手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

吟歴46年・・・その3

2020-07-27 19:30:02 | 詩吟関係

 札幌西陵高校への転勤と、詩吟学院剣風会手稲への入会、続いて象堂流への復帰について先回触れた。西陵高校で私が詩吟にかかわったことを少し思いだしてみよう。
西陵高校に転勤になったのは昭和54年でした。このころ高等学校のカリキュラムに必修クラブというものがあり、全校生徒がそれぞれ希望のクラブに所属して活動しなければならないのです。
先生方も全員何かのクラブを担当しなければなりません。私は、かなり無謀でしたが「詩吟クラブ」を立ち上げてみたのです。指導者の資格などはまだまだ先の話で、ズブの素人でないということと
国語の教師でしたから漢文についてはそこそこ知識があるという程度でした。クラブには10名くらいの生徒かが集まってくれ、よたよたしながら詩吟の手ほどきをしてあげました。更に放課後、希望者で
同好会を作って 象堂流の教本を稽古させました。 象堂流では初段からはじまり、六ケ月の稽古で受審資格が与えられます。折角稽古をしたのだから、審査を受けさせてみたいと思い、美唄で最初に詩吟を教わった
東先生が 象堂先生と昵懇であることを知っていましたから、東先生に相談し、象堂先生の許しをいただいてもらうことにしました。結果快諾をいただき岩見沢まで連れて行き審査を受けさせることを
二年ほど続けました。 象堂流の審査を特別に経験させてもらうことにしました。その同好会の稽古を当然のことですが西陵の先生方でも興味を持ってくださる方がいて、中に私の在職中一番の友達となっていただいた
TO先生は岩見沢東高校が初任校で、岩見沢が故郷みたいな方でした。同好会の見学に来てご自身も詩吟を始められました。宗家の象堂先生も岩見沢東高校の卒業生ということもありのちに 象堂流に入って詩吟をつづけられることになりました。・・・・続く
</iv>
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吟歴46年・・・2  

2020-07-24 18:31:51 | 吟歴46年 

 ともあれ、私たちは恵山流に初段の資格で移ることになり、恵山流では資格審査が5級から始まることになっていたのですが、5級から1級までを受けずに済むことになったのでした。
 私は中伝(6段と7段の間)の時札幌西陵高校に転勤となりました。転勤した年は校務が多忙を極め、詩吟をやめることになるのかとおもっていました。
 2年目に校務分掌が変わり一寸楽になりましたので、詩吟を又やることにしました。しかし、美唄や岩見沢まで出かけることは無理ですので、手稲で探すことにしました。すると公民館に
日本詩吟学院剣風会手稲という道場があり、会ができて4年目くらいで、資格でいえば、私の方が上になるような会員構成でした。そこへ入れていただきました。ここでは私の持っている詩格は
生かされず、5級からのやり直しでした。でもこれが私の詩吟の原点となりました。
 此の当時、コンダクターという伴奏楽器があることさへ私は知りませんでした。そのコンダクターを使いこなす先生がいて、詩吟を楽しく習わせてくださったのです。今まで先生が吟じるのを聞き
それをまねして吟じるということをしてきて、特に音感の鈍い私はとても苦痛であったのです。このコンダクターの伴奏がつくと、とても楽しく、楽に吟することができるのです。そのおかげでこの会の
皆様とても生き生きと楽しんでいました。私の後から入会した女性の方が、先生にお願いしてコンダクターを購入しました。しかし、自分では使えないことが分かり、「村川さんなら使えると思うから
お上げします」といってきた。値段を私は知っていたので半額で買わせてもらいました。
 コンダクターの使い方は自分なりに稽古をして自分の指導の武器にすることにしました。基本的な考えとして、今までの先生からの口伝で習う苦痛と、コンダクターの伴奏で稽古するのでは、全く違うのです。
楽しく稽古ができる武器として使う。上手である必要はないのです。
 詩吟学院の5段をいただいたところで、西陵高校の先生方の詩吟の会を作り、 象堂流の宗家佐々木先生に月一度教えに来ていただくことにし、私も 象堂流へ戻らせていただきました。 象堂流では
7段を戴くと次に準師範の資格を戴くことができるのです。教室を立ち上げるめども立っていたので、早く資格を欲しかったのです。・・・つづく</div>
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吟歴46年になるのだ

