mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

世界遺産人気ランキング:マチュ・ピチュ

2010年07月29日 | 旅行記

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 久しぶりにNHKの世界遺産人気ランキングのページを覗きましたら、第2回目のランキングが表示されていました。

 今回も投票ができましたので、クロアチアのプリトビッツェ国立公園(自然遺産)に投票しておきました。

 さて、今回(第2回)のランキング第1位は1979年と2007年に文化遺産として登録されたフランスの「モンサンミッシェルとその湾」でした。

 ここの説明については、2010年2月6日の記事で申し上げているとおり素晴らしい世界遺産ですが、今回のランキングでも、めでたく第1位に輝いたということです。

 そして、第2位がペルーのマチュピチュ、第3位がイタリアのベネチアとその遺跡群だそうです。

 「なるほどな!」と納得したのですが、ここまでは前回と同じ順位でした。

 そして、次の第4位ですが、前回は同じイタリアのフィレンツェでしたが、今回は第5位だったカンボジアのアンコールワットが上がってきました。

 それでは、フィレンツェは第5位かといいますと第6位に下がってしまいました。

 第5位にはインドのタージ・マハルが前回の10位から大躍進しました。

 第7位は中国の九寨溝ですが、前回は第9位ですから、ここも人気が上がってきたようです。

 個人的には今年の秋行きたいと思っていたのですが、来年に見送りたいと思います。

 なお、九寨溝が東の横綱ならば、西の横綱は小生が先ほど投票したプリトビッツェだと思いますが、九寨溝の方がスケールが大きいという話を聞いています。

 でも、「九寨溝は大きすぎて間近に見られない!青い湖の木道を歩くプリトビッツェの方が好きだ、」というような話もあるようです。

 いずれにしても、両方とも素晴らしい世界自然遺産だと思います。

 九寨溝の話が長くなってしまいましたが、第8位は日本の屋久島です。前回は第7位にランクされていました。

 続いて、第9位が二つあります。一つがプラハの歴史地区で、小生などはここを思い出しますと「ああぁ、松島や!松島や!」という言葉をもじって「ああぁ、カルレ橋や!カルレ橋や!」といいたくなってしまいます。 

 もう一つの第9位はドイツのケルン大聖堂です。前回はプラハ歴史地区が第15位、ケルン大聖堂が第20位でしたから二つとも大躍進です。

 ベストテンから外れたところですか?

 第5位だったスペインの「ガウディの作品群」、第8位だったエジプトのピラミッドです。

 なお、前回、小生がレポートした段階では、順位が確定していなかったかもしれません。また、今回も変動する可能性が大いにあると思います。

 ところで、今日は世界遺産人気ランキングの話ではなく、第2位に輝いたペルーのマチュピチュについて「世界史の謎がおもしろいほどわかる本」で説明したかったのですが・・・

 この本によるとマチュ・ピチュは「空中都市」の異名で呼ばれているそうです。

 東・北・西の三方を崖に囲まれた標高約2500㍍の山の鞍部に位置し、雲が眼下にたなびくため、まるで空中に浮かんでいるかのように見える都市であるというのですが、雲が目の下に見える都市なんて凄いことですね。

 写真で見ると、確かに都市(街並み)があるのですが、誰がどのようにしてこんな高いところに都市をを造ったのでしょうか?

 そして、もっと不思議なことは、人が一人もいない都市になってしまったのでしょうか?

 いわば建設と崩壊の謎は?ということですが、この本を読んでもイマイチわからないということがわかりました。

 特に、滅亡については、16世紀にインカ帝国の人々がスペイン人と戦ったときに、最後まで抵抗を続けた地(幻の都市ビルカバンバ)がマチュ・ピチュではないかという説があったそうです。

 でも、幻の都市は、マチュ・ピチュから数百キロほど西にあるエスプリトゥパンバ遺跡だとする説が有力になっているようです。

 それではマチュピチュは何だったのかという話になりますが、マチュ・ピチュは、太陽を祀る神殿に仕える「太陽の処女(アクリャ)」の聖域で、アクリャの禁じられた恋が、マチュ・ピチュ滅亡の原因だという説が有力になっているようです。

 意味が理解できない?そうですね。本の解説は次のようです。

 「アクリャたちは、一般の人達との交流を断って「処女の館」に住み、恋愛や結婚を禁じられた。彼女たちは神聖な神の妻として純潔を重視されたのである。

 もし、禁を破れば、密通したアクリャは生き埋めにされ、相手の男性は処刑された。」

 これでは江戸時代の日本ではないですか?「不義密通」という言葉を聞いたことがありませんか?

 「そればかりか男性の属する村や町は、住民も家畜も皆殺しだった。

 この厳重な禁忌により、近隣の村が次々に滅んでいったため、聖地マチュ・ピチュも生活を支えきれなくなったのではないかとされる。つまり、マチュ・ピチュは「神からの制裁」によって滅んだといわれているのだ。」 

 と説明しています。

 恐い話ですが、マチュピチュを崩壊させた人間は誰なのでしょうか?

 巻頭写真は、クロアチアの世界自然遺産プリトビッツェ国立公園です。    


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