mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

パリから行く小さな旅<ベルサイユ宮殿3>

2017年11月25日 | 旅行記
 前回は、「パリから行く小さな旅」のベルサイユ宮殿見学から昼食までをお伝えしましたので、今日は、食後に訪れた「プチ・トリアノン」についてお伝えします。

 「プチ」というのは、日本で「プチトマト」というように「小さい」という意味のようですが、「トリアノン」の方は、この地の名前のようです。
 ところで、マリー・アントアネットが愛したのは、プチ・トリアノンではなく、この近くに彼女が造らせた「小集落(農家住宅)」だったようです。

<この住宅がアントワネットが愛した農家住宅?>


 順番が逆になってしまいましたが、アントワネットが頭にあるものですから農家住宅のことを先に申し上げてしまいました。
 この写真は、プチトリアノン庭園の遠方に広がる光景を撮影したものですが、果たして彼女が愛したという農家住宅でしょうか?

 ところで、トリアノンは二つあるそうで、プチ以外のトリアノンは、ルイ14世が造った「グラン・トリアノン」だそうです。
 トリアノンは、ベルサイユ宮殿の北西(公園の右奥)にありますが、私たちは、バスでトリアノンの駐車場まで行ってこの離宮を見学しました。
 トリアノンに通じる道路を走っていますと、正面に鉄柵の門が見えてきましたが、これが「グラン・トリアノン」だそうです。

<グラントリアノンの鉄柵門>


 私たちが見学したプチ・トリアノンは、グラン・トリアノンの手前を右に曲がったところにありました。その両側には樹木が一直線に配置され、静寂の世界に包まれていました。

<プチ・トリアノン>


 プチ・トリアノンは、ルイ15世が奥さん(ポーランドの王女)ではなく、愛妾(ポンパドゥール公爵夫人)のために建てたもので、ルイ16世がマリー・アントワネットのために建てたものではないそうです。

 さて、ここでクイズです。
 問1 ルイ16世は、ルイ15世の子供である。
 答えは、「NO」のようです。(ポーランド王女が生んだ男の子の子、つまり孫が正解)
 問2 ルイ15世の子供は、なぜ即位しなかったのか?
 答えは、ルイ15世が王位にある間に没してしまったからです。
 <興味のある方は、世界遺産の説明などをご覧ください。>

 という息抜きはこれくらいにして、このトリアノンは大きいものではなく「端正で瀟洒な造り」とされているが、ベルサイユ宮殿の豪華な造りを見てからここに来ると、小生には「洒落ている」というより「静かな寂しさ」が伝わってきました。
 ところで、建物の周りや中の様子が気になりますが、例の女性ガイドが訳知り顔で説明しており、小生は人間が小さいためか反発心がメラメラと起こり、説明を聞いていませんでした。
 でも、調度品や肖像画などは、ちゃんと撮影してありますので、ご安心ください。

<プチ・トリアノンの中>


<同じく>


 次に、建物周辺の様子ですが、中の見学が終わってから正面の右側に行きますと、公園や先ほど申し上げた農家住宅などが見られました。

<建物右側の公園>


<建物の裏側>


 以上がプチ・トリアノ見学ですが、ここの見学が終了すると「本日の予定は、すべて終了しました。」となり、パリのホテルの戻るとばかり思っていました。
 ところが、パリには戻ったのですが、ホテルに直行しないでJTBと締結している「免税店にいく!」ということでしたので、「ああぁ、またか!?」と思いました。
 しかし、これが良かったのですから旅は面白いものです。


 <本日のブログは、これにて終了です。何が良かったのか?については、次回にレポートします。>
 
 

パリから行く小さな旅<ベルサイユ宮殿2>

2017年11月24日 | 旅行記
 前回はベルサイユ宮殿の入口のところで話が終わってしまいました。
 そして、ベルサイユ宮殿ができる前の宮殿は、どこにあったのか?という質問をしました。
 誰に質問したのか?自問自答です!

