このブログに次の旅行記をどこにしようかな?と迷ったのですが、ちょっぴり古い「中欧ロマン紀行」にしました。
この旅は、2003年12月27日から翌年の1月3日までの8日間にわたってオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアを訪問した旅です。
まず、タイトルにある感想文みたいな文章をご覧ください。
■ 中欧ロマン紀行に参加して
2003年12月27日から2004年1月3日までの8日間、かみさんと二人で昨年のイタリア旅行に続き夢のヨーロッパ旅行に出かけた。
ちょっと人気がなさそうなコースで心配であったが、かみさんの強い希望でこのコースを選び大正解であった。
この旅行記は、出発からの軌跡をたどって写真と一緒に記録しておくことである。
うまく、記憶がよみがえるか不安であるが、まぁ、何とかなるでしょう!
<旅行1日目(我が家から成田空港、ウィーン、ブタペストへ)>
朝、五十肩の痛みで目が覚める。
昨日は、5時起床、6時出発と予定をたてていたが、外が妙に明るい。
もしや雪では?!と思ったが、その通りで激しい降り方である。
でも、道路を見ると、わずかに積もっている程度であり、車で成田空港に行くことに不安はなく再び寝てしまう。
肩の痛みと時刻が気になったのか?再び目が覚めると、一面、銀世界である。
かみさんが車で行くことに反対するな!と思いながら小生も迷っている。
外に出てみると、ミカンの木が雪の重みで垂れ下がるなど、かなり雪が積もっていることを確認するが、なおも道路の状況を未練がましく確認する。
かみさんと話し合い、車では無理だと思い、電車で行くことにするが、時間が気になり、京成上野駅に電話したり、パソコンで時刻表を確認したり大慌てである。
それでも、日暮里駅で予定のスカイライナーに乗ることができ、成田空港に8時30分ごろ到着する。
集合時刻が9時25分であるので、指定のDカウンターに荷物を置いて2階のレストランに朝食を食べに行く。
あまり美味しくないのに、やたらに高いそばをいただく。
受付が始まり、添乗員のHさんと初対面。受付と軽い説明の後、スーツケースを航空会社のカウンターに持って行く。
その後、参加者16名が全員集合し、Hさんの説明を受ける。
ツアーのメンバーはどのような人々であろうか?と気になるが、老若男女混合である。
添乗員のHさんは、ベテランの中年女性という感じであるが、この人、風邪気味なのか?咳をしていて、体調不良ではないのかと心配になる。
イラク関連で出国手続きが厳しいと聞いていたが、いつもと変わらないと思う。
飛行機は、オーストリアとANAの共同運行便とのことであるが、実質はオースラリア航空の運行で、2人の日本人スタッフが乗っている。
これから、12時間から13時間という長いフライトが始まり、トイレや食事、飲み物などが日本式ではないのかなどと考えていたら、飛行機は北に向かって飛んでいるいるではないか!
ロシアのウラジオストックあたりから西進し、下界は一面の銀世界である。
最初の食事は、日本風で食べやすい。お客の多くが日本人?だからであろうか?
幸い、二人の席は、一番後ろの二人用の席でトイレにもスムーズに行くことができた。
そうこうしているうちに、無事、オーストリアのウィーンに到着するが、ここからが大変である。
ハンガリーのブタベストに行くため乗り換えるのであるが、その待ち時間がなんと!5時間である。
空港内の免税店巡りで時間を潰すしかないが、かみさんは有名なチョコレートを買いに、小生はたばこが吸える場所探しである。
ここで、かみさんの渋い顔を押しきって、1万円札をユーロに両替するが、これが後で大いに役に立つことになる。
ウィーンの空港は、成田空港のような人混みではなく、きわめて静かで落ち着いている。
<ウィーンの空港にて>