2020-07-19 19:25:49 | 吟歴46年 

小学校4年の時、吉田鉄郎先生が詩吟を聞かせてくれた。ただ一回の吟だけれど、私の体にしみこんだみたいで、忘れることができなかった。そして、いつか機会があれば詩吟を習いたいと思い続けていた。
沼田高校から美唄東高校に転勤して、数年後佐久間先生から声がかけられ、先生の伯父さんになる東先生が詩吟の指導者としての免許を取得したので、道場を開きたいといっている、一緒にやってみないかと誘われ
即座に仲間入りをさせてもらった。8名くらいの仲間が集まり、土曜日の18時から職員室で教えをいただくことになりました。
 豊泉流という流派でしたが、ほかにどんな流派があるのかももわからないまま、とにかく先生の口伝に随って初段の試験にまい進したものでした。会は、東吟会と名付けました。美唄東の東と先生の東を取ってつけたものでした。私は一番年上で会長に祭り上げられていましたが、好きだけれど吟はとても下手でした。
自分ではやれるつもりなのですが、最悪でした。でも、やめる気はありませんでした。稽古をすれば人並みにやれるようになるはずだと信じて頑張りました。
 豊泉流で初段を受審して、全員合格してわかりました、特別大きな間違いをしないで吟じればみんな合格するのだということを。それを知らなかったから、全員初段合格ということで、祝杯を挙げたものでした。
初段になった年に、新しい会「恵山流日本吟道会」が立ち上げられ、私たちはそちらに移ることになりました。豊泉流から分派したのでした。分派したといえ、300名からの会員を擁し、宗家流でなく会員制の
流派でした。ただ、指導の中心に佐々木象堂先生が据えられていました。
 佐々木先生は豊泉流でコロムビアのオーデションで全国優勝をして、コロムビア音楽会の副会長をつとめられ、全国に名前を知られた方でした。数年後に会名を 象堂流恵山吟道会に変更され、宗家流に変えられました
。しかし、創立当時の素晴らしい先生方が次々やめてゆかれ、会の勢いも無くなってきました。そんな中で今度は、象堂先生がコロムビアから外される事態が起こったのでした。・・・つづく/div>
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暇で 暇で 暇です  丁度良いのかも?

2020-07-18 19:04:28 | 身辺雑記


 新型コロナが突然話題になったら、たちまち世界を巻き込んだ大事件になってしまった。非常事態宣言が出て、頑張ったらその成果が出て、数か月で非常事態も解除された。
しかし、非常事態宣言が解除され、自粛藻緩和されたら、待ちわびていた若者たちが、歓楽街に群れるようになった。結果東京の罹患者数が最近は毎日200名を越すようになってきた。
一番問題なのは、東京の歓楽街からコロナを持ち帰り、伝播させることだ。感染原が明確なら追跡調査でクライスラーを防止できるけれど、身元のわからない患者がかなりの数に上るようだ。恐ろしい。
 
 私は歳も90歳、現役としては詩吟の教室(10名ほどの小さな会)一つを指導しているだけ。肺気腫を患っていて、昨年12月には肺炎で3週間入院した病気もちです。10年前くらいまでは、
いろいろな趣味を楽しんでいて、まともに家にいることはあまりなかったのだけれど、今は詩吟のある月曜日と、肺炎の入院で体力が落ちたこともあり、要支援1の身体障碍者に指定され、
一週間に一度リハビリーに通うことになって、それに通っているいる。要するにこの二つが外に出る日で、あとは家で漫然と過ごし、軒下畑を椅子を引っ張りながら何とかほんの少し作っているだけです。

 昨年の入院以前は、詩吟の教室ももう一か所あり、さらにカラオケにも出掛けていて、結構忙しく、楽しんでいたのですが今は全く暇です。でも、コロナでカラオケもあきらめました。
とても暇になりましたが、コロナがブレーキで、出歩くことができません。あきらめるのに丁度良い。

 いつの間にか夏も盛り、間もなく秋がくる。来年に延期されたオリムピック大丈夫なのでしょうか。ようやく嘏客を入れての試合が、一定の制限を加えながら開催されるようになった。私は野球の
フアンで、最近は毎日テレビデ観戦していますが、声を出さない応援は何とも寂しい。明日から大相撲も始まるけれど、これも応援に制限がありそうです。コロナの伝染を考えるとやむを得ない
のでしょうが寂しい。ともあれ、オリムピック何とか開催にこぎつけてほしいものです。</div>
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碌峭会 詩吟教室 7月第二週

2020-07-13 18:47:56 | 詩吟関係

 新型コロナに翻弄されていたけれど、6月第2週゜から教室が再開出来、一月経った。誰もコロナを患うこともなく、4ケ月の自粛も特に後遺症を残すことなくみんな元気に
吟道に邁進してくれています。ただ ITさんが先月から旭川の妹さんの看病に出かけていて、まだ戻った来られないでおられる。 
 最近、私の体調もあったと思うけれど、少し指導が甘くなっていた。それで、気合を入れなおしてみました。まず、素読を本格的にやらせました。みんな戸惑い気味、でも楽しそうに
乗ってきてくれています。吟も素読の調子に合わせて力強さを求めました。すぐに出来るわけでないけれど、その気合を体で受け止め、徐々にでも身につけていってもらうつもりです。
HIさん、なまじ近所の仲間との吟を少し経験してきているのが悪い癖になっている。KAさん、今の吟調に満足しているのじゃないかと思う。伸びを感じない。もう少し言葉の張り
に気を使い、明瞭な発声が必要だ。また、振り止めなどの処理も甘い。KATさん、素直な吟でまとまってきている。ただ、気迫が伝わらない。喉に来るのを恐れているようだ。
MAさん、カラオケの読み全く問題がないのに、詩文の読みになるときちんと読めない。そこを克服すればいい吟者になるのに・・・。上段者の三人には、吟秀の「桜花の詞」をやってもらった。