 さて、その続きですが、その答えは現在のルーブル美術館です。
 だから、初めてルーブル美術館に行ってみると、その大きさと壁や天井に描かれた絵画などに「美術館がこんなに豪華なのか!」と圧倒されてしまうのです。

 質問ついでにクイズを出しますと、オーストリアのハプスブルク家からきたマリー・アントワネットは誰と結婚すのでしょうか?
 答えは、ルイ16世です。
 マリー・アントワネットは、贅沢三昧で国家財政を逼迫させた悪女のようにいわれ、そのためフランス革命で処刑されたことはあまりにも有名ですが、ここで小生が彼女のことを記した理由は、彼女が愛したといわれる「プチ・トリアノン」という離宮と農家住宅などがこのベルサイユ宮殿の敷地にあるからです。

<マリー・アントワネットの肖像画>


 さて、ベルサイユ宮殿の中ですが、建物は正面から見るとコの字形になっており、右側の本館二階に上がってから見学がスタートするようです。

<宮殿正面中央のルイ14世像>


<宮殿正面>


 この建物は、王と王妃のための居住空間ですが、ブルボン王朝といわれる時代の栄華を示す部屋が次々と並んでおり、金箔の家具、寝具などの調度品が並ぶ部屋、王や王女などの肖像画が並んでいる部屋、さらに絢爛豪華な天井画などが次々に目に飛び込んできて、説明があっても「ただただ」圧倒されるばかりで「そうですか!」と頷くばかりです。
 さて、その部屋の名前ですが、「豊穣の間」「マルスの間」「アポロンの間」「戦争の間」などですが、その部屋がどんなものであるのか?とても説明できるものではありません。
 でも、西側全体が一つの部屋となっている「鏡の間」だけは覚えておいた方が良いといわれています。
 そして、建物の左側には、マリー・アントワネットも使用したという「王妃の間」や「控えの間」などが並んでいました。
 などといってますが、これでは説明になっていませんね!もっと、事前に勉強しておくべきだったと反省や後悔をしている今日この頃です。
 でも、分からないながらも、その豪華さだけは伝わる写真がありますので、ご覧ください。

<宮殿内部の様子>
















 この2階の見学が終わると、自由行動となり、北側に広がっている広大な庭園を散策しました。

<広大な庭園の草花>


<広大な庭園>


 庭園散策の後は、昼食ですが、本日のメニューが「エスカルゴ」となっていましたので、期待感が高まりました。
 場所は、宮殿右側の道路沿いにあるレストランですが、肝心な味の方はどうだったのでしょうか!?

<これぞ「エスカルゴ」であるぞ!>


<メインディッシュの鶏肉>


 どんなに美味しいのか!と期待に胸を膨らませながらいただいたのですが、残念でした。
 カタツムリの入口をほじくり、その中のものをいただくのですが、形が小さく、真っ黒、肝心な味は、サザエに遠く及ばない貧弱なものでした。
 まぁ、「仕方がない!」という言葉しか見つかりませんでした。

 
 <昼食の後は、バスでマリー・アントワネットゆかりの「プチ・トリアノン」に向かいましたが、その様子は次回にお伝えします。ではこれにて!>








パリから行く小さな旅<ベルサイユ宮殿>

2017年11月21日 | 旅行記
 さて、午後(2004.7.20)からはパリ郊外にあるベルサイユ宮殿に向かいました。
 ベルサイユ宮殿に到着する頃には日が落ちかけていました。
 私たちが宿泊するホテル(ソフィテル・シャトー・ド・ベルサイユ)は、宮殿から歩いて数分という絶好の位置にあります。
 しかも、このホテルのグレードは、今回の旅では最高でした。
 到着後、夕食となったのですが、私たちのグループだけの大きな部屋が用意されており、香辛料の匂いが気になる方もいたようですが、小生は美味しくいただくことができました。
 皆様と一緒に食事ができるのもこれが最後ということで、参加者の気持ちが一つになるような雰囲気が出てきたのも面白いものです。
 しかも、ハプニングがありました。
 またまた小生がふざけた?違います!
 従業員が運んできたワインのグラスが娘さんと参加していた親子に向かって倒れてワインが洋服にかかってしまったのです。
 旅をしていますと、こういう思いも寄らないことが起こるものなんですね。
 ああ、そうそう、食事の内容ですが、ナス料理などでした。

