今年は終戦から75年・・・
75年前、最後の激戦が行われた沖縄では
20万人超の人々が亡くなった。
今日は戦没者を追悼し平和への祈りを捧げる「慰霊の日」
YouTubeに糸満市摩文仁での「全戦没者追悼式」の模様が
ライブ配信されたので共有させていただく。
沖縄「慰霊の日」特別配信番組 沖縄全戦没者追悼式 (沖縄テレビ)
戦争が激化する中で、本土でも
学徒動員が行われ
19歳以上の男子は学徒兵として
戦場に動員されたのだが
沖縄では14歳以上の男子が
法的根拠もないまま戦場に動員された。
上級生が鉄血勤皇隊
下級生が通信隊に配属された。
女子は15歳から19歳が動員され
従軍の看護助手として配属された。
「ひめゆり学徒隊」はこの一つ。
本土と沖縄の違いは
無謀な総攻撃を行い
多くの兵士を失ったからなのか・・・
少し調べてみたら、12歳の男子も
学徒兵になったという記述を発見。
沖縄戦 12歳の「学徒隊」 玉城現信さん
12歳って、今の小6か中1だよ( ;∀;)
現信さんは、山奥での通信作業中にマラリアに感染。
この時代、山に入ることは死を意味するくらい
恐ろしいことだったとか。
それは、当時山では蚊に刺されることで
感染するマラリアが蔓延していて
命を落とす人が相次いでいたから。
危険だと知りながら、軍の命令には逆らえず従った結果
現信さんは作業中にマラリアにかかり
それから3か月後に亡くなった・・・
自分のことだと思って考えてみよう。
自分が戦争に行かねばならなかったとしたら?
我が子が学徒兵に動員されたら?
そして亡くなってしまったら?
実際に戦争が起きれば、同じことが起こり得る。
本当に他人事じゃないんだけど
自分に置き換えて考えるのは難しい。
今回の新型コロナ・パンデミックのように
自分に降りかかってきてから
アタフタするんじゃ遅いとわかっていても・・・ね(^-^;
戦争は国家同士の戦い。
国家政策は国家議員が決める。
私たちはもっと国会議員の政策や
議員が目指している国の方向性を
注視していく必要があるんじゃないかな。
あとから「こんなはずじゃなかった」と言っても
後戻りはできない。
いくつか興味深い記述を見つけたので
記録としてシェアさせていただこう。
戦場の住民たち・沖縄戦75年
今も消えぬあの日の姉の声 集団自決、小さな壕の中で少年が見た「地獄」
沖縄では、集団自決で多くの民間人が命を失った。
昔、これを初めて知った時
軍人ではなく民間人がなぜ自決を?
戦国時代だって、武士やその家族の自決はあったけど
民間人の話はあまり聞いたことがない。
実は島民の皆さんは軍から
米軍に捕まれば
男は八つ裂きにされ
女は強姦されて殺される
と聞かされていた。
島民は
なんと恐ろしい…
米兵は鬼だ!鬼畜だ!
辱めを受ける前に自決しよう!
と思ったに違いない。
集団自決用に手榴弾も渡されていたという。
が、実際に捕虜になった人は
八つ裂きにされることなく
戦後解放されている・・・
この沖縄の悲惨さに思いを馳せただけでも
日本軍司令部の過ちは数知れず・・・
下記は、沖縄戦の状況がわかる記述。
沖縄戦から75年~忘れられつつある戦場~
これを読むと・・・
「なぜ沖縄が戦場にならなければならなかったのか」が
見えてくる。
劇団旗揚げ以来ずっと
戦争を風化させてはならないと思って調査を続け
戦争体験者にヒアリングさせていただいたりしたけど
ここ数年、ヒアリングが滞っている💦
今日ネットで調べてみたら
新たな証言がいくつか掲載されていた。
人は平和を希求する
にもかかわらず
人は争いをやめられない
ならば、せめて
悲惨で地獄のような戦争だけは回避したい
どんな恐ろしいことでも
風化すればまた始めるんだよねー
記憶から消えればまた始めちゃう、それが人間。。
そして歴史は繰り返されて
また尊い命が失われていく。
悲しいけど、これが現実( ;∀;)