やっと秋らしくなった!と思いましたら、また暑さぶり返してきました。
今日は畑に行ってトマトの木を整理しようかと考えていたのですが、まぁ、徐々に過ごしやすい天気がくると思いますので、ここはしばらく様子を見ることにしました。
さて、今日も旧ユーゴスラビア4カ国の旅の旅行10目に訪れたザグレブ市内観光の続きです。
<Mugiko>
聖母被昇天大聖堂の彫刻や内部の様子をレポートしたわね。
<Mugio>
ちょっと待ってくださいね。前回の写真の説明が足りなかったので、その説明をしておきます。
<聖母被昇天大聖堂>
<Mugio>
この写真の大聖堂の周りに赤い円錐形の屋根があり、その下に白っぽい塀が見えるけれど、これはオスマン朝の攻撃から守るために造られた城壁だそうだね。
<大聖堂の入口>
<ステンドグラス>
<大聖堂の内部>
<Mugio>
入口の彫刻は美しいものでしたが、教会の中はヨーロッパのの国などで見てきた教会と同じように見えてしまい、興味をそそられるものではなかったね。
<Mugiko>
そうね!「ルネッサンス様式のさいだん」だとか「バロック様式の説教壇」などと説明されても、さっぱり分からないわ。
<Mugio>
ということで、中の見学は約10分で終わりにして、時計の文字盤のようなものが飾ってある城壁をバックに二人で記念撮影をして、近くの青果市場に向かいました。
<城壁をバックに記念撮影>
<10時10分を指している時計>
<Mugiko>
ザグレブの胃袋とも呼ばれている青果市場は、1926年から旧市街にあり、ザグレブにある市場では最も古いもので、周囲には雑貨や骨董品などを売る店が並んでいるそうよ。
<青果市場>
<色とりどりの草花>
<Mugio>
そうだね。赤いパラソルと草花の色鮮やかな色が目につく市場だったね。
ここで目を楽しませていただいて、花屋さんの横を通って、坂道を下ると・・・
<Mugiko>
振り返ると、何かが見えた?などとミステリーじみたことをいわれても驚かないわよ!
<大聖堂の二つの尖塔>
<Mugio>
通りの間に大聖堂の二つの尖塔が見た!のさ。
そして、その通りを下りきったところに南北に延びる通路があり、この通りの名前を聞いて驚いちゃったよ。
<Mugiko>
なんと!「血の橋通り」というのよね。
<Mugio>
よく知っているね。この通りは、南北に延びるトカルチチュヴァという通りで、カフェなどの店が並んでいた。
<Mugko>
なぜ、「血の橋通り」などと物騒な名前がついたのか?は、通りを見ながら説明したいところね。
<トカルチチュヴァ(血の橋)通り>
<Mugio>
昔はここに川が流れており、川を挟んで東の丘がカトリック教徒の街カプトル、西側が商工業のグラデツという街に分かれていたのさ。
<Mugiko>
ザグレブという都市の説明をしたときに、旧市街は「二つの町が合併してできた」といったけれど、二つの街とはこのことのようね。そして、このあたりが境界だったということかしら?
