札幌西陵高校への転勤と、詩吟学院剣風会手稲への入会、続いて象堂流への復帰について先回触れた。西陵高校で私が詩吟にかかわったことを少し思いだしてみよう。
西陵高校に転勤になったのは昭和54年でした。このころ高等学校のカリキュラムに必修クラブというものがあり、全校生徒がそれぞれ希望のクラブに所属して活動しなければならないのです。
先生方も全員何かのクラブを担当しなければなりません。私は、かなり無謀でしたが「詩吟クラブ」を立ち上げてみたのです。指導者の資格などはまだまだ先の話で、ズブの素人でないということと
国語の教師でしたから漢文についてはそこそこ知識があるという程度でした。クラブには10名くらいの生徒かが集まってくれ、よたよたしながら詩吟の手ほどきをしてあげました。更に放課後、希望者で
同好会を作って 象堂流の教本を稽古させました。 象堂流では初段からはじまり、六ケ月の稽古で受審資格が与えられます。折角稽古をしたのだから、審査を受けさせてみたいと思い、美唄で最初に詩吟を教わった
東先生が 象堂先生と昵懇であることを知っていましたから、東先生に相談し、象堂先生の許しをいただいてもらうことにしました。結果快諾をいただき岩見沢まで連れて行き審査を受けさせることを
二年ほど続けました。 象堂流の審査を特別に経験させてもらうことにしました。その同好会の稽古を当然のことですが西陵の先生方でも興味を持ってくださる方がいて、中に私の在職中一番の友達となっていただいた
TO先生は岩見沢東高校が初任校で、岩見沢が故郷みたいな方でした。同好会の見学に来てご自身も詩吟を始められました。宗家の象堂先生も岩見沢東高校の卒業生ということもありのちに 象堂流に入って詩吟をつづけられることになりました。・・・・続く
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