昨日金山城跡の見学に行ったついでに、子供の国へ散歩に向かったことを書きました。その時 1月6日12ばころの写真です。子の写真の右奥のほうに遊具があり沢山の
子供たちが遊びに来ていました。 この公園の脇は散歩道路になっていて適当な勾配もあり、幾通りかのコースが選択できいろいろな方が散歩楽しんでいました。
天気が良く気温も13度くらいになっていたと思います。一月の6日なのです。北海道を離れて、こんな土地での老後となっているのです。
昨日金山城跡の見学に行ったついでに、子供の国へ散歩に向かったことを書きました。その時 1月6日12ばころの写真です。子の写真の右奥のほうに遊具があり沢山の
子供たちが遊びに来ていました。 この公園の脇は散歩道路になっていて適当な勾配もあり、幾通りかのコースが選択できいろいろな方が散歩楽しんでいました。
天気が良く気温も13度くらいになっていたと思います。一月の6日なのです。北海道を離れて、こんな土地での老後となっているのです。
今日天気が良かったので10時に家を出て旧跡金山城の見晴台まで行ってきました。娘の旦那が運転して連れて行ってくれたのです。
入り口から展望台までは細いジグザグの道路で乗っていても恐ろしい。車の交差が出来るのだろうかと心配する道路ですが交差できる幅は確保されているのでした。
展望台には110台くらい車が駐車していて、徒歩でいらっしゃっている方も沢山おいででした。ちょっとした登山気分になれる
ところです。
残念なことに、天気は良いのですが、眺望の先にはガスがかかっていて、見通すことが出来なかったことです。地平線の山並みの上に雪を
頂いている富士山の山頂部分が眺められました。
山全体が城でその城跡が随所に顔を出しているのですが、歩くことが出来ない私にはそのかけらをちらっと見るくらいで終わりました。
早く終わったので降りてから「こどもの国」へ立ち寄り。散歩をしてから帰ってきました。 こどもの国も大賑わいでした。
新年ももう5日目になりました。
群馬は今日も朝から青空が広がっています。気温も昼過ぎには13度くらいになるのじゃないでしょうか。
デイサービスは昨日から始まりました。途中から眺める赤城山はわずかですが雪を頂いていました。群馬に来てすぐ上毛三山を確認したかったのですが
太田市からは赤城山だけが確認できるもの榛名・妙義は方向がわかるくらいで、まだ見ていません。今年の楽しみは近くまで行って目に焼き付けることです。なにせ自分
て゛車を走らせることが出来なく娘の都合を待つ身ですから仕方がありません。
一年間過ごしてきて、まともな雨の日を何日経験したでしょうか。毎日青空を見ているような気がします。そんな太田ですからソーラー発電の効率はいいのですがその割に
民家の屋根をパネルが占めていません。
明けましておめでとうございます。
群馬に来て二度目の正月を何とか元気で迎えることが出来ました。94歳となる新春・・何か不思議な気がします。
第二の人生に区切りをつけ、雪の札幌から逃れてこの群馬で余生を、娘の世話を受けながら送っています。
余生は襲ってくる老いの重みとの格闘の毎日みたいな気がします。でも授かった命、大切にもう少し頑張らせて頂くことにします。
ブログも途切れがちになっていますが、休み休みでもまだ書き続けたいと思いますので、お付き合いください。
こんなブログに付き合ってくださる皆様のご健勝をお祈りして、新年のご挨拶とします。
群馬に来て一年半・・いろいろの感想があってブログでもいくつか紹介したりしてきました。
群馬の太田市に手と転居してきたのですが、この太田市はスバル自動車の工場のあるところで、スバルの町に違いはないのだけれど、凄い歴史のある土地なのです。
建武の中興で鎌倉幕府、鎌倉を攻略したのが新田義貞ですが、新田一族は太田市の大半を荘園として活躍をし、さらに一族の流れの中から徳川がうまれたのでした。
新田勢力の大きさは、新田という地名を冠にした町がずらりと並んでいることでもわかりますし、徳川という地名があり、それは徳川が自分たちの故郷としての証を残す
為に残した地名だといいます。世良田東照宮は三代将軍家光により日光東照宮の奥の院を改築時に移築したものだといいます。また大光院(呑竜寺)は徳川家康が
先祖を祭るために建てたものといいます。このように日本の歴史と深く結びつく土地で、その歴史に触れてみるだけでも楽ししくなります。
先の土日東京の娘のところへ行ってきました。久しぶりに見る東京の姿に驚いた。ビルの町です。それもとてつもない高い ビルの林立に圧倒された。
それはそれとして、帰り北千住の駅で両毛線の列車に乗るのにかなり余裕をもっていってたいたのだけれど、案内の娘が間違って切羽詰まる状況になり、最後、走ることになりました。
私はこの旅行に酸素ボンベを引いて行っていました。酸素ボンべの世話にならなければならない体になっているのです。それが走るとなると一大事です。娘と家内はどんどん先に行ってしまいま
す。一生懸命後を追ったのですが、足が動かなくなりました。それでも倒れるというところまで行っていなくて、よたよた歩いてゆきましたら、娘が戻ってきても早く早く!とせかします、すぐそこに列
車の最後尾があり、車掌が私を見ています。どうやら乗車したらすぐ動き出しました。
ひれはそれで終わったのですが、私の受けたダメージが大きかった。足腰に負担がかかって歩くのがつらいのです。でも歩けないわけでもないのでまあまあということになるのでしょうが、93歳の
体にはきつい出来事でした。
つかれが抜けないのです。ただ放っておいても良いのでしょうが、歩く負荷をかけることが回復の近道のように思われますので、今日午前中、一時間、午後一時間半カートを押しながらですが