 私自身、90歳を過ぎてまだ詩吟を教えていると笑われそうだけれど、まだ大丈夫です。肺気腫が済んでいるので肺活量が減少していますので、声が続かないけれど、稽古の女性の声
6本くらいなら、高音は難しいけれど、平音なら一緒に発声できる。まだ、問題になるほどぼけてもいないと思う????>
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プロ野球 オープン  DAZNで見ることにしました

2020-07-11 18:39:22 | 野球

 プロ野球開幕、私はパシフイック・マリーンズのフアンです。コロナのおかげで開幕が大幅に遅れ、その上、無観衆試合、おまけに一チームとの六連戦方式という異例づくめの開幕でした。
 マリーンズの試合はなかなかテレビでは観戦できません。それで、「dazn」の中継を申し込み観戦してきています。
 やはり、会場を揺るがすあの大応援がない試合は寂しい。でも、マリーンズが勝った時はいいけれど、楽天戦での連敗は情けなかったし、時間が長く感じられた。一勝五敗というひどい負け方を
して、西武戦に入った。一戦目、二安打しか打てなくて負けた。その二安打は安田君独りが打った安打だったのです。三年前のドラフトで抽選で引き当てた選手です。しかし、芽が出ないで
もがいていました。その安田君が二本もヒットを打ったのです。でもチームは完敗。そして翌日、一回に早くも走者をかえすクリーンヒットを打ち。更に三回の打席でも走者をかえす二塁打を
打ちました。ところがマリーンズの4回の途中に雨がひどくなり、一時中止で様子を見ていましたが雨が上がる気配がなく、試合はノーゲームになってしまったのです。安田君がかわいそうでした。
ようやく本来の安田君が見えたと思った途端に、二安打二打点の記録が飛んで行ってしまったのです。今日は二時からのディゲームでした。安田君ヒットなし。前日の後遺症じゃないですか。
でも今日は危ない試合になったけれど、マリーンズ勝利、何かしんどい試合をしている。
 
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木下さんが逝った  私より10歳も若かったのだ

2020-07-07 16:26:11 | 身辺雑記

 同じ町内会の友人、木下君が亡くなられた。昨日お通夜で私もお別れに行ってきました。
 木下君との出会いはそれほど長くはない。私が手稲文化協会の事務局長として10年にもなり、だれか後継者がいれば引き継いでもらいたいと
思い悩んでいた時に町内会長になられて、当時、町内会長を務めてくださる方は、容易に見つからない中、あまり、うわさも聞かない中での出現に
ちょっと驚いたものでした。知りあって間もなく、事務局長をやってもらうには最高の方とお見受けして、以来友達としてお付き合いいただきながら
事務局長も無事引き継いでいただき私の大役も終わらせていただいたのでした。知りあって間もなくからカラオケ同好会「和」を立ち上げ、手稲文化協会に加入してくれたのでした。
奥様はとても活動的な方で、町内会の老人クラブ「健幸クラブ」に私が詩吟のクラブを立ち上げたとき、すぐに仲間に入ってくださり、とても頑張ってくれ、私の詩吟の教室にも入ってくれたりしたのでした。

 木下さんは、団体運営には卓越した才能を発揮される方で、町内会、文化協会、カラオケなどでリーダシップを発揮されてきたのに本当に残念でした。私より10歳も下だったということを知り本当に、改めて残念に思いました。
  この数年、大腸癌との戦いでとても辛そうに見えましたが、仕事をやりとおして去られました。素晴らしい人材を失った感じがします。

 木下さん、本当にご苦労さんでした。私の札幌市からの社会教育功労者表彰もあなたの努力がなかったら難しかったと思います。ありがとうございました。
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熊本 洪水お見舞い申しあげます  コロナ北海道良い方向で推移している

2020-07-05 19:58:14 | 無題

去年も似た形での被害が九州を襲った。長々と伸びる梅雨前線、その中に特別な雨の塊があって一気に降るというより落下する水の塊みたいな降り方で川が増水し、大氾濫となったようだ。床下なんていうのは浸水の
裡に入らない。一階の天井まで水のくる災難に見舞われたり、崖崩れが起きたり、橋が流されたり、球磨川流域は両岸の家がすべて水につかったというようなありさまだ。流域の村は凡て再建しなければならないのじゃないでしょうか。

 被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 一方、コロナの方。100人以上の罹患者が東京都ではつづいている。しかし、全国的には静まりつつあるようだ。北海道は一昨日が罹患者〇だった。前後が一名という状況だからとても良い方向にうごいている。心許すとすぐ現れるるのだと思う。やはりワクチンの開発がなければ終息できないのでしょう。急ピッチの開発がされているといいます。まだ治験の終わらない治療薬などで、治験ということでかなり広く使われている薬もあるようだ。日本のアビガンも重傷者には使われているようだ。正式な治験の患者が出なくて、薬としての承認になっていないとかと聞いた。

 来年のオリムピック、心配だけれど、開催国日本の状況は、かなりよくなっていると思うけれど、諸外国の体制が整うかどうか、むつかしいことになりそうだ。
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