秋田から戻ってきましたが疲れがとれずに、昨夜も10時に寝たのに朝7時に起きるのが
やっとでした。
入院している義兄の症状、そして明らかに認知症が進んでいると思われる義母の姿を
目の当たりにしたのはかなりショックでした。連れ合いの方が実の親や兄弟のことです
から、私よりももっと辛かったと思います。
9年前に我が家に来てくれたことを忘れてしまったのは仕方ないですが、30分前の
大切なこと(保険証を再発行してもらい、鞄の中に閉まったことなど)まで忘れて
しまっているのです。
元教師だった義母はおしゃれで、典型的な「秋田美人」と言われるほど美しい人でした。
それが、今では・・・・
「老いるということはこういうことなのだ・・・」と実感しました。
Sさんからいただいた、田中奈保美著「枯れるように死にたい」-老衰死ができないわけ
(新潮社)は、死の淵にいる老人たちが延命治療などによって管につながれ、苦しみ、
翻弄されている実態をレポートし、私たちがどう死と向かい合うのかを考えさせてくれる
本です。
田中さんから寄贈していただきましたので、長崎国際大学の図書館にもありますので、
お近くの方は借りて読んでいただけると嬉しいです。
私はこの本をいただいてからすぐに読み、さらに秋田に向かう飛行機や待ち時間の間に
読んでしまったので義母にも読んでほしいと思い、持参しました。しかし、義母はもう
こういった本を読んでも理解できないだろうと連れ合いも言うので、持ち帰りました。
84歳で、心臓弁膜症の持病も持つ義母はいつ亡くなってもおかしくない状態にあります
(実際に先月倒れて入院しました)。でも、それでも義母は自分の死を考えようとしない
のです。今回、思い切って義母に「死んだ後の希望=葬式など」を聞いてみたら「何も
考えていない」と言うのです(何年も前から私たちが言っていることですのに・・・・)。
「私は大丈夫、まだ死なないから・・・」と言い、自分が死ぬことなど考えられないと
言うのです。私は唖然としました。私ですら、連れ合いと「私が死んだら、葬式は絶対
しないでね」とか「樹木葬」もいいよね、とか話し合っているのに・・・・
個人差があるのだから比較してはいけないと思いつつ、94歳のミセステーラーの生き方と
のあまりの違いに「苛立ち」を感じてしまうのです。今回もミセステーラーの家を訪ねた際に、
彼女が身の周りの整理をしていることに気がつきました。彼女の車庫の中にあったいろんな
道具類がなくなっていたのです。行く度に、私が好きそうな品を「形見分け」として下さっ
ています。ところが義母は、いくら私が「要らない物は少しずつ処分してほしい」と言っても
いまだに廊下にまで「物」が積み上げられたままで、足の踏み場もないほどです。
9年前に私たちが、「自分たちが年老いた時に病気の義兄のことをどうするのか?」と尋ね
た時も義母は強気で、「お前たちの世話にはならないし、迷惑はかけないから安心しなさい」
と言いきったのです。
今回、そのことを言うと義母は「あらまあ、私、そんな失礼なことを言ったの?」とひとごと
みたいに笑ってごまかそうとするのです。
プライドの高い義母は自分の老いを認めたくないのだと思います。だから、「自分はまだ
大丈夫」だと強がってしまうのでしょう。いくら私が「年を取ったら物忘れをするのはあたり
前なのだから、恥ずかしがることはないんですよ」と言っても素直になれないのだと思います。
誰でも老いるし、迷惑をかけるのは仕方ないかもしれないけれど、でも私は義母のように
はなりたくない。今から自分の老いと死と向き合って生きて行こう、そのための準備もして
おかなくては・・・・と思うのです。
やっとでした。
入院している義兄の症状、そして明らかに認知症が進んでいると思われる義母の姿を
目の当たりにしたのはかなりショックでした。連れ合いの方が実の親や兄弟のことです
から、私よりももっと辛かったと思います。
9年前に我が家に来てくれたことを忘れてしまったのは仕方ないですが、30分前の
大切なこと(保険証を再発行してもらい、鞄の中に閉まったことなど)まで忘れて
しまっているのです。
元教師だった義母はおしゃれで、典型的な「秋田美人」と言われるほど美しい人でした。
それが、今では・・・・
「老いるということはこういうことなのだ・・・」と実感しました。
Sさんからいただいた、田中奈保美著「枯れるように死にたい」-老衰死ができないわけ
(新潮社)は、死の淵にいる老人たちが延命治療などによって管につながれ、苦しみ、
翻弄されている実態をレポートし、私たちがどう死と向かい合うのかを考えさせてくれる
本です。
田中さんから寄贈していただきましたので、長崎国際大学の図書館にもありますので、
お近くの方は借りて読んでいただけると嬉しいです。
私はこの本をいただいてからすぐに読み、さらに秋田に向かう飛行機や待ち時間の間に
読んでしまったので義母にも読んでほしいと思い、持参しました。しかし、義母はもう
こういった本を読んでも理解できないだろうと連れ合いも言うので、持ち帰りました。
84歳で、心臓弁膜症の持病も持つ義母はいつ亡くなってもおかしくない状態にあります
(実際に先月倒れて入院しました)。でも、それでも義母は自分の死を考えようとしない
のです。今回、思い切って義母に「死んだ後の希望=葬式など」を聞いてみたら「何も
考えていない」と言うのです(何年も前から私たちが言っていることですのに・・・・)。
「私は大丈夫、まだ死なないから・・・」と言い、自分が死ぬことなど考えられないと
言うのです。私は唖然としました。私ですら、連れ合いと「私が死んだら、葬式は絶対
しないでね」とか「樹木葬」もいいよね、とか話し合っているのに・・・・
個人差があるのだから比較してはいけないと思いつつ、94歳のミセステーラーの生き方と
のあまりの違いに「苛立ち」を感じてしまうのです。今回もミセステーラーの家を訪ねた際に、
彼女が身の周りの整理をしていることに気がつきました。彼女の車庫の中にあったいろんな
道具類がなくなっていたのです。行く度に、私が好きそうな品を「形見分け」として下さっ
ています。ところが義母は、いくら私が「要らない物は少しずつ処分してほしい」と言っても
いまだに廊下にまで「物」が積み上げられたままで、足の踏み場もないほどです。
9年前に私たちが、「自分たちが年老いた時に病気の義兄のことをどうするのか?」と尋ね
た時も義母は強気で、「お前たちの世話にはならないし、迷惑はかけないから安心しなさい」
と言いきったのです。
今回、そのことを言うと義母は「あらまあ、私、そんな失礼なことを言ったの?」とひとごと
みたいに笑ってごまかそうとするのです。
プライドの高い義母は自分の老いを認めたくないのだと思います。だから、「自分はまだ
大丈夫」だと強がってしまうのでしょう。いくら私が「年を取ったら物忘れをするのはあたり
前なのだから、恥ずかしがることはないんですよ」と言っても素直になれないのだと思います。
誰でも老いるし、迷惑をかけるのは仕方ないかもしれないけれど、でも私は義母のように
はなりたくない。今から自分の老いと死と向き合って生きて行こう、そのための準備もして
おかなくては・・・・と思うのです。