昨日は劇団員2人の集中稽古。
「行間を読む」と言葉で言うのは簡単だけどね。
腑に落ちるところまで理解を深めるのは容易ではない。
因みに大辞林には下記のように記載されている。
行間を読むとは・・・
文章には直接表現されていない筆者の真意や意向を読み取ること。
直接表現されていないものをどのように読み取るのか。
自分の人生経験や知識を総動員してイメージする―
これに尽きるんだよね。
そうは言っても、自分とは異なる時代
環境を生きる人物を演じるわけで
つい「経験がないからわからない」と
言いたくなるところだろうが、演じる以上
「わからない」では済まされない。
私は記憶にないことは表現できない、と思っている。
故に役者は、いつでもイメージを最大限
膨らませることができるように
観察眼を磨き、様々な表現を記憶にインプットしたり
自分の感情をいつでも動員できるように
皮膚間感覚を研ぎ澄ませることが肝要なのだ。
日常はね・・・
感覚を鈍らせたほうが楽なことも多々ある。
で、防御壁を厚くして自分を守っている人もいるし
自分基準の色眼鏡を用いて
自分とは異なる価値観の人間を排除して
自分を守ろうする人もいる。
動物の自己防衛本能かもね。
ただ本格的に役者を目指そうと思ったら
この防御壁は邪魔な存在。
それと・・・
演劇をするしないは別にしても
防御しながら生きるよりは
自然体で生きたほうが
もしかしたら楽かもしれないし・・・
話がずれた(^-^;
演劇における行間を読むポイントを
いくつか挙げてみよう。
●科白とト書きから読み取る力
人物の特徴、性格、生活環境、生い立ち
人物同士の関係性・距離感、舞台空間イメージ
●具象的な想像力
●感情変化のポイントの抽出
●感情、行動の適切な基準設定
この基準設定、適切な基準を発見できればいいんだけどね。
どうしても自分基準になりがち。
異なる人物を演じるには、この基準が重要だと私は思う。
キャラ変化で、短時間であれば
ごまかしは効くかもしれないけど
今回は短編とは言え一作品30分~40分
しっかりと基準を持っていないとブレるし
万が一アクシデントがあった時、対応できない。
現時点での稽古方法は、いたって単純。
徹底的に役者に「なぜ?」を投げかける。
私はこういう稽古、とっても楽しい(^.^)
劇団員曰く「発見すると面白い」
だよね~
そして・・・
発見ポイントを素早く見極められるようになると
「役作りが楽しく面白くて」と言えるようになるだろう。
これまでも役作りの方法については
伝えてきたつもりだけど、まだまだ甘かったわ・・・
今がターニングポイント!
時間は限られているけど、焦らず
彼らが自分で発見するのを待とう。
来月に入ったら一気にギアを上げて行く予定(^.^)
にしても・・・
やればやるほど「岸田戯曲」の凄さを感じる日々。
芝居は行間の捉え方と演出で
全く異なるステージになるものだが
岸田戯曲は読み解いていくほどに
感情や行動が絞られていくんだよね。
ぼんやりしていた人物像が立ち上がってくる・・・
そんな感じ。
最初に読んだイメージのまま作ろうとすると
どこかで齟齬が生じ、人物が崩壊する。
一瞬いくつかの選択肢があるように思える箇所に
選択肢を狭めるト書きが書かれていたり・・・
「紙風船」は岸田氏の初期の作品。
「留守」は、それから2年後の作品。
この2つを見比べると精度の違いが明らかだ。
「紙風船」は遊び(行間)が多く
設定も自由度があるように思う。
が、「留守」になると相当限定されている。
とすると、「留守」の3年半後の作品
「ここに弟あり」は更に限定されていく―
兎にも角にも岸田戯曲は面白い♪