こうして暇つぶしをして、やっとウィーンからブタペストに行く飛行機に乗ったが、フライト時間は1時間ぐらいであったろうか。
この飛行機は、プロペラ機でCAさんも客商売に慣れていないのか?愛想のないこと!、チョコレートやミネラルウオーターなどのサービスがあったが、「くれてやる!」という雰囲気である。
現地時間は、日本よりも8時間遅れているが、成田空港を出発してから19時間から20時間がかかって、やっとブタペストに到着したのである。
空港では、現地の女性ガイドさんが迎えに来ていたが、「是非、ブタベストの夜景を見学して欲しい。」ということで、寒いけれども、「国会議事堂」や「くさり橋」などを見学することができた。
ブタベストの夜景は、実に美しく、幻想的でさえあった。
<幻想的なくさり橋>

<同じくブタベストの夜>

この写真は、ライオンの像で有名な「くさり橋」であるが、海外旅行には、いつも亡き母を連れて行った。
このような光景を是非、見せたいと思ったが、亡くなってからは、母の写真を持って行っている。
今回も、かみさんの配慮で同行する。
85才まで海外旅行に行ったのだから、天国では笑っていると思う。
かみさんの配慮に厚く厚く感謝するのみである。
その後、ホテルに到着したが、規模の小さいホテルのようである。
待合のロビーで添乗員のHさんから翌日の説明や、電話のかけ方などの説明を受け、鍵を受け取り、部屋に向かう。
部屋は間取りが小さいが、「こんなものでしょう!」と納得。
それにしても、ベッドがシングルで小さい。
かみさんが夜中に落ちないか心配である。寝相が悪い小生のが落ちる?
それと、バスルームには化粧品などなく、タオルしか置いていない。
明日が早いので、早く寝ようとしたが、時間が良く分からない。
国際電話をして、親戚に電話してみると、案の定、ビックリしている。
無事、到着の知らせを入れて、料金が心配なので早めに切ってしまう。
小生は、五十肩の痛みで時々、目が覚めるが、かみさんは、良く寝ているようである。
<本日の記事は、これにて終了です。次回は、ハンガリーのブダペスト観光です。それではまた。>
この旅は、2003年12月27日から翌年の1月3日までの8日間にわたってオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアを訪問した旅です。
まず、タイトルにある感想文みたいな文章をご覧ください。
■ 中欧ロマン紀行に参加して
2003年12月27日から2004年1月3日までの8日間、かみさんと二人で昨年のイタリア旅行に続き夢のヨーロッパ旅行に出かけた。
ちょっと人気がなさそうなコースで心配であったが、かみさんの強い希望でこのコースを選び大正解であった。
この旅行記は、出発からの軌跡をたどって写真と一緒に記録しておくことである。
うまく、記憶がよみがえるか不安であるが、まぁ、何とかなるでしょう!
<旅行1日目(我が家から成田空港、ウィーン、ブタペストへ)>
朝、五十肩の痛みで目が覚める。
昨日は、5時起床、6時出発と予定をたてていたが、外が妙に明るい。
もしや雪では?!と思ったが、その通りで激しい降り方である。
でも、道路を見ると、わずかに積もっている程度であり、車で成田空港に行くことに不安はなく再び寝てしまう。
肩の痛みと時刻が気になったのか?再び目が覚めると、一面、銀世界である。
かみさんが車で行くことに反対するな!と思いながら小生も迷っている。
外に出てみると、ミカンの木が雪の重みで垂れ下がるなど、かなり雪が積もっていることを確認するが、なおも道路の状況を未練がましく確認する。
かみさんと話し合い、車では無理だと思い、電車で行くことにするが、時間が気になり、京成上野駅に電話したり、パソコンで時刻表を確認したり大慌てである。
それでも、日暮里駅で予定のスカイライナーに乗ることができ、成田空港に8時30分ごろ到着する。
集合時刻が9時25分であるので、指定のDカウンターに荷物を置いて2階のレストランに朝食を食べに行く。
あまり美味しくないのに、やたらに高いそばをいただく。
受付が始まり、添乗員のHさんと初対面。受付と軽い説明の後、スーツケースを航空会社のカウンターに持って行く。
その後、参加者16名が全員集合し、Hさんの説明を受ける。
ツアーのメンバーはどのような人々であろうか?と気になるが、老若男女混合である。
添乗員のHさんは、ベテランの中年女性という感じであるが、この人、風邪気味なのか?咳をしていて、体調不良ではないのかと心配になる。
イラク関連で出国手続きが厳しいと聞いていたが、いつもと変わらないと思う。
飛行機は、オーストリアとANAの共同運行便とのことであるが、実質はオースラリア航空の運行で、2人の日本人スタッフが乗っている。
これから、12時間から13時間という長いフライトが始まり、トイレや食事、飲み物などが日本式ではないのかなどと考えていたら、飛行機は北に向かって飛んでいるいるではないか!
ロシアのウラジオストックあたりから西進し、下界は一面の銀世界である。
最初の食事は、日本風で食べやすい。お客の多くが日本人?だからであろうか?
幸い、二人の席は、一番後ろの二人用の席でトイレにもスムーズに行くことができた。
そうこうしているうちに、無事、オーストリアのウィーンに到着するが、ここからが大変である。
ハンガリーのブタベストに行くため乗り換えるのであるが、その待ち時間がなんと!5時間である。
空港内の免税店巡りで時間を潰すしかないが、かみさんは有名なチョコレートを買いに、小生はたばこが吸える場所探しである。
ここで、かみさんの渋い顔を押しきって、1万円札をユーロに両替するが、これが後で大いに役に立つことになる。
ウィーンの空港は、成田空港のような人混みではなく、きわめて静かで落ち着いている。
<ウィーンの空港にて>

