mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

パリから行く小さな旅<あこがれのモンサンミッシェル>

2017年11月13日 | 旅行記
 そして、バスはいよいよモンサンミッシェルに近づいてきました。
 高速道路は、ほぼ真っすぐに伸びていますが、一般道は日本と同様に右に左にと曲がったりします。
 この一般道をしばらく走っていますと、進行方向右側のリンゴの木や麦畑の先にモンサンミッシェルの姿が見えてきました。
 ホテルは、モンサンミッシェルの中にもありますが、私たちが宿泊したホテルは、モンサンミッシェルから2キロくらい離れたところにありました。
 このホテルがあるところは、モンサンミッシェル観光のためにつくられたような小さい街で、複数のホテルとレストランなどが軒を並べていました。
 私たちが到着した時刻は夕方でしたが、フランスのこの時期は、午後10時ぐらいまで明るいこともあり、運転手さんのご厚意でホテルを通り越して、モンサンミッシェルがカメラに収まるような距離のところまで案内していただきました。

<あこがれのモンサンミッシェル>


 道路の左側に川があり、その流れがモンサンミッシェル付近で海に注いでいます。
 モンサンミッシェルは、この道路の終点になっていて陸続きのように見えますが、潮が満ちてくると海に浮かぶ孤島になるようです。
 しかし、現在は道路が造成されていて、右側と左側の海は繋がっていません。
 将来、道路を改造して左右の海をつなげる計画があるそうです。
 そうなると、まさに海に浮かぶ孤島!という感じですね。
 
 小生が見た世界遺産の写真では「なんと神々しい海に浮かぶ島なんだ!」と感嘆したのですが、実際に来てみますと、モンサンミッシェルを包む大きな川や、海の大パノラマの中で身を縮めているように小さく見えました。

 さて、それからが大変でした。
 ホテルにチェックインして夕食をいただいた後、愛妻が「まだ明るいからモンサンミッシェルを見に行きたい!」というのです。
 かく言う小生も行きたくて食事中も「ウズウズ」していたのですが、事件が二つもあったのです。
 ホテルからモンサンミッシェルまでは2キロぐらいですが、小生と愛妻は、道路の左側にある川の堤防の緑地帯を犬の糞に注意し、モンサンミッシェルの雄姿をビデオやカメラで撮影しながら歩いたのであります。

<ホテルの夕食、スープ>


<メインディッシュ>


<デザート?>


 そこで何が起こったのか?犬の糞を踏んだのではありません。
 恥ずかしながら、小生、夕食のビールをいただき過ぎたのか、我慢できないくらいの尿意を催したのであります。
 途中、何度か川の岸辺に向かって用を足そうかと思ったのですが、同じツアーの2組の方々がついたり離れたりしながら周りにいますし、反対方向からも多くの人が来ます。
 途中、キャンピングカーが並ぶ駐車場があり、そこを覗いたのですが、トイレはありませんでした。
 そして、モンサンミッシェルが目と鼻の先にある川と海が合流する近くの大型バスの駐車場を通過して、モンサンミッシェル中の建物に走りこんだのであります。

<大型バス駐車場>


 しかし、そこは建物ではなく、通路のようになっているところでした。慌てて近所をキョトキョロと見まわしますと、事務所のような建物がありました。
 万国旗がはためいており、日本の国旗もあり、さらに、トイレの表示もありました。
 「ああ!よかった」と喜び勇んで入ろうとしたら、なんと!このトイレは有料であります。
 確か35セントでしたから50円くらいになるのでしょうか?
 日本は無料でトイレがあちこちに整っていて本当に便利です。
 そういえば、フランスの高速道路にもサービスエリアみたいなものがありますが、主に、燃料の補給が目的のようで、トイレは土産物や日用雑貨を販売している店の中にあるだけです。
 このトイレは無料ですが、長蛇の列となってしまいます。
 オーストリアなど中欧の旅でも同じ経験をしましたので、ヨーロッパ共通の考え方のようです。
 
 さて、次は第二の事件ですが、別名「ずぶぬれ事件」と言ったらよいでしょう。


 <この第二の事件は次回のブログでお伝えします。本日はこれにて失礼します。>

パリから行く小さな旅<シャルトル大聖堂>

2017年11月11日 | 旅行記
 今日は前回に引き続き2004年の7月に旅行した「パリから行く小さな旅」からシャルトル大聖堂についてお伝えします・

 <7月19日月曜日シャルトルの大聖堂と海に浮かぶモンサンミッシェルへ>
 今日は旅のハイライトであるモンサンミッシェルに向かいます。
 途中、パリから100キロ弱のところにある「シャルトル」という町により、またもやステンドグラスを見ることになる。この大聖堂は、外観が美しく、そのため、到着する前に遠方の公園みたいなところから記念撮影することになった。

