朝方、寒かったのですが、午後からは日差しがまぶしくて「暑い!」と思わず叫んでしまいました。
さて、旧ユーゴスラビア4カ国の旅ですが、昨日、約束しましたように「サラエボ散策」をお伝えします。
<Mugiko>
早速、「サラエボの朝から」をレポートするのでしょう。
<Mugio>
そうだね。まず、このホテルITALIAだけれど、「道路を挟んで3階部分で旧館と新館がつながっている。あちこちに故障しているところがある。」というAさんの説明があったけれど、部屋が広いので「びっくり!」という印象が強く残ったよ。
<Mugiko>
あなたの遊び心が騒いだの?つながっている廊下を通って、新館の様子を見に行ったでしょう!
ところで、昨夜、Aさんに「次の旅行先としてどこがおすすめか?」などという質問をしていたわね。
<Mugio>
横浜のOさんとともにAさんの話を聞いたのさ。こちらから「九寨溝、エジプト、トルコ、マチュピチュはどうか?」という話になって、Aさんの答えは、エジプト、トルコが良い、また、サハラ砂漠がある??もおすすめ!というものだったよ。
<Mugiko>
今日は午前中、サラエボ市内を観光して昼食後、次の宿泊地ゴスピツァという街に向かう予定になっているわ。
7時00分にモーニングコールがあって、8時00分にスーツケース廊下搬出、6時30分に昼食(3Fレストラン)、9時00分出発となっているから時間的には余裕がありそうね。
<Mugio>
その朝食だけれど、僕としたことが撮影していなかったよ。
それはともかく、サラエボ市内観光のため予定通り9時00分に出発したけれど、見所の市街地までバスで30分もかかったので、ホテルから結構、」距離があるみたいだね。
<Mugiko>
ホテルITALIAの場所を地図で確認すると、「近い!」という感じがするけれど、案外、距離があるのかも知れないわ。
<Mugio>
サラエボには、「スナイパー通り」という物騒な名前の通りがあり、92年の4月から96年の2月にかけてボスニアヘルツェゴビナのセルビア人(セルビア共和国軍とユーゴスラビア人民軍)によって包囲され銃撃された「サラエボの包囲」という痛ましい出来事(一般市民の死者12千人とその4倍の死傷者)があった、という話を聞いたことがあるよ。
<Mugiko>
この通りにある建物には、セルビア人スナイパーがいて、動くものは何でも狙撃されたというから、本当に怖い話ね。
<Mugio>
「民族浄化」という考え方が、こうした悲劇を生んだようで、その背景には民族と宗教の対立があるように感じられるね。
<Mugiko>
私たちも、そのスナイパー通りを通ったはずなんだけれども・・・・
<Mugio>
仕方がないから、ホテルから市街地に行くまでに見えた光景をレポートしておくよ。
<サラエボ郊外>
<オリンピックの聖火台>
<Mugiko>
一枚目の写真は、9時10分頃撮影したものだけれど、この通りがスナイパー通りなのかは分からないわ。また、2枚目の写真は、ユーゴスラビア時代に開催された冬季オリンピックのスタジアムだそうよ。
<Mugio>
スナイパー通りを東に向かって進んでいくと、通りが二つに分かれるけれど、ミリャツカ川(Miljacka River)沿いの道には、第一次世界大戦の引き金になった「サラエボ事件」の現場があるんだけれど、残念ながら撮影していなかったな!
<Mugiko>
この建物の壁には「MUZEJ]の文字があり、写真とともに解説文が添えられているそうだから、撮影しなかったのは、本当に残念だったわね。
「サラエボ事件」というのは、1914年6月28日に起こった事件で、ボスニア出身のセルビア人カブリロ・プリツィブ(Gavrilo Princip)がオーストリアハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント夫妻をピストルで狙撃して殺害したという事件ね。
<Mugio>
このように去れ簿という街は、大きな出来事があった都市なのだから、もっと勉強してから訪問すべきだったと後継しているよ。
<工事中の国立図書館>
<ミリャツカ川からの光景>
<Mugiko>
そうね!「MUZEJ」という文字がある建物は、サラエボの橋では一番古いといわれている「ラテン」という橋の曲がり角に建っていて、ここが狙撃の現場のようね。
私たちも、ここを訪れているはずだけれど、下の写真に写っている橋は、ラテン橋ではないみたいね。
<Mugio>
そうなのさ!2枚の写真を撮影した場所は、「SeherーCehajina」という橋のようだから、ラテン橋よりもずっと東ということのようだね。
<Mugiko>
国立図書館は、オーストリアハンガリー帝国時代に市庁舎として建てられ、後に国立図書館になったそうよ。そして、1992年のセルビア軍の砲撃で全焼したけれど、2014年に修復が完了するそうね。
<今日は、長くなりましたので、この辺で筆を置きます。次回もサラエボ市内観光です。>
さて、旧ユーゴスラビア4カ国の旅ですが、昨日、約束しましたように「サラエボ散策」をお伝えします。
<Mugiko>
早速、「サラエボの朝から」をレポートするのでしょう。
<Mugio>
そうだね。まず、このホテルITALIAだけれど、「道路を挟んで3階部分で旧館と新館がつながっている。あちこちに故障しているところがある。」というAさんの説明があったけれど、部屋が広いので「びっくり!」という印象が強く残ったよ。
<Mugiko>
あなたの遊び心が騒いだの?つながっている廊下を通って、新館の様子を見に行ったでしょう!
