今日は、スプリットという街にあるディオクレティアヌス宮殿についてお伝えします。
<Mugio>
まず、スプリットいう街がどんなところなのか説明しようか。
<Mugiko>
アドリア海湾岸最大の港町スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245年~316年)の宮殿が、そのまま宮殿になったという珍しい起源をもっとぃる街なのね。
<Mugio>
そして、この宮殿に人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入り込んだ7世紀のことらしいね。
なぜ、異民族から追われた人々がここに来たのかといえば、宮殿跡という頑強な城壁に囲まれていて、安心安全を求めていた人々に好都合だったからのようだね。
<Mugiko>
さらに、人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築するという形で街を築いていったため、古代と中世が複雑に絡み合うような独特な街並みが生まれることになった、ということのようね。
<Mugio>
スプリットの北5㎞のところには、サロナという街があるけれど、ここは、先ほど話が出てきたスプリットに避難してきた住んでいた街らしいね。私たちは、残念ながらこの街には訪問していないけれど・・・
<Mugiko>
それと、スプリットに対するAさんの面白い次のコメントがあったので、それを紹介しておくね。
「沖には、石灰岩のとれるプラチ島、ホワイトハウスにも使われている!」
<ディオクレティアヌス宮殿>
<宮殿付近の光景>
<Mugiko>
ところで、スプリットには、11時ぐらいに到着してから2時間ほど滞在して、それから国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナのネウムという街に立ち寄って、再びクロアチアのオレビッチという街から船に乗ってコルチュラ島に向かう予定になってるから忙しいものだわね。
<Mugio>
それじゃ、急いでスプリットの街を見学しようか!といっても、宮殿は大きいだろうね。
<Mugiko>
先ほどの模型の絵でいうと、南北が215m、東西が180mというから歩いて見学することはできそうね。それにしても、周囲の壁の厚みが2m、高さが20mというから巨大なものだということね。
宮殿内には、東西南北にある門から入れるけれど、私たちは、青銅の門(Mjedena vrata)といわれる南門から入りました。
<ディオクレティアヌス帝の胸像>
<宮殿の地下>
<地下を潜ると兵士が>
<Mugio>
南門には、この宮殿の見どころとなっている地下があるけれど、地下には巨大な空間が広がっていて、その大きな役割は、宮殿の上部を支えるというものだったそうだよ。
また、中世には倉庫として使われたり、ワインやオリーブオイル造りにも用いられたようだね。
<Mugiko>
宮殿の南半分は、皇帝の私邸として使われていたそうだけれど、地下にも大きな役割があったのね。
<Mugio>
地下から出ると、東西南北のどこの門から直進しても、ペリスティル(Peristil)という広場に行くようになっている。この宮殿は、広場を中心に北が兵舎、そして、先ほど君が言ったように南が宮殿の私邸となっていたそうだ。
<Mugiko>
それで、私たちは、どういう順番で回ったの?
<Mugio>
南門から入場し、また、見どころは南に集中しているので、当然、南にある大聖堂(ディオクレティアヌス霊廟を改装)、礼拝堂になっているユビテル(Jupiterov hram)神殿などを見てから西門(鉄の門)の時計塔と旧庁舎、北門を見てフリータイムということらしいよ。
<Mugiko>
何だか自信がなさそうな言い方ね。これらを撮影していないのね!
<Mugio>
流石は、わが愛妻だね。大聖堂は、ペリスティル広場に面していて、最も見ごたえのある建物だけれども、人が多いことと建物が大きすぎて上手く写真に収まらないので、特徴となっている高い鐘楼とともに後ほど、掲載することにするよ。
なお、大聖堂は、ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教の教会として利用されるようになった、ということだね。
まず、ペリスティル広場と大聖堂の入口だね。
<ペリスティル広場>
<大聖堂の入口>
<Mugiko>
これが広場なの?
<Mugio>
ああ、そうさ!間違いないよ。広場には皇帝が住居としていた建物の玄関などもあるけれど、撮影していなかったのだから仕方がないさ。
<Mugiko>
威張ることないでしょう!