<美味しそうなナス料理>


<これは何?>


<いろどり豊かな野菜サラダ>


 ここで、添乗員のKさんから明後日のオプショナルツアーの案内があり、家族ごとに予約したのですが、我が家はどうしようか?と考えていたら、かみさんが、いきなり「22日はディナークルーズ、23日はモネの家観光」を申し込んだものですから驚いてしまいした。
 後で聞きましたら、22日の昼の自由行動は、午前中にオルセー美術館見学、午後は買い物という考えだそうです。
 この予定が、22日に時間の余裕がなくなる原因だったのですが、忙しかっただけで問題はありませんでした。

 さて、食事の後にベルサイユ宮殿見学をしたいと考えていたのですが、夕食時の話が長引いたため時間が遅れてしまいました。
 それでも、夕闇に輝く幻想的なベルサイユ宮殿を見学することができました。

<夕闇のベルサイユ宮殿>


 <続いて翌日、見学したベルサイユ宮殿の様子です。>
 ベルサイユ宮殿は、その敷地が1,700万平米を超えているといいますが、どのくらいの広さなのか実感がわきません。
 確か、全国で一番面積が狭い埼玉県の蕨市500万平米強ですから、その3倍くらい、真四角の土地で計算すれば、一辺の長さが4キロメートル以上となる広大な面積です。
 その大部分に建物が建っている?残念ながらそんなことはなく、大部分は公園のようです。
 その公園は、宮殿の建物に近いところにフランスシク庭園(花壇)、続いて池があり、その先に大きな水路(運河)を挟んで森林がある、という配置でした。
 これを宮殿西側の窓から見ますと、遠近感を伴ったその美しさが絵画のように目に焼き付きました。
 その光景は、建物の窓枠を額縁にした「生きた絵」と呼びたいものでした。

<宮殿から見える公園>


 さて、話を少し戻していただいて、ホテルから歩いていた時の様子をご覧いただきましょう。
 朝、ホテルから歩道に出ましたら、道路挟んだ反対側に「これが宮殿ではないか!」と思えるような立派な建物が見えましたので、宮殿の方向とは逆の方向に歩き始めてしまいました。
 そこでは、懸命に道路の清掃をしている人に出会いましたが、ご覧のように満面の笑顔を見せてくれました。

<左方向がベルサイユ宮殿>


<笑顔で清掃作業をする人>


 話が横道にそれてしまいましたが、ベルサイユ宮殿へは、<左方向がベルサイユ宮殿>となっている写真のとおりですが、その途中には、輝くような薄緑の葉をつけた樹木が並んでおり、その先には交差する道路と横断歩道、そして、宮殿前の駐車場があります。
 そして、そこを過ぎると、宮殿の入口となりますが、小生がなぜこのような光景までを記述したかといいますと、もしかしたら「ホテル辺りからが宮殿だったのではないか?」と思ったからです。
 なぜ、そう思うのか?薄緑色の樹木の通りには、ホテルを含め多くの立派な建物が燦然と立っていたからです。
 特に、宮殿の近くには「この建物は何か?」と思われるものがありましたが、皆さん、この建物の正体は?
 なんと!この建物は「厩(うまや)」だそうです。

 観光客は、このように度肝を抜かれてから宮殿の入口に立つことになりますが、この門も、宮殿を建築したルイ14世の時代につくられたようで、金色に輝いていて「さすが王宮だけあって門にもお金がかかっているな!」と変に納得してしまいました。
 しかし、警備上やむを得ないのでしょうが、門の両側は鉄格子のようになっており、折角の景観を殺しているように感じました。

<薄緑色の樹木が美しい道路>


<宮殿正面の門>


 ベルサイユ宮殿は、ルイ14世という王様が自分の権威を全ヨーロッパに示す象徴として建てたもので、17世紀後半に完成したそうですが、その前の王宮は何処にあったのかご存知でしょうか?