<遠方にシャルトル大聖堂を望む>


<美しいシャルトル大聖堂>


 この公園を後にして大聖堂に到着したが、なぜこのような小さな町に大きく高い教会を建てたのか不思議である。

<道路わきの花壇>


<大聖堂付近の光景>


 大聖堂に到着すると、中年のインド人女性ガイドが英語で説明し、それを添乗員のKさんが日本語に通訳しながら見学することになった。
 この大聖堂は、国王がキリストの聖母マリアが身につけていた衣をこの聖堂に寄進したことがきっかけとなって建設され、そのため大きな聖堂になったそうである。
 大聖堂の中のステンドグラスには、マリアが美しいブルーの衣をつけてキリストを抱いてものがあり、人々は、心からマリアを愛しキリスト教を信仰していたのではないかと思う。
 敬虔な祈りというシーンは、見るとことができなかったが、キリスト教のお話が絵に描いてある極彩色のステンドグラスは人々の心のよりどころなのであろう!と勝手な解釈をしている小生であった。

<大聖堂の入口にあった彫刻>


<キリストとマリアのステンドグラス>


<大聖堂の広場にて>


<極彩色のステンドグラス>


 ガイドさんの説明は「何年ごろにこの教会が建てられ、火災にあい、増改築され、建築様式がロマネスクとゴシックが併存する珍しいもの、ステンドグラスに描かれている絵の意味や由来はこうだ!」などというものであったが、小生ももう少しまじめに勉強しないといけませんね。
 などと反省していたら昼食の時間になりました。
 場所は、大聖堂から歩いて数分のところにあるレストランですが、でてきた料理は、サーモンと牛肉のステーキでした。
 その味評(造語です。味の評価)は、イヤになっちゃうのでやめときます。

<美味しさが漂うステーキ>


<サーモン>


<デザート>


 その後、バスはモンサンミッシェルを目指して高速道路をひた走りました。
 パリから350キロ、シャルトルから250キロぐらいでしょうか?3時間以上かかります。
 その間、皆さん、よくお休みでしたが、Kさんの説明を聞いていますと、ノルマンディーという言葉がよく出てきます。
 第2次世界大戦で連合軍が上陸した場所がフランスのノルマンディー地方ですが、モンサンミッシェルはノルマンディーに近いところのようです。


 <以上で本日のブログの記事は終了します。次回は憧れのモンサンミッシェルです。それではこれにて失礼します。>


パリから行く小さな旅<シテ島のノートルダム大聖堂など>

2017年11月06日 | 旅行記
 前回は、フォンテーヌブロー城の見学まどをお伝えしました。
 本日は、次に訪問したパリのシテ島にあるノートルダム大聖堂や、コンシェルジェリー、サント・シャペルについてお伝えします。
 まず、シテ島に向かう途中で見えたセーヌ川沿いの光景をご覧ください。

<セーヌ川沿いの歴史的な街並み>


<同じく反対側の街並、コンシェルジュリーが見える>


 ノートルダム寺院は、中世フランスの最高傑作といわれており、その大きさに圧倒されてしまいました。
 その正面には、横一列に並んだ美しい彫刻があり、このようなものを見たことがない小生には大きな驚きでした。

<ノートルダム寺院>


<横一列の彫刻>


 見学の順序は、「サント・シャペル」、「コンシェルジェリー」、「ノートルダム寺院」の順であった。
 サント・シャペルは、ルイ9世が「キリストの茨」と「磔刑の十字架」を安置するために建てた礼拝堂であり、ステンドグラスがパリで最も古い(13世紀)とされていますが、暗く小さい教会でした。
 などといってますが、建物が2か所あり、後から見た建物のステンドグラスは、天井が高い明るい空間で皆さんが頭を上に向けて熱心に見学していました。
 どちらがサント・シャペルなのでしょうか?
 たぶん、どちらもサント・シャペルで後から見た建物が礼拝堂だと思います。

<サント・シャペル>


<礼拝堂のステンドグラス>


<同じく>


 さて、続いてコンシェルジュリーですが、ここは、牢獄であるためか室内が暗く、二度と見たくない建物でした。
 断頭台のつゆと消えたマリーアントワネットが入っていたということですが、むごい歴史を思い出す建物なのですね。

<コンシェルジェルーの内部>


<コンシェルジュリーの中庭>


 この後、ノートルダム寺院を見学して、この日の観光は終了!ということでホテルに戻りました。
 しかし、この日の夕食は「お好きにどうぞ!」となっていたものですから、大変、勉強になりました。
 その顛末をお話ししましょう!
 二人ともパリの右も左も分かりませんので、ホテルにあったレストランで食事をしようとしたのですが、ここでパリの恐ろしさを体験したのです。
 地下鉄駅の近くにシャンゼリゼ通りのような店先に机とイスを並べているレストランが2軒あったのですが、雰囲気が良い方に入りました。
 客はまばらでしたが、、マスター?が笑顔で応対してくれ、ビールとソーセージ入りのサンドウィッチを注文したのです。
 ビールを飲みながら、問題のサンドウィッチを待っていると、キュウリの酢漬けとともに出てきました。
 何が問題かって?写真を見てください。