歩いてみました。結果、歩けましたし、良い結果が待っていそうに感じています。
この夏の暑さで歩くことが出来なかったつけもあると思いますし、この後精一杯歩く運動を頑張ろうと思っています。
90歳を過ぎて体力維持には散歩が必要といいます。今私の住んでいるところは自然豊かな散歩道には恵まれません。町の中を歩くことになります。太田市の町の道路は
住宅街では狭く入り組んでいて、歩道らしい歩道はありません。普段はメインロードの歩道の良いところだけを通って散歩をいしていますが、車を走らせると素晴らしい散歩道
に行くことが出来ます。ブログで何回か書いていますが、まず「子供の国公園」の散歩道です。それと「運動公園」の散歩道が素敵です。他に少し離れますが大泉町の「城跡公園」
にも出かけています。残念なことには日常的な散歩の目的地にはしかねます。車が必要だからです。
今は散歩も歩行用カートを押しての散歩になりますので道は限定されます。家内と二人の時は太田駅の北口の往復、40分程度となります。私一人の場合は好きなようにコースを
選び八幡町の「とりせん」くらいのまでの間をうろうろ歩いています。
どうも散歩の経験もなく、歳も歳ですので、書くほどの散歩になっていないのが実情なのです。
北海道と違い、歴史の重さが感じられ、その足跡を追うのも楽しい。
群馬が自動車クラウンの町であり戦時中のゼロ戦の製作地だったのが、自動車の町になったことはそれとして、新田義貞の出身地だったことを知らなかった。
太田駅北口広場に稲村ケ崎での刀を投じた姿が像として飾られていて、太田の歴史の中心に義貞は位置づけられることがわかる。この義貞とかかわりの深い足利尊氏がすぐ隣町であることが
二人を並べて調べるきっかけとなる。関係して足利学校も調べることとにつなる。
太田での新田の足あとは深く大きく、徳川とのつながりもあることがわかって驚かされたりする。
足利尊氏とは親戚で同じ源氏の血を受けているのですね。
関連するいろいろなことを調べたくなる。結構歩いてみました。いろいろ歩くうちに多方面でのつながりが見えてきて楽しい。昨年ふとしたことで訪ねた大光院(呑竜寺)が徳川家康に
よって創建されたと聞いて、そのつながりがわからなかったのが今年はわかりました。いろいろ歴史を知る楽しさをこの歳で味合わせていただいています。
第三の人生=余生、体力維持が主要な仕事です。週3回のディスサビをメインにあれこれと試みていますが、なかなか体が言うことを聞いてくれず、苦労しています。
散歩を勧められて努力をしているのですが、思うように続けられず途切れ途切れの散歩をしています。それも、歩行用カートを押しての散歩です。娘の車で出かける
時は少し遠いところまでてぜ掛けますが、日常は太田駅の北口まで行って帰ってくるのが家内と一緒の定番です。私一人の場合は気の向くままに近隣を半径一キロ
くらいの範囲で歩いています。娘に連れて行ってもらうことの多いのは「子供の国公園」です。散歩道路は公園周回であるのですが、途中随意にカットできますから
その日の気持ちで長くも短くもできます。なだらかな斜面の芝生、その周囲に遊具かいろいろあり、 さらに周囲の森林はオゾンをいっぱいまき散らしてくれています。
今日は午前中家内と二人娘の世話になって、今年三回目のこどもの国散歩をしてきました。紅葉の盛りは過ぎていますが、まだ楽しめました。
東照宮について93歳の今日まで、日光にあり、徳川家康公をが祭られ、左甚五郎作の三猿像が 飾られているくらいの理解しかなかった。それが昨年92歳で
この群馬県太田市へ転居してきて、いろいろ地域の歴史に関することに興味を持ち始めたころ、太田にも東照宮がある、それは日光の東照宮が完成するまでの間
仮の宮として建てられていた東照宮だったとい う話を聞き、これは一度見ておきたいと思った。
今年になって、地図で調べていたら、世良田東照宮が見つかった。そのそばに新田荘歴史資料館があることになっている。これを見つけて、てっきり太田にある
もう一つの東照宮だと思い、そばに新田の資料館があるのは素晴らしい、どうしても行ってみなくちゃと、娘に話して連れて行ってもらった。
行って驚き、今までの知識を改めることになった。世良田につき駐車場から入場したらいきなり新田義貞の銅像が出迎えてくれて、すぐ後ろに素晴らしい資料館が
あるではありませんか。これまで、新田と徳川が結びついていませんでした。この資料館を見学するなかで、徳川家康は新田の系図につながっていていることを知りました。
徳川は新田の血を引いているのです。ここにある世良田東照宮は。徳川三代将軍家光公が日光東照宮の改修時に出た奥の院の材料を移築してここに東照宮を建立されたのだということ
さらに、この新田資料館、世良田東照宮は長楽寺というお寺の敷地の中に建てられていることがわかりました。長楽寺は新田、徳川の菩提寺ということになります。
徳川も新田もこの地、世良田から出発しているのですね。
そこらまで知識を改めて帰宅して間もなく前橋に東照宮があるという新聞の記事をみました。ここで、東照宮がいくつもあるようだとわかり調べてみましたら、徳川家康は
後水尾天皇より東照大権現という神号を追贈されていて、徳川家康は東照宮の本尊の神様で、東照宮は、宮・・神社なのです。そんなことがあり、東照宮というお寺は。徳川
御三家をはじめ、多くの武将が地元に東照宮を建てているのだということがわかりました。
昨年大光院が徳川家康の建立だということの意味が分かりました。この群馬県太田市は、歴史上新田と徳川に大きくつながっていることを知りました。
新田荘資料館 世良田東照宮