mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

地方制度

2009年05月19日 | 国際・政治

 皆さんは「地方制度」という一見、格調高い言葉を聞いたことがあるでしょうか?

 小生は、「紅顔の美少年の頃」ではなく、青春の真っ直中という20代前半の時に、この「地方制度」に関する仕事をしていたことがあります。

 といいますと、「嘘」になってしまいますが、この仕事を担当していた国の組織(旧自治省)に在籍していたことがあります。

 自治省行政局行政課という組織ですが、憲法が保障している地方自治制度を調査・企画立案するという誠に「大胆な仕事」を担当するところです。

 簡単に言いますと、地方制度の現状とあり方を調査研究して、改正すべき点がある場合には地方自治法という法律の改正などを行うのですが、よくよく考えてみますと、このような大事な法案を国会に提出(政府案)しているのですから官僚の権限と責任は、誠に大きいといえます。

 また、官僚は、日本で最高学府といわれる東大や京大のようなところを卒業した人が多いのですが、給料を貰いながら自分に与えられた仕事を調査研究するのですから、専門家としての知識も相当なもので、大学の教授くらいの学識を持っている方も多数いると思います。

 とは、いいながら小生に言わせれば今の地方制度は、官僚に誠に都合の良い制度になっているように思えてなりません。

 第一に、都道府県と市町村という二重構造の制度が必要なのでしょうか?

 また、都道府県と国の地方支分局(地方整備局、農政局などの国の省庁別の出先機関です。)も同じような仕事をしています。

 そして、都道府県と市町村の仕事も、どのように分担しているのか分からないのではないでしょうか?

 現在、道州制度が議論されていますが、国と地方の組織のあり方と事務分担(権限)を明確にして、分かりやすいものにして欲しいものです。

 そして、最も重要なことは、こうした地方制度が安定するかどうかの鍵を握る財政制度です。

 3割自治という言葉を聞いたことがあると思いますが、小生の推論を述べます。

 戦後に地方制度を設計する際に、地方が独立できないような制度を作り上げたのは誰だったのでしょうか?

 すなわち、地方に権限と財源を与えてしまうと、困るのは国の各省庁と国会議員だったのではないでしょうか?

 明治時代からの中央集権主義の「うま味」を知っていた人達の「陰謀」又は「戦略」だったと思うのです。

 下司の勘ぐり?そんなことはないと思いますよ。

 地方の役人は、許認可と補助金、交付税制度などに疑問を持ちながらも、仕方なしに頭を下げていた時代がずーーと続いていたのです。

 地方にとって重要な財源である借金の制度も問題がありました。

 地方が借金する場合は、国の許可を得なさい、というのですから、地方は、まるで国の「子ども」のようです。

 それでいながら、国自身は借金漬けなのですから、開いた口が塞がりません。

 国民の代表である国会の了解を取っている、という言い訳が聞こえそうですが、それならば、地方も住民の代表である地方議会の了解を取っているということになり、国の許可が必要という理屈は、通用しないことになります。

 小泉改革の地方分権一括法で「許可制」から「届出制」に見直されたようですが、起債計画のヒヤリングや財源措置(地方が事前に総務省に届け出をせずに勝手に借金した分は、交付税措置をしない。)を通じて実質的に同じことが行われているといえるのではないでしょうか。

 地方自治の本旨を実現すべき総務省ですら、こういう姿勢ですから、官僚は自分達の利益(許認可、補助金などの仕事)を守ることしか頭にないのでは!と思ってしまいました。

 ところで、最近は、地方の実状も大きく変わってきました。

 知事や市長などの首長に有名人が就任して、勉強していますので、国と地方の関係で何が課題であるかが明らかになってきました。

 そのため、その政策や国に対する発言などが多くの国民から支持されるようになりました。

 また、それを支える職員も、政策の企画立案やその実行を通じて現場の充実感とでもいうべきものを味わって、国の職員では経験できない「地に着いた実力」を身につけてきました。

 このような中で、官僚批判が連日のように報道される厳しい時代ですが、日本もオバマさんがいうところの「チェンジ」の時代に入ったのだと思います。

 このことは、地方制度ばかりではなく、日本の行財政制度そのものが変わる時代に入った、という気がしてなりませんが、皆さんはどう感じているでしょうか!

 

 

 


政治と行政

2009年05月18日 | 国際・政治

 「政治と行政」などという難しいタイトルをつけてしまいましたが、何が言いたいのかと言いますと、分かっているようで本当は分かっていないことが沢山あることに気がつきました。

 そもそも政治と行政の違いは何でしょうか?

 また、これに関連して権力という言葉も良く聞きます。

 国家権力、警察権力などですが、政治権力という言葉もありそうですが、行政権力という言葉はあるのでしょうか?

 これら根本には、いずれも国家の統治機構(制度)とその運営を憲法がどのように定めているのかという問題があると思います。

 政治と行政の関係は、皆さん、ご承知のように、国民が選んだ議員が予算や法律などを定め、その定めに基づいて行政は、国家や地方の仕事を行うということになるのだと思います。

 従って、政治は、いわば政策を実現するため議決いう大きな国権(国家権力?)をもち、最高機関であるはずですが、実体は、どうもそうなっていないようです。

 何故かと言えば、年金の問題や農林水産省などで行政が勝手なことをやっていたことが明るみに出て、法律の定めが守られていなかったからです。

 法律が守られていなかったと言うより、行政の怠慢や都合の良い解釈が行われてきたと言った方が良いかも知れません。

 こうなると、行政を監視する必要があると思うのですが、議会だけがその機能を果たすのは、非常に難しいのではないかと思います。

 また、議会は、本来、議論を通じて国、地方のあり方や進むべき方向などを具体的な政策として定めて欲しいものです。

 特に、最近の不況のように世界経済が同じ方向に進むという「地球一体型の経済」の時代に突き進んでいる現代でにおいて、資源や環境のあり方、さらには中国が台頭する将来を見据えた日本の役割(特に、高い技術力を生かした)や戦略などを定めるべきだと思うのですが・・・・

 そのために行政は、国民や議会から信頼される存在になって欲しいものです。

 「行政がルール通りに仕事していない。勝手なことをしている。」などという話題は、あまりにも議論が後ろ向きだと思えるのです。

 


古都トレド

2009年05月12日 | 旅行記

 毎日、阪急交通さんや、JTB旅物語のパンフを眺めています。

 何のために?もちろん、次回、訪問したいところを物色するためですが、行ってしまったところもコースやホテルのグレード、金額など眺めながら「ため息」をつくこともあります。

 「ため息」の内容?もちろん、反省することですが・・・反省するだけなら猿でもできる!ごもっともです。

 そこで、去年(08年8月)のスペイン旅行での反省の第一を考えてみたいと思います。

 反省の第一は、事前学習です。

 今回からは、反省を生かして十分、勉強するぞ!と意気込んだのですが、結果は無惨なものでした。

 めずらしく事前勉強はしたのですが、実際に旅行してみますと、これが生かされていないのです。

 具体的に「トレド」の例で申し上げますと、事前学習は、次のようでした。

                   スペイン情報

1 トレド

  古都トレドは、NHKの「探検ロマン世界遺産」のページに次のように紹介されています。

 「もし一日しか滞在することができないのなら、迷わずトレドへ行け。」スペインの首都マドリッドから南へ70キロ。灼熱の太陽に焦がされた赤茶けた大地の中に忽然と姿を現す中世の街、それが古都トレド。南北1.3キロ、東西1.5キロ。三方を川に囲まれた岩屋の上に立つ荘厳な大聖堂。まるで中世のテーマパークのような街全体が世界遺産に登録されています。

 6世紀、西ゴート王国の首都となったトレドは、8世紀にイスラムに征服され、11世紀、再びカトリック・スペインの都となりました。

 16世紀、都がマドリッドに移るまでの間、支配者が目まぐるしく変わりながらも、この都はヨーロッパ随一の栄華を誇り、政治、経済、文化の中心であり続けました。

 なで、それほどの繁栄を謳歌することができたのでしょうか?そして、そのご、突然、繁栄の歩みを止めてしまったのでしょうか。

 

 

 となっています。

 こんな紹介は、書き写せばよいのであるから猿でもできる!まぁ、そういうことですが、そのほかにも色々調べました。

 まず、トレドの概要ですが、

 トレドは、スペイン、カスティーリャ・マンチャ州の州都でトレド県の県都、人口約7万7千人、そして、NHKの紹介にもあるように中世にはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が交錯した地であり、「街全体が博物館」と言われています。1614年に没したギリシャ人のエル・グレコが活躍した街でもあります。

 そして、歴史ですが、これが日本人には、なかなか理解できにくいのであります。

 560年に西ゴート王国の首都になるのですが、この西ゴート王国というのは、今で言うところのキリスト教の信者の人達といったらよいのでしょうか?そういうヨーロッパの人達が支配していたところのようですが、711年にウマイヤ朝というイスラム教の人達に征服されてしまいます。

 その後、ウマイヤ朝滅亡後に分裂割拠した諸侯であるタイファ諸国のうちのトレド王国にアリフォンソ6世という方が1,085年に入場してカスティーリャ王国を建国したとされています。

 なんだか、メモした小生がよく分からなくなってきましたが、この後も長い歴史があったはずですが、トレドばかりなく、スペインは、キリスト教勢力とイスラム教勢力が長く争った歴史を持っていることが大きな特徴なのです。

 スペインといいますと「レコンキスタ」という言葉がよく出てきますが、日本語では何というのでしょうか?「再征服」?でよいのでしょうか。

 まぁ、そういうことで、その歴史的象徴である教会にその歴史が良く表れています。

 トレドでいえば、トランシト教会やサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会などがイスラム教とキリスト教の建築様式が融合した「ムデハル様式」のようです。

 問題は、こういうように一応、勉強したのですが、現地で確認しなかったことです。

 ああぁ、スペインにもう一度行って確認したいな!!!


野菜、そして介護

2009年05月07日 | 社会・経済

 久しぶりにブログの画面を開きました。

 パソコンは、毎日、使っているのですが、日記のように何かを記録する作業は、結構、エネルギーを必要としています。

 そんな言い訳はいらない!そうですね。

 ところで、ここのところ、少々、疲れ気味ですが、その原因は、春野菜の植え付け作業にあるようです。

 植えるだけで疲れるか?と言われそうですが、「土を掘り起こして肥料を施して、畝をつくる。」という一連の作業は、結構、きついものです。

 でも、この作業が楽しいことも事実ですから人間、何かをやっていないと気持が落ち着かないのかも知れません。

 仕事も実績という「果実」を出すためにいろんな作業を必要としていますが、人間関係という実に楽しく面白い、そして、やっかいなものを抱えています。

 そういう世界が懐かしい?まぁ、多少はそんな感じもありますが、仕事が懐かしいのではなく、人恋しいのでしょうね。

 でも、畑の楽しみは、仕事と違って面倒を見てやると、まるで子どものように「すくすく」と大きくなることが見えることです。

 もちろん、最大の楽しみは「食べること」ですが、親類や親戚などにプレゼントして、その喜ぶ顔を見ることも「食べること」に劣らないくらい楽しいものです。

 ところで、今、何を植えているかですが、ホームセンターなどで売っているナス、キュウリ、トマト、ゴーヤ、サツマイモ、ピーマン、レタス、トーガラシ、カボチャなどです。

 でも、畑の大部分を占拠しているのは、ニンニクとタマネギ、そしてジャガイモです。特に、ジャガイモは6キロも植えましたので、半分くらいを占めているという感じです。

 話だけでは、大きさ、臭い、味などが分からない!ごもっともです。

 ごもっともですが、どのようなものかを写真でご覧いただくことでご容赦いただきたいと思います。

 後ほど、HPに搭載したいと思います。

 

09nenyasai_011

 さて、最近、新聞、テレビを見ていて気になることがいくつかありました。

 一つは、清水由貴子さんが自殺で亡くなったことですが、その原因が介護であるといわれています。

 小生は、清水さんのことは何も知りません。でも、外見で人を評価したり、判断してはいけないのでしょうが、彼女のような感じの女性が大好きです。

 想像でしかありませんが、彼女の心に占めるお母さんへの思いと介護の辛さが「ひしひし」と伝わってくるようで、溢れる涙を止めることができませんでした。

 介護といえば、4月16日の「老夫婦と介護」でお伝えしましたように長門裕之さんと南田洋子さんのことを思い出します。

 そして、日本の介護現場がフィリピンの人達に支えられようとしていることが話題となっています。

 こうした現象を見ていますと、介護ばかりではなく保険、年金、医療など、どの福祉分野も制度そのものが揺らいでいると感じてしまうのですが、どうでしょうか?

 しかも、人口が減少していきますので経済は、縮小の時代に入る可能性があります。

 憲法は、その第25条で「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」といっていますが、それを実現するための国家の努力は、何処へ行ってしまったのでしょうか?

 世界に冠たる「一億総中流国家」を壊して、規制緩和と財政再建という美名のもとにアメリカ型の格差社会を実現し、福祉国家への道を放棄してしまったのでしょうか?

 食料、エネルギー、環境など人類共通の課題がありますが、経済がグローバル化した現代では、福祉も一国では解決できない時代に来ているのかも知れません。

 今日も訳の分からないレポートになってしまいました。