明日は大晦日。孫たちも来て、皆で紅白を見ながら年越しとなる。年が明けて最初の仕事、というか、動き出すのが8日です。北詩連の初吟会、あわせての新年交礼会、KKRホテル札幌。一吟するのですが、その練習を少ししなければならないでしょう。
この期間に、今までブログに書いたものを、少し整理してみたい。カテゴリーごとにまとまっているので、それらを編集してまとめてみたい。
年賀状、住所不明で2通返送されてきた。移転通知を受けていないのだけれど、もしも年賀がきたら改めてだすことにします。
お歳暮で頂いていたお酒の1本(小林酒造の原酒、750mml)を、俵さんと一緒に飲もうと持っていきました。いつもより一寸早く5時50分に着いたら、先客として山崎会長さんと、中里さんがいらっしゃいました。そこで、すぐ俵さんが来るからとワイングラスにこの酒を注いで、3人で乾杯して飲み出して間もなく俵氏到着。改めて乾杯。この酒は旨かった。山崎さんも俵さんも喜んでくれた。お酒というよりワインといったほうがいいくらいな味でした。
途中、女性の方(私は面識がない)が、後から友達が来ますといって、お出でになられた。この方がお土産に「飯鮨」をもってこられ、皆様おすそ分けにあずかりました。襟裳の漁士さんが作ったという鮭の「飯鮨」別のお友達から頂いたという「はたはた」と「鮭」の飯鮨。襟裳の飯鮨の鮭の切り方が、特別で我が家でも毎年作っているのですが、参考にさせてもらいます。
後半は、例によってカラオケで盛り上がり、帰宅は10時30分でした。これで今年の打ち上げとなりました。本当に今年は大変な年でした。しかし、無事乗り切りました。 新年度は、詩吟では正念場に成りますし、手稲文化協会も指定管理者制度の初年度の活動ということで、これも性根を入れた取り組みが必要ですし、また頑張らなければならないのでしょう。
10:00が予約、今朝雪が3cmくらい積もっていたし、雪道だからと思って、35分を予定して出かけた。途中渋滞もなく順調に行っ他のですが、北大構内の地下道を出ての右折でじかんがかかり、10分遅れで受付を終わる。 その間に一人入ったのでしょう、又その方の診察時間がやたらかかるのです。10時30分には呼吸器機能検査の予約になっているのに、その時間を過ぎて、40分にやっと呼ばれた。呼ばれただけですぐ検査に行ってくださいといわれた。 呼吸器の検査、少々待たされたが、嫌な検査が始まった。最初に肺活量の検査、之は問題ないのです。次の吐き出す力と量を検査するこれが嫌なのです。口にホースを咥え、一気に吐き出すのです、それが肺の中の空気あるだけ全部吐き出すように「はい!一気にはいて、はいて!はいて!まだ!まだ!まだ!」と気合を入れられて搾り出すように空気を吐くのです。その結果がすぐグラフのようにモニターに出るのですが、最低3回やって、3回同じならそれでOKとなるのだそうです。それが、1回目2回目が違うと、3回目はいいほうと同じかどうか確かめて、いいほうと一緒でになるか、ほぼそれに近い数値が3回出るまで続けられるのです。私は、3回とも違って、3回目が一番よかったので、更にその数値に近づくように、何回もやるのです。結局7回くらいやらされた。
そして、気管支拡張剤の吸入、いつもは、30分置いて検査なのに、今回は1時間空けての検査といわれる。 その間に、レントゲンを撮撮ります。
時間が余っていたので、第一教場の北村さんが入院しているはずなので、受付で確認して、6階の病室に行ってみる。普通の面会時間外なので、部屋には入れず、呼び出していただき、休憩室で少しの時間お会いする。とても元気で、この病気は一生付き合わなければならない病気と診断されたそうです。詩吟はやってもかまわないといわれたということで、之はよかった。
1時間たって、再検査、ここでも、3回目の数値が一番良かったので、また8回くらい繰り替えしやらされた。 終わったら、12時15分くらいでした。それから先生に会う。レントゲンの結果は昨年と変わらず、特に問題なしといわれました。ただ、呼吸器の機能は昨年よりやや落ちていることが判りました。でも之くらいなら特に問題は有りませんし、季節が変わるとまたよくなることも有りますといわれた。時間が遅くなったせいか、飽和度の検査も血圧の検査も無し。どちらも多分問題はないはずです。 来年の6月は、CT検査をしますといわれた。