でも、そうなると、大聖堂の入口だという上の写真も怪しいものね。
<Mugio>
おい、おい!そんなこというなよ。
確かに事前に勉強していないから自信はないが・・・
<Mggiko>
なるほどね。あまりに近くから撮影したので、「この建物が大聖堂だ!」という確信が持てないということね。
<Mugio>
そんなことはないが・・・・
<Mugiko>
分かったわ。それで、次はユピテル神殿ね。ここは、ディオクレティアヌス帝がユピテル神殿として建てたものを後に洗礼堂として改築されたものだから、「洗礼堂」と表示されているみたいね。
<礼拝堂の入口>
<スフィンクス像>
<Mugio>
礼拝堂の天井部分には、美しい文様の彫刻が施されており、また、礼拝堂には、中世クロアチア王国の国王が彫られているということだけれど、残念ながら中に入らなかったね。
<Mugiko>
礼拝堂は、皇帝の住居の右側にあり、帝がエジプトに遠征した時に持ち帰ったというスフィンクスが入口に置かれていたわ。
<本日の記事は、これにて終了です。次回もスプリット市内観光です。>
<Mugio>
まず、スプリットいう街がどんなところなのか説明しようか。
<Mugiko>
アドリア海湾岸最大の港町スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245年~316年)の宮殿が、そのまま宮殿になったという珍しい起源をもっとぃる街なのね。
<Mugio>
そして、この宮殿に人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入り込んだ7世紀のことらしいね。
なぜ、異民族から追われた人々がここに来たのかといえば、宮殿跡という頑強な城壁に囲まれていて、安心安全を求めていた人々に好都合だったからのようだね。
<Mugiko>
さらに、人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築するという形で街を築いていったため、古代と中世が複雑に絡み合うような独特な街並みが生まれることになった、ということのようね。
<Mugio>
スプリットの北5㎞のところには、サロナという街があるけれど、ここは、先ほど話が出てきたスプリットに避難してきた住んでいた街らしいね。私たちは、残念ながらこの街には訪問していないけれど・・・
<Mugiko>
それと、スプリットに対するAさんの面白い次のコメントがあったので、それを紹介しておくね。
「沖には、石灰岩のとれるプラチ島、ホワイトハウスにも使われている!」
<ディオクレティアヌス宮殿>
<宮殿付近の光景>
<Mugiko>
ところで、スプリットには、11時ぐらいに到着してから2時間ほど滞在して、それから国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナのネウムという街に立ち寄って、再びクロアチアのオレビッチという街から船に乗ってコルチュラ島に向かう予定になってるから忙しいものだわね。
<Mugio>
それじゃ、急いでスプリットの街を見学しようか!といっても、宮殿は大きいだろうね。
<Mugiko>
先ほどの模型の絵でいうと、南北が215m、東西が180mというから歩いて見学することはできそうね。それにしても、周囲の壁の厚みが2m、高さが20mというから巨大なものだということね。
宮殿内には、東西南北にある門から入れるけれど、私たちは、青銅の門(Mjedena vrata)といわれる南門から入りました。
<ディオクレティアヌス帝の胸像>
<宮殿の地下>
<地下を潜ると兵士が>
<Mugio>
南門には、この宮殿の見どころとなっている地下があるけれど、地下には巨大な空間が広がっていて、その大きな役割は、宮殿の上部を支えるというものだったそうだよ。
また、中世には倉庫として使われたり、ワインやオリーブオイル造りにも用いられたようだね。
<Mugiko>
宮殿の南半分は、皇帝の私邸として使われていたそうだけれど、地下にも大きな役割があったのね。
<Mugio>
地下から出ると、東西南北のどこの門から直進しても、ペリスティル(Peristil)という広場に行くようになっている。この宮殿は、広場を中心に北が兵舎、そして、先ほど君が言ったように南が宮殿の私邸となっていたそうだ。
<Mugiko>
それで、私たちは、どういう順番で回ったの?
<Mugio>
南門から入場し、また、見どころは南に集中しているので、当然、南にある大聖堂(ディオクレティアヌス霊廟を改装)、礼拝堂になっているユビテル(Jupiterov hram)神殿などを見てから西門(鉄の門)の時計塔と旧庁舎、北門を見てフリータイムということらしいよ。
<Mugiko>
何だか自信がなさそうな言い方ね。これらを撮影していないのね!
<Mugio>
流石は、わが愛妻だね。大聖堂は、ペリスティル広場に面していて、最も見ごたえのある建物だけれども、人が多いことと建物が大きすぎて上手く写真に収まらないので、特徴となっている高い鐘楼とともに後ほど、掲載することにするよ。
なお、大聖堂は、ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教の教会として利用されるようになった、ということだね。
まず、ペリスティル広場と大聖堂の入口だね。
<ペリスティル広場>
<大聖堂の入口>
<Mugiko>
これが広場なの?
<Mugio>
ああ、そうさ!間違いないよ。広場には皇帝が住居としていた建物の玄関などもあるけれど、撮影していなかったのだから仕方がないさ。
<Mugiko>
威張ることないでしょう!
でも、そうなると、大聖堂の入口だという上の写真も怪しいものね。
<Mugio>
おい、おい!そんなこというなよ。
確かに事前に勉強していないから自信はないが・・・
<Mggiko>
なるほどね。あまりに近くから撮影したので、「この建物が大聖堂だ!」という確信が持てないということね。
<Mugio>
そんなことはないが・・・・
<Mugiko>
分かったわ。それで、次はユピテル神殿ね。ここは、ディオクレティアヌス帝がユピテル神殿として建てたものを後に洗礼堂として改築されたものだから、「洗礼堂」と表示されているみたいね。
<礼拝堂の入口>
<スフィンクス像>
<Mugio>
礼拝堂の天井部分には、美しい文様の彫刻が施されており、また、礼拝堂には、中世クロアチア王国の国王が彫られているということだけれど、残念ながら中に入らなかったね。
<Mugiko>
礼拝堂は、皇帝の住居の右側にあり、帝がエジプトに遠征した時に持ち帰ったというスフィンクスが入口に置かれていたわ。
<本日の記事は、これにて終了です。次回もスプリット市内観光です。>
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