小学校に入学したのが昭和12年、日中戦争(̪支那事変)の始まった年です。学校に在る本は戦争ものばかりです。数が少ないからすぐ読みつくしてしまう。それでも、小学校3年生のころ、吉田先生が一冊の厚い子供向けの中身の本をお持ちになって、時間を割いて読んで下さるのです。それが本当に楽しく待ち遠しかった。この吉田先生が一度詩吟を聞かせてくれた。それが忘れられず、結局私の後半生を形成することになった。本を読みたくて父の書棚を調べたけれど、子供の読める小説はなかった。ただ、青色の装丁の大衆文学全集全7巻があり、これが小学生時代の読書の対象でした。此の当時蓄音機がありましたが歌は軍歌ばかり、ほかは浪花節でした。浪花節は良く聞きました。廣澤寅蔵の次郎長もの等を聞いて楽しんでいました。演歌が好きなのもこんな生活からきているのかも知れませんね。
終戦が永山の一年生の時でした。終戦後の混乱は教科書を墨で塗りつぶすようなところから始まって、整然とした学校の雰囲気がこわれ、社会基盤もこわれて、ようやく新しい時代を感じられるようになったのは二年後くらいからだったと思います。新しい書物や、映画も復活し新しい時代が来たのですが、私は本を買うような余裕もありません。師範の本科に入ったころから、少しづつ本を読んだり映画を見たりして、新しい時代を受け入れるようになったのですが、故郷の青年団に入り、インテリぶって文芸誌を作ったり、演劇をやったり、フォークダンスを教えてあげたりすることに熱中した思い出があります。