今、有馬記念のテレビを見てPCに向かいました。「ディプインパクト」無敗神話がなるのかと、私は競馬にそれほど興味があるわけでもないのだけれど、皆が騒いでいるので、見ました。何日も前から、いい席を取るために随分の方が並んでいましたし、前売りとなった入場券も完売だったという。スタート、6番、武豊が騎乗したディプは、一番後ろでのスタート、余裕かなと思って見ていました。最後のカーブの手前から追い込みに入ったようでした。直線になって大外から猛烈なダッシュが始まったのですが、10番の馬を捕らえることが出来ず、半馬身で敗退、10何万かの方が、ただ声を飲んで、茫然としていたように思います。
昨夜、フイギャーの女子を見たのですが、凄い試合でした。皆殆ど完璧な演技、こんなに皆がレベルの高い演技をするのは、見たことがない。今日のフリーが楽しみです。それにとしても、昨夜わからなかったのですが、織田と高橋の、逆転判定は、言いようのない、残念な失態です。二人ともオリンピックに行けるのならまたましですが、一人なのですから、、、、。織田が表彰台に上らないで帰ったというのもよくわかるような気がします。
追加 今女子のフリーを見てPCを開いています。女子の代表が村主・荒川・安藤に決まっ た。 今日の大会の素晴らしさは、世界レベルの凄い演技の連続に感動した。この大会6位の安藤だけれど、総合点で3位なのだから特に問題はないと思う。ただ今まで出本人にとって最高の演技で4位になった恩田選手は、もうチャンスがないだけに残念だっただろうと思います。浅田真央は、ジュニァで優勝するでしょうし、この次のオリンピックは間違いなく出れるでしょうからこれでいいのでしょう。
今日は、平和教場の納め会。一時間早めて12時からと決められていた。しかし、酒が出るという話にはなっていなかった。車で来ないでともいわれていなかったので、車で出かけました。 一人一吟ということで、自由吟題で一回りして稽古納め。先生も一題と所望され「松竹梅」を吟じました。
納めの食事会になると、ワンカップが用意されていて、ちゃんと飲む人は車を置いてきていました。食事は、お寿司弁当、その他いろいろ用意されていました。 朝、家で「今日は12時までに行き、納め会となる」と家内に言うと、「また帰りはいの平なのですか」といわれたりしましたが、平和までバスで行くのは大変だし、早い時間から、酔っ払って帰るのも辛いので車にしたのです。
カラオケが始まりました。皆様いろいろ歌われて、私にも歌ってくださいという。用意されている曲の中に、私の最近歌っている曲が殆どないのです。それでも「柳が瀬ブルース」を歌った。皆さんの歌を聴いていて、マイクの感度が悪いのだろうと思っていましたが、歌ってみると結構な音で、楽しく歌えました。皆に褒められました。福島さんは、先生カラオケ習っているのでしょうという。毎年、新年会などでは、カラオケずいぶん聞いてもらっていたのですが、こんな褒め方をされたのは初めてです。そおいえば、先日のダンスの忘年会の「いの平」で、後から来た元木さんが、私のカラオケを、すごく上手になったとしきりに褒めてくれていたが、最近変わってきたのかもしれない。以前は、鳥羽一郎の歌なんかを好んで歌っていたのですが、この頃ムード演歌に挑戦していて、一寸変わってきているのかもしれません。もう一曲といわれたりしましたが、1月12日の新年会に沢山歌わせていただくからということで許して頂きました。
今年は、来週の火曜日、俵さんと二人の忘年会「いの平」で、まさに打ち上げと成ります。 今日、帰宅してみたら、北詩連の新年交礼会の案内が来ていた。1月8日、10時吟をやって13時から新年交礼会になるという。何かまだよくわからないので、気後れするのだけれど、やはり出席するべきなのでしょう。