 <時間がなくなってきました。次回はベルサイユ宮殿の中からの記事をお伝えしたいと思います。それではこれにて失礼します。>

パリから行く小さな旅<あこがれのモンサンミッシェル続きの続き>

2017年11月19日 | 旅行記
 前回は「憧れのモンサンミッシェル」から「トイレ」と「ずぶ濡れ」という二つの事件についてお伝えしました。
 今日は翌日、7月20日の朝から見学したモンサンミッシェル観光についてお伝えします。

<7月20日(月)モンサンミッシェル観光とベルサイユ宮殿>
 この日は、ホテルからモンサンミッシェルに行き、要塞のような建築物の中を見学することになっています。
 私たちが宿泊したホテルは、平屋で、しかも別棟でしたが、部屋の中はパリのホテルよりも良かったと思います。
 「メルキュール・モンサンミッシェル」という名前のホテルですから、パリのホテルと同じ系列のホテルだと思います。

<ホテル別棟の前にて>


 また、朝食はバイキングですが、これもパリよりも良いものでした。
 さて、朝食が終わりますと、昨日事件があったモンサンミッシェルに出発です。
 案内役は、地元フランスの女性ですが、英語を使って添乗員のKさんに説明し、それをKさんが私たちに日本語で説明するというスタイルです。
 モンサンミッシェルには、50人ほどの人たちが生活していると聞きましたが、観光収入で食べているのではないでしょうか?

<威容を誇るモンサンミッシェル>


 大型バスの駐車場で降りて中の通路を歩いて行きますと、その両側にはレストランやカフェ、みやげ物店が並び、大勢の観光客でにぎわっていました。

<モンサンミッシェルの通路>


 そして、しばらく歩いていますと、店がなくなり階段が出てきて、大きく左折すると修道院の建物が見えてきます。
 この階段を上っていきますと修道院に到着するのですが、どこからが修道院なのか分からなくなりますが、急な階段上に人々が並んでいました。
 ここからチケットが必要なことから「ここが入口なんだ!」と思ったものです。

<修道院の階段の様子>


<横道の階段>


 ところで、このように大きな建築物を造るために、どのように資材を搬入し、組み上げていったのか誠に不思議です。
 修道院の中には多くの部屋があり、歓談を上ったり下ったりしながら説明を受けましたが、パリの教会や宮殿のような華やかさはなく、修道院にふさわしい「質素」という印象を受けました。

<修道院の中の様子>


<同じく>


<同じく>


 そして、この修道院の上には大きな屋上みたいな平面の空間があり、そこから緑の大地と川、大海原を望めるようになっていました。
 私たちが行った時には霧が出ているように空気がよどんでいて「素晴らしい景観」を見ることができなかったのが残念でなりません。
 ここで、記念撮影などをして修道院を後にしたのですが、帰り道は海側のクルクル回る細い階段を下って行ったのが印象的でした。
 この階段をしばらく歩いていますと、入口付近の階段に出ましたが、ここで自由時間となりました。

<モンサンミッシェルから見えた周囲の景観>


<海側の階段>


 私たち夫婦は、ここから横階段や小路などを巡り、いくつかの土産物店を物色して、カフェで玩具のような小さいカップでコーヒーをいただきました。
 午後からベルサイユ宮殿に向かいますが、ここの思い出がもう一つあります。
 それは食事です。
 もう沢山!?まぁ、そういわずにお付き合いください。
 食事の場所は、私たちが宿泊したホテルに近いところですが、モンサンミッシェルの美しい遠景が見られるレストランでした。
 ここのメインディッシュは、「オムレット・サンミッシェル」といって、卵に白い泡状のものがかかっている料理と「プレサレの子羊」という海辺の草原で飼育された羊肉料理です。

<オムレット・サンミッシェル>


<プレサレの子羊肉>


 オムレットは、不味くはありませんが、「美味しい!」と感嘆するものでもありませんでした。
 また、子羊肉は、臭みはありませんが、厚みがあり、ナイフを入れると肉質に淡いピンク色がついているという感じです。味の評価は、オムレットと同様な感じですが特徴である塩味が薄く感じられました。
 羊肉に抵抗があるのか?全部平らげた方は少なかったように思います。
 このレストランは、座ってモンサンミッシェルが一望できる絶好の位置にあり、あまり見かけなかった日本人でいっぱいでした。
 どうやら、食事をした後にモンサンミッシェルに行くらしく、ほとんどの方がオプショナルツアーの参加者だったようです。