<鉄のようなサンドウィッチ>


 堅い!堅い!フランスパンを横長に割いてマヨネーズかマーガリンを下地に塗って、その上に薄く堅いサラミが挟まっています。
 これがサンドウィッチ?
 イヤー驚きました。
 その堅いこと、かぶりついて必死に歯で千切ろうとしますが、まさに歯が立ちません。 
 イギリスの元首相のサッチャーさんのようです。(鉄の女)
 ようやくの思いで、その半分をのどに押し込んで、雨も降ってきたので帰ろうとしましたが、マスターが何か言っている。
 どうやら、残りの半分を紙に包んで持って帰るか?と聞いているようであるが、マスターの親切な行為に「ノー」が言えず、大きな紙袋を抱えてどう処分するか悩む始末である。
 結局、店から見えない歩道に設置してあるゴミ箱に「ポイ」しました。
 ビールを含めて、一人千円ぐらい払ってその捨て場所に困るとは!まじめに考えると「何をやっているのだ!」となりますが、パリの景色や外国の人々の中で、シャンゼリゼ通りのような雰囲気を十分堪能したのですから良しとしましょう。
 ところで、今回の旅では、国際電話を掛けませんでした。
 利用するには、クレジットカードを提示するか保証金が必要という話に腰が引けてしまったからですが、なぜそんなものが必要なのか疑問でなりませんでした。
 客の金回りが良くないのか、信用されていないということでしょうか?


<以上で、今日のブログを終了します。次回は、(2004年)7月19日に訪問したシャルトルの大聖堂などをお伝えします。それではこれにて!>




パリから行く小さな旅<フォンテーヌブロー城>

2017年11月02日 | 旅行記
 今日は、パリから行く小さな旅から旅行2日目(2004年7月18日)に訪問したフォンテーヌブロー城についてお伝えします。

 フォンテーヌブロー城は、期待に違わない美しい城でした。
 というより、日本では、このような建物など見たことがないのですから「うおー」とか「へえー」とかいう声が自然に飛び出してしまいます。
 ヨーロッパの王侯貴族の館というのは、凄いもんだ!とここで初めて勉強したのかも知れません。

<宮殿正面>


<宮殿の建物>


<同じく宮殿>


 さて、この城はコの字形に建っており、通路を挟んだ南側の緑の芝生と建物のピンク色がコントラストをなして、眩いばかりの輝きを発していました。
 しかし、フランスの王様(16世紀にフランソワ1世という王様が、イタリアのルネッサンス様式の建築物に魅せられて建てた宮殿)は、どうしてこうも、豪華な建物が好きなのかね?

 見学コースは、玄関から正面に向かって歩き、馬蹄形の階段を上がったところでこの城全体を見渡した後に建物の中を見学するという順番になっています。
 この宮殿は、ナポレオン(19世紀初頭)も愛した王宮で、ここに住んで修復や改築を施していたそうです。
 フランソワ1世の回廊や、そこに描かれている絵画、ナポレオンの寝室などが有名です。

<調度品や絵画が並ぶ宮殿>


<同じく豪華な絵画など>


<金色に輝ている>


<このような彫刻も>


 さて、次の写真は、宮殿の斜め後ろにある池ですが、奥に見える「東屋」は、歴代の王が修復した有名なものだ。
 「人間は、このような水と緑が好きなんだ!」と勝手に解釈して、心が和んでいた小生でした。

<宮殿の池の様子>


 ところで、この後、昼食となったのですが、場所が思い出せません。
 ところが、不思議なことに写真を見ていますと、味だけは思い出すのですから食い意地が張ってますよね。

<サラダ>


<メインデッシュ>


<デザート>


 前菜のトマトは「まあまあ」でしたが、メインディッシュの豚肉は(手前の赤黒い部分)色は良く、柔らかそうなのですが、食感がスロバキアの「ウズラ」そっくりで、豚肉というよりは、脂っ気のない鶏肉のようです。
 「お客さん!ヨーロッパはこんなものよ。日本人は贅沢なんだよ。」と日本の豊かな食文化の有難さを認識しながら、一人納得した小生でした。

 この後、パリに戻り、シテ島(パリの真ん中に島がある?変ですよね。たぶん、セーヌ川の中州にできた土地ではないでしょうか?)にあるノートルダム寺院や、断頭台のつゆと消えたマリー・アントワネットが入っていたというコンシェルジュリー(刑務所?)、ステンドグラスがパリで最も古い(13世紀)サント・シャペルなどを見学しました。


 <ということで、本日の記事フォンテーヌブロー城は終了です。それではまたお会いしましょう!>