<Mugio>
二つの街は、水車小屋の管理を巡って争い、川の流れが血に染まるほどだったことから、川に架かる橋のことを「血の橋」と呼んでいたそうだ。
<Mugiko>
怖い話ね。でも、見どころはこの橋ではなく、この通りの西側にあるグラデツ地区の「Radiceva」という通りにある「石の門」のようね。
<石の門>
<Mugio>
グラデツ(現ゴルニ・グラード)は、中世の自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれていた。石の門は、当時のグラデツの数少ない出入り口の一つで、当初は木造で、1731年の大火で建物が焼け落ちたが、灰の中から聖母マリアの絵が燃えずに発見され、以後、マリアの奇跡の聖地となったという話だよ。
<Mugiko>
門の中には聖母マリアの肖像が納められた礼拝堂があるというけれど、残念ながら見学しなかったわ。
<Mugio>
そうか!でも、ここを通らないと次の見学先、グラデツの丘には行けないみたいだよ。グラデツの丘には、聖マルコ教会やクロアチアの国会、首相官邸などがあるそうだ。
<以上でザグレブ市内観光の2番目の記事を終了します。次回は、聖マルコ教会や国会議事堂などの様子をお伝えしたいと思います。ではまた!>
今日は畑に行ってトマトの木を整理しようかと考えていたのですが、まぁ、徐々に過ごしやすい天気がくると思いますので、ここはしばらく様子を見ることにしました。
さて、今日も旧ユーゴスラビア4カ国の旅の旅行10目に訪れたザグレブ市内観光の続きです。
<Mugiko>
聖母被昇天大聖堂の彫刻や内部の様子をレポートしたわね。
<Mugio>
ちょっと待ってくださいね。前回の写真の説明が足りなかったので、その説明をしておきます。
<聖母被昇天大聖堂>
<Mugio>
この写真の大聖堂の周りに赤い円錐形の屋根があり、その下に白っぽい塀が見えるけれど、これはオスマン朝の攻撃から守るために造られた城壁だそうだね。
<大聖堂の入口>
<ステンドグラス>
<大聖堂の内部>
<Mugio>
入口の彫刻は美しいものでしたが、教会の中はヨーロッパのの国などで見てきた教会と同じように見えてしまい、興味をそそられるものではなかったね。
<Mugiko>
そうね!「ルネッサンス様式のさいだん」だとか「バロック様式の説教壇」などと説明されても、さっぱり分からないわ。
<Mugio>
ということで、中の見学は約10分で終わりにして、時計の文字盤のようなものが飾ってある城壁をバックに二人で記念撮影をして、近くの青果市場に向かいました。
<城壁をバックに記念撮影>
<10時10分を指している時計>
<Mugiko>
ザグレブの胃袋とも呼ばれている青果市場は、1926年から旧市街にあり、ザグレブにある市場では最も古いもので、周囲には雑貨や骨董品などを売る店が並んでいるそうよ。
<青果市場>
<色とりどりの草花>
<Mugio>
そうだね。赤いパラソルと草花の色鮮やかな色が目につく市場だったね。
ここで目を楽しませていただいて、花屋さんの横を通って、坂道を下ると・・・
<Mugiko>
振り返ると、何かが見えた?などとミステリーじみたことをいわれても驚かないわよ!
<大聖堂の二つの尖塔>
<Mugio>
通りの間に大聖堂の二つの尖塔が見た!のさ。
そして、その通りを下りきったところに南北に延びる通路があり、この通りの名前を聞いて驚いちゃったよ。
<Mugiko>
なんと!「血の橋通り」というのよね。
<Mugio>
よく知っているね。この通りは、南北に延びるトカルチチュヴァという通りで、カフェなどの店が並んでいた。
<Mugko>
なぜ、「血の橋通り」などと物騒な名前がついたのか?は、通りを見ながら説明したいところね。
<トカルチチュヴァ(血の橋)通り>
<Mugio>
昔はここに川が流れており、川を挟んで東の丘がカトリック教徒の街カプトル、西側が商工業のグラデツという街に分かれていたのさ。
<Mugiko>
ザグレブという都市の説明をしたときに、旧市街は「二つの町が合併してできた」といったけれど、二つの街とはこのことのようね。そして、このあたりが境界だったということかしら?
<Mugio>
二つの街は、水車小屋の管理を巡って争い、川の流れが血に染まるほどだったことから、川に架かる橋のことを「血の橋」と呼んでいたそうだ。
<Mugiko>
怖い話ね。でも、見どころはこの橋ではなく、この通りの西側にあるグラデツ地区の「Radiceva」という通りにある「石の門」のようね。
<石の門>
<Mugio>
グラデツ(現ゴルニ・グラード)は、中世の自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれていた。石の門は、当時のグラデツの数少ない出入り口の一つで、当初は木造で、1731年の大火で建物が焼け落ちたが、灰の中から聖母マリアの絵が燃えずに発見され、以後、マリアの奇跡の聖地となったという話だよ。
<Mugiko>
門の中には聖母マリアの肖像が納められた礼拝堂があるというけれど、残念ながら見学しなかったわ。
<Mugio>
そうか!でも、ここを通らないと次の見学先、グラデツの丘には行けないみたいだよ。グラデツの丘には、聖マルコ教会やクロアチアの国会、首相官邸などがあるそうだ。
<以上でザグレブ市内観光の2番目の記事を終了します。次回は、聖マルコ教会や国会議事堂などの様子をお伝えしたいと思います。ではまた!>