によっては皆が用いる何気ない言葉だったんですね。

 当時はまさに日本の富国強兵のさなかであり、祖母は長野県諏訪市にある製糸工場で働き、些細な事で落ち込んでいては生きていけないと悟っていたに違いありません。

 かつてルイス・アラゴネスがホセ・レジェスに向かって、スペイン代表合宿中に

 「おいレジェス。あの黒んぼよりも優れていることを証明してみせろ」

 と話かけて大問題となりました。

 ルイス・アラゴネスが指摘した黒んぼとは、フランス代表のティエリ・アンリであり、当然彼はアラゴネスの発言に失望しました。

 アラゴネスは2008年欧州選手権でスペインを優勝に導いた立役者であり、中盤にばブラジルから帰化した「黒んぼ」であるマルコス・セナが抜群の存在感を見せました。

 セナを重用したアラゴネスが、どうして「黒んぼ」という言葉を用いてしまったのでしょうか。

 彼を慕うカメルーン代表のサミュエル・エトーが擁護したように、彼に悪意はなくレジェスに「ハッパ」をかけただけという見方もできます。

 それ以上に、アラゴネスの若き日は黒人選手を「黒んぼ」と呼ぶのが日常であり、だからこそ簡単に口に出してしまった、というかたちではないでしょうか。

 そう、アラゴネスは日々の「習慣」に基づいただけのことで、アンリを含む黒人、黄色人種をけなす、侮辱することを考えてはいなかったようにおもいます。

 ただ、それが日常的であった時代の方が、むしろ問題であり肩身の狭い方はさぞ息苦しいと感じたでしょうね。
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お金それはプロにとって不可欠ですが

2021-04-28 20:48:46 | 日記
 スーパーリーグ構想に一度は合意したものの、訂正や謝罪に追い込まれたクラブたち。
 
 彼らは今後もチャンピオンズ・リーグとヨーロッパ・リーグにおける欧州遠征、そして国内リーグで敵地に出かけるたびに、痛烈な罵声を浴びることになるのでしょうか。

 でも改めて考えますと、リーグの構想を立ち上げ承認したのは、選手ではなくフロントや会長たち、つまり経営者たちですよね。

 従ってそのクラブに在籍しているから、という理由で選手に避難の声が殺到することは、僕個人は不適切な行為と思います。

 ただ、現行のチャンピオンズ・リーグでも試合過多と言う声があるにもかかわらず、UEFAは

 チャンピオンズ・リーグ出場クラブを、32クラブから36クラブへ増加
 より均等に、開かれた存在へ発展

 という声明文を発表しました。

 ただ、これによって試合数が更に増加し、これらのクラブに在籍の選手は代表選手ですから、年がら年中サッカーをすることとなり、本当に一息つく時間もなく、ボールを追わねばなりません。

 ヨーロッパ・スーパーリーグ構想は、この

 我々はUEFAによって搾取されている
 金銭の取り分の多くをUEFAがかなり牛耳っており、メリットが多くない
 従って我々が独自で企画する必要がある

 という概念の下で、合意に至ったということですよ。

 なるほど、一気に相手を叩く、批判するのではなく、一度冷静になってから発起人のペレスを軸とする、12クラブの意見を聞くと、改めて眼に見えない彼らの考えが見えてきます。

 日本でも村井チェアマンが無観客の補填を政府に進言すると認め、Jリーグも興行として帰路に立たされています。

 やはりプロ以上である以上、資金が大切なのは当然ですが、リーグの発展のためかどうかは、皆で考えるべきでしょうね。

 政府が村井チェアマンの声をどう捉えるか、まだその反応は帰ってきてはいないようですが。
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ライー、パリで築かれた伝説

2021-04-28 20:34:49 | 日記
 今日は母の誕生日でして、勤務終わりに差し入れを買ってから帰宅しました。

 本格的なお祝いは、来月9日の母の日と合同で行うのですが、サッカー選手が派手に誕生日を祝う時があります。

 ネイマールがパリ・サンジェルマンに移籍後、派手に誕生祝賀会を開いて批判されたのは、お金の使い方が浪費と言う観点よりも
 
 「対戦相手を侮辱する行為が目立つ」
 「ネイマールの力が必要な試合の際に限って、彼はいつもいない」

 というファンの不満が見え隠れするためでしょうね。

 パリ・サンジェルマンを古くから知るファンは、ライーのように同じブラジル代表の背番号10が、難しい場面に遭遇しても逃げ出さずに、プロとして向き合い続けた事を知っているため。

 ではないでしょうか。

 ライーはサンパウロから移籍したのですが、サンパウロでは1992年、93年と2季連続でトヨタカップに優勝するという快挙を味わいます。

 しかし、この強行日程が彼にとって大きくのしかかります。

 気候、風土、限度、人びとの生活がまるで異なるパリでの暮らし
 何よりおよそ2年、体を休める時間すらなく、その蓄積された疲労が移籍に伴い一気に襲う
 招集された米国ワールドカップでも、優勝の一員となるものの出番が限られる

 という形で、ライーにとって90年代中期は、良い時期では決してなかったのです。

 しかし、パリでの日々に順応し、代表から外れることが結果的に彼のコンディションを元に戻す要因となり、1997年にはカップ・ウイナーズ・カップという、欧州タイトルをもたらします。

 近年ファンになった方は、当然カバーニ、イブラヒモビッチが忘れがたいでしょうが、ライーの存在感は両選手を超えるものではないでしょうか。

 ちなみにネイマールは今夏、バルセロナに復帰する可能性もあるようで、よくも悪くもマスメディアからすれば「記事」を執筆する際、頼りになる存在ではあると言えます。
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