ヴェスヴィオ火山の大噴火で消え去った街は、どこでしょうか?
皆さん、ご存じのようにイタリアの「ポンペイ」ですね。
小生は、ここに2008年から2009年の年末年始にお邪魔しましたので、もうほぼ1年が経過しようとしています。
ポンペイだけではなく、映画で有名になった「アマルフィ」などの南イタリアの想い出紀行を書かなければ、と気があせるのですが、中国雲南省紀行に手が一杯で・・・などと言い訳しております。
そこで、南イタリアの想い出紀行の参考にもなりますので、今日は「ポンペイ」について勉強してみたいと思います。
ポンペイは、西暦79年の夏に起こったヴェスヴィオ火山の大噴火で死の灰の直撃を受けて灰に埋もれてしまった街です。
紀元前8世紀頃から商業活動の要衝として栄え、また、紀元前1世紀にはローマ帝国に編入され貴族の別荘なども建てられたそうですから、多分、暖かくて住みやすいところだったのでしょうね。
噴火直前の人口が約2万5,000人だったようですが、一瞬の爆発で灰に埋まってしまったのですから、当時の人々はどんな思いだったのでしょうか?
何が起こったのかビックリしたと思うのですが、「思い」などといった余裕はなかったかもしれません。
なにしろ、埋もれた人の形がミイラのように発見されているのです。
18世紀半ばに発見されたそうですが、火山灰の下から現れた遺跡は、古代人の生活が鮮やかに分かるほど状態がよいものとなっています。
遺跡は碁盤の目のように通りがあり、また、街全体は、楕円形になっています。
通りには石がおいてあったり、通りの両側に神殿や広場、個人の屋敷跡などが整然と並んでいます。
見所としては、紀元前2世紀に建造され、裁判や商取引などが行われた場所である「バシリカ」、48本のイオニア式円柱で囲まれた「アポロの神殿」、パシリカやアポロ神殿、浴場などの政治経済の施設が周りを取り囲む「フォロ」などがあります。
このフォロ(公共広場)周辺では、フォロの隣にある「ジュピター神殿」、踊るファウノのブロンズ像がある大豪邸「ファウノの家」、壁画が特徴の新興市民の豪邸「ヴェッティの家」馬蹄形のギリシャ様式劇場である「大劇場」などなどがあり、これらの代表的なところを見るだけで2時間くらいかかるそうです。
小生達が訪問したときは、小雨が降っていてお天気に恵まれませんでしたが、「まだ半分しか見ていない。」という説明がありましたので、主な見所といわれている60カ所全部を見るには4時間くらいかかるということでしょうか。
「折角、訪問したのにもったいない!」と思ったものですが、次に訪問するときは、もう少し暖かいときに「じっくり」と見学したいものです。
建物は残っていないのですが、「マリーナ通り」といわれる通りの石畳といい、フォロやアポロ神殿の円柱、そして整然と区画整理されたような街並みなど、どこを見てもここが紀元前からあった街だということに驚かされてしまいます。
今日は南イタリアのポンペイについてお伝えしました。
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