こうして暇つぶしをして、やっとウィーンからブタペストに行く飛行機に乗ったが、フライト時間は1時間ぐらいであったろうか。
この飛行機は、プロペラ機でCAさんも客商売に慣れていないのか?愛想のないこと!、チョコレートやミネラルウオーターなどのサービスがあったが、「くれてやる!」という雰囲気である。
現地時間は、日本よりも8時間遅れているが、成田空港を出発してから19時間から20時間がかかって、やっとブタペストに到着したのである。
空港では、現地の女性ガイドさんが迎えに来ていたが、「是非、ブタベストの夜景を見学して欲しい。」ということで、寒いけれども、「国会議事堂」や「くさり橋」などを見学することができた。
ブタベストの夜景は、実に美しく、幻想的でさえあった。
<幻想的なくさり橋>

<同じくブタベストの夜>

この写真は、ライオンの像で有名な「くさり橋」であるが、海外旅行には、いつも亡き母を連れて行った。
このような光景を是非、見せたいと思ったが、亡くなってからは、母の写真を持って行っている。
今回も、かみさんの配慮で同行する。
85才まで海外旅行に行ったのだから、天国では笑っていると思う。
かみさんの配慮に厚く厚く感謝するのみである。
その後、ホテルに到着したが、規模の小さいホテルのようである。
待合のロビーで添乗員のHさんから翌日の説明や、電話のかけ方などの説明を受け、鍵を受け取り、部屋に向かう。
部屋は間取りが小さいが、「こんなものでしょう!」と納得。
それにしても、ベッドがシングルで小さい。
かみさんが夜中に落ちないか心配である。寝相が悪い小生のが落ちる?
それと、バスルームには化粧品などなく、タオルしか置いていない。
明日が早いので、早く寝ようとしたが、時間が良く分からない。
国際電話をして、親戚に電話してみると、案の定、ビックリしている。
無事、到着の知らせを入れて、料金が心配なので早めに切ってしまう。
小生は、五十肩の痛みで時々、目が覚めるが、かみさんは、良く寝ているようである。
<本日の記事は、これにて終了です。次回は、ハンガリーのブダペスト観光です。それではまた。>