ところで、昨夜、Aさんに「次の旅行先としてどこがおすすめか?」などという質問をしていたわね。
<Mugio>
横浜のOさんとともにAさんの話を聞いたのさ。こちらから「九寨溝、エジプト、トルコ、マチュピチュはどうか?」という話になって、Aさんの答えは、エジプト、トルコが良い、また、サハラ砂漠がある??もおすすめ!というものだったよ。
<Mugiko>
今日は午前中、サラエボ市内を観光して昼食後、次の宿泊地ゴスピツァという街に向かう予定になっているわ。
7時00分にモーニングコールがあって、8時00分にスーツケース廊下搬出、6時30分に昼食(3Fレストラン)、9時00分出発となっているから時間的には余裕がありそうね。
<Mugio>
その朝食だけれど、僕としたことが撮影していなかったよ。
それはともかく、サラエボ市内観光のため予定通り9時00分に出発したけれど、見所の市街地までバスで30分もかかったので、ホテルから結構、」距離があるみたいだね。
<Mugiko>
ホテルITALIAの場所を地図で確認すると、「近い!」という感じがするけれど、案外、距離があるのかも知れないわ。
<Mugio>
サラエボには、「スナイパー通り」という物騒な名前の通りがあり、92年の4月から96年の2月にかけてボスニアヘルツェゴビナのセルビア人(セルビア共和国軍とユーゴスラビア人民軍)によって包囲され銃撃された「サラエボの包囲」という痛ましい出来事(一般市民の死者12千人とその4倍の死傷者)があった、という話を聞いたことがあるよ。
<Mugiko>
この通りにある建物には、セルビア人スナイパーがいて、動くものは何でも狙撃されたというから、本当に怖い話ね。
<Mugio>
「民族浄化」という考え方が、こうした悲劇を生んだようで、その背景には民族と宗教の対立があるように感じられるね。
<Mugiko>
私たちも、そのスナイパー通りを通ったはずなんだけれども・・・・
<Mugio>
仕方がないから、ホテルから市街地に行くまでに見えた光景をレポートしておくよ。
<サラエボ郊外>
<オリンピックの聖火台>
<Mugiko>
一枚目の写真は、9時10分頃撮影したものだけれど、この通りがスナイパー通りなのかは分からないわ。また、2枚目の写真は、ユーゴスラビア時代に開催された冬季オリンピックのスタジアムだそうよ。
<Mugio>
スナイパー通りを東に向かって進んでいくと、通りが二つに分かれるけれど、ミリャツカ川(Miljacka River)沿いの道には、第一次世界大戦の引き金になった「サラエボ事件」の現場があるんだけれど、残念ながら撮影していなかったな!
<Mugiko>
この建物の壁には「MUZEJ]の文字があり、写真とともに解説文が添えられているそうだから、撮影しなかったのは、本当に残念だったわね。
「サラエボ事件」というのは、1914年6月28日に起こった事件で、ボスニア出身のセルビア人カブリロ・プリツィブ(Gavrilo Princip)がオーストリアハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント夫妻をピストルで狙撃して殺害したという事件ね。
<Mugio>
このように去れ簿という街は、大きな出来事があった都市なのだから、もっと勉強してから訪問すべきだったと後継しているよ。
<工事中の国立図書館>
<ミリャツカ川からの光景>
<Mugiko>
そうね!「MUZEJ」という文字がある建物は、サラエボの橋では一番古いといわれている「ラテン」という橋の曲がり角に建っていて、ここが狙撃の現場のようね。
私たちも、ここを訪れているはずだけれど、下の写真に写っている橋は、ラテン橋ではないみたいね。
<Mugio>
そうなのさ!2枚の写真を撮影した場所は、「SeherーCehajina」という橋のようだから、ラテン橋よりもずっと東ということのようだね。
<Mugiko>
国立図書館は、オーストリアハンガリー帝国時代に市庁舎として建てられ、後に国立図書館になったそうよ。そして、1992年のセルビア軍の砲撃で全焼したけれど、2014年に修復が完了するそうね。
<今日は、長くなりましたので、この辺で筆を置きます。次回もサラエボ市内観光です。>
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