昨日が冬至、ようやく冬至が来ました。冬本番はこれからで、小寒、大寒と来るのですが、今日から春に向かうのだと私は感じるのです。立春になると、春が来たぞと思うのですが、春分までまだまだ遠くても、後6週間くらいと思うと何かすぐ先みたいに思えたりするのです。これか゜まだ40日とか言うと長く感じられるのです。
クリスマスというのは、どうも私の家ではあまり縁がないのです。子供のいた頃は、それでもケーキくらい買ったのですが、特別のことをしたことが有りません。
沼田高校にいた頃、この時期農業科の生徒の実習で、鶏の燻製が作られ、先生方は割安で買わせていただけ、とても楽しみにしたことが有りました。農業科の先生は、実習室に泊り込みで燻製作りの火の番をするのです。そのお見舞いに出掛けて1杯飲んで楽しんだりしたことが思い出されます。
ダンスサークルの忘年会、13時過ぎに会場に着いた。あまり人数が多くない。今将に始まるところ。私が到着したのを待ちかねたように始まる。
ビール、ジュース食べ物一杯、私は一応昼食を取っていったので食べ物にはあまり手が出ない。ビールを頂く。私はビールに弱いところがあって、酔いが早いのです。カラオケが始まりました。皆様どんどん歌っていられるのですが、ビールが利いて、私は声が続かないので1曲で遠慮しました。
結局、17時30分に打ち上げになったのですが、2次会で、「夢の中」というカラオケ、ダンスのできるところへ行くという話しになった。この話の出るまえに小野さんに終わったら寄りますからといっていたので、皆様に悪かったのですが、まっすぐ「いの平」に行きました。店には佐藤悦さんが指定席にいて、もお一人星置の佐藤さんがいられた。間もなくダンスの2次会に行かなかった中鉢さんと、鳴海さんが来た。話では三浦さんが一度家に帰って出直してくるという話。
そんなことで、飲んで歌っていると、三浦さんが元木さんとやってきた。鳴海さんがハイヤーで帰るのに良かったら途中まで乗せていきますというので、9時頃一緒させていただいて帰るつもりでいたのですが、9時少しまえに、高橋るっちゃん、首藤さ、林さんが入ってきた。それで鳴海さんには、一人で帰っていただきみんなのお付き合いをした。
結局、11時少しまえに帰宅となった。 沓澤さんが、いの平にビールを私に飲ませてといつて、置いていっているとの話だけど、焼酎にしてビールは飲まないで来た。出来れば来週の火曜あたり俵さんとの忘年会をしたいものです。
年末にはかならずこの話題が出る。私にとっての10大ニュースとなると難なのだろう。一寸整理してみる。
1、象堂流を退会し、碌峭会を立ち上げ、北海道詩吟連盟に加盟したこと。
2、東聖堂先生の逝去。これが1番かもしれない。
3、詩吟の教場創立20周年記念吟詠大会を開催できたこと。東先生に本当に出 て欲しい 大会でした。でも東先生の奥様からの志などで、新しい会の会旗を作 ることが出来ました。
4、田中和夫さんとの出会い。「残響」胸像移設期成会の活動に触れさせていただ いたこ と。これは「いの平」のお陰といっていいのでしょう。随筆で6本くら いブログに書きました。
5、管理指定者制度にからむ手稲文化協会の在り方で、いろいろ動かざるを得な かったこと。それでも、一定の方向を見つけ出せるところまで進めることが出 来たのは、よかった。
6、PCを光回線に変更したこと。これPCがすぐ立ち上がるかと思ったら間違いで した。でも、PCでテレビが見れるのは便利です。折角つけたビデオレンタルの 方は殆ど使わない、時間がないのです。
7、趣味で、プロ野球ロッテが、国内の図手のタイトルを獲得となる優勝をした ことです。新しい交流戦の優勝、パシフイックリーグの優勝、アジヤ選手権優 勝、何と凄いことでした。
8、我が家の屋根の改良。東側6尺の方屋根の雪が落ちないので、自然に落ちる ようにと、傾斜をややつけ、軒先にルーフヒーターを入れたのです。50万を 越える出費と成りました。
9、義兄二人が、相次いで病気に成り、おまけに、義姉たちも入院の繰り返し。
10、詩吟でも、佐々木さんの回復が見込まれなく、中野さんも半年以上の入院 中、そして小野さんが倒れる。でも新しく、平和の大坊さん、第二の中村八重子さんと期待の新人が入ってきたