mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

人事評価

2009年05月23日 | 社会・経済

 あなたは「出世の基」は何だと思いますか?今日は、いきなりサラリーマンの一番の関心事である「出世」の話をしたいと思います。

 小生は、この3月に退職しましたが、その職場の人事を見ていますと、トップ(社長や副社長、人事部長など)の好みが伝わってきます。

 好みの第一、というと誤解だと言われそうですが、人事評価の基準といった方が良いのかな?それは「気配り」ではないかと思ってしまいます。

 もちろん、組織を運営していく上で「気配り」は、とても大切なことで、この能力がある方を適切に評価する必要があります。

 ただ、問題は「気配り」は、目的ではなく「手段」や「手続き」であるという点です。

 話が見えない?そうですね。事業を例に取れば、社員がするお客さんへの「気配り」は収入を増やすという「目的」のためには、とても大切な手段であるということになります。

 入口での「お早うございます。」、商品を買っていただいた際の「有り難うございます」の挨拶に始まり、高齢者や障害者への配慮など、相手の立場になって考え、行動する「気配り」は、会社にとっては、とても大切なことで会社の存続を左右するぐらい重要なことだと思います。

 でも、小生は、これを次のように考えています。

 気配りは、「会社の発展」という目的のため欠かせないことであるが、そこがぎこちなく見えたりすると、挨拶などが本心から自分(客)に向けられたものではないように見えてしまうのではないか?

 そして、性格的に「挨拶」や「言葉」での対応が苦手な社員もいます。

 その意味で、お客さんへの気配り「訓練」や「研修」が大切ですが、その基本は、「社員の温かい心」という「人間性」から発したものが重要である、と教えるべきでないでしょうか。

 話が人事から人間性というとんでもない話しに離れてしまいましたが、大きな組織になりますと、その「気配り」が社内で発揮され、それが人事評価の上で過大に評価されることをよく見かけます。

 悪く言えば、上司や権限を持っている人間、さらには強面の客などとの接触を通じた「事前説明」や「ごますり」ですが、能力や実績もある人の中には、こういう「気配り」ができない人が大勢います。

 そして、それは、こういう人から見ると、「あんな口先ばかりで、ろくに仕事もできないやつが何故、偉くなるんだ!」などと反発することになります。

 こうした事態は、組織としては、大きなマイナス要因となるのですが、こうした人達は、大体がサイレントマジョリティなものでから、人事当局は気づかないことが多いのかも知れません。

 人事評価の第2点目は、「説明力」とでも言ったらよいのでしょうか、分かりやすくいいますと、「口八丁、手八丁」の人が好評価される傾向があるという点です。

 何処かの宗教団体ではありませんが「ああいえば、こういう。」というように何でも受け答えができる人がいますが、それ自体が一つの能力であるといえるかも知れません。

 しかし、問題は、人事評価において「気配り」と同じ問題が起こりうることです。

 組織全体が同じ目標である場合は、「実績」がものをいいますので、その懸念は少ないのかも知れませんが、組織目標がまったく違う分野だったり、業績を数字で表せない組織の場合には、多いにその懸念が残ります。

 「気配り」と「説明力」そして、「仕事の成果」は、サラリーマンの大切な道具ですが、経営者は、これ以外に、仕事への「取り組み姿勢」、的確な「判断力」さらに「企画力」や「優れた人間性」などを総合的に評価して欲しいものです。

 「仕事ができて、発想や人間性豊かな人」などというスーパーマンはいない!といわれそうですね。