 さて、午後からはパリ近郊にあるベルサイユ宮殿に向かいました。


<この続き「ベルサイユ宮殿」観光の模様は次回にお伝えします。それではこれにて失礼します。

パリから行く小さな旅<あこがれのモンサンミッシェルの続き>

2017年11月15日 | 旅行記
 今日は2004年7月19日に訪問したモンサンミッシェルの事件の続きをお伝えします。

 次の第2の事件ですが、これは、「ずぶぬれ事件」とでも言ったらよいのかも知れません。
 トイレ事件の後、モンサンミッシェルの中を見学しよう!ということになり、修道院に通じる上り坂の狭い通路を歩き始めました。
 通路の両側には、みやげ物屋や、レストランなどが並んでいるのですが、途中でツアー仲間のTさんご夫婦に出会いました。

<上り坂の通路(翌日撮影したもの)>


 翌日、もう一度ここに来ることになっていましたので、そろそろ帰ろうとご夫婦と別れて通路を歩きだしたら、今度は添乗員のKさんと、さらにNさんご夫婦ともバッタリ出会ったのです。
 そして、皆さんと別れてモンサンミッシェルの夜景を楽しみながらホテルに帰ろうとしたら、なんと!雨が降ってきたのです。
 小雨でしたので、しばらく待てば止むと思い、皆さんと一緒にゆっくりした歩調でモンサンミッシェルの正面にある石造りの壁のようなところの軒先に雨宿りを決め込んだのでした。
 ところが、雨脚は強くなるばかりで、そのうち土砂降りになってきました。

 この壁のような建築物は、浅いコの字の形で、正面が高い壁になっていて、その上に僅かに「ひさし」のような出っ張りがあるという感じです。
 その壁に7~8人が蟹の横這いのようにへばりついている様子は、第3者が見たらさぞ滑稽であろうなどと、つまらないことを考えていた小生でした。
 幸い、小生のところは、建築物の角でしたから比較的雨を避けられましたが、正面の女性軍のところは、小さなひさしの上にたまった雨が滝のように流れ落ちてきて、ずぶ濡れになることは確実でした。
 また、足元もあっという間に大きな水たまりができてしまいました。
 やむなく、女性軍は小生の左側に避難したのですが、誰も傘を持っていないことから心細い限りでした。

 幸い、添乗員のKさんが携帯電話を持っていて、ホテルからタクシーを呼んでもらうことになりましたが、到着するまで20~30分かかるということでしたので、その間、激しい雨を避けたいところです。
 壁の周辺を見ていますと、右側にあるドアから人が飛び出してきますが、小生は「ここは何だろうか?」と思っていました。
 従業員の通路、という説明があったように記憶しているのですが、Kさんが出てくる人に何か聞いていて、私たちもそこに移動することにしました。

 その中には、壁と屋根がある部屋のようになっており、右奥にドアがありました。
 そこからガヤガヤする声が聞こえましたので、「従業員が宴会でもしているのかな?(発想が貧弱ですね!)」と小生は思いました。
 皆さんは静かにタクシーを待っていましたが、待つ時間は長く感じるもので、ここでまたもや小生は好奇心が抑えきれず、奥のドアに入ってしまいました。
 そこは宴会場ではなく、大雨に行き場を失った観光客が大勢集まっていたのです。
 そこには屋根がありましたが、もしかしら通路の一部なのかもしれません。

 この時、小生は遠方に二人の日本人が見えていました。そして、この二人は「先ほど分かれたTさんご夫妻ではないか?」と思ったのです。
 そこで、小生はずぶ濡れになりながら二人のところに走ったのですが、別人だったのです。

 そうこうしているうちに、ようやくタクシーが到着しましたが、一台しか呼べなかったものですから、まず、体重が軽い人が乗り込み、重い小生などはホテルから戻ってくるまで待つことになりました。
 待っているうちに雨がやみ、ライトアップしたモンサンミッシェルを見ることができました。

<ライトアップしたモンサンミッシェル>


 以上、カニの横這いみたいに横一列なりながら雨を避けたという話と、ずぶ濡れになったのは、小生だけだっとという誠につまらない事件の話であります。
 でも、Tさん、Kさんご夫婦も雨の中を帰ったそうですから、ずぶ濡れになった方が小生以外に4人いたことになります。


 <以上で本日のブログ記事は終了です。次回は、翌日(7月20日)のモンサンミッシェル観光です。ではまたお会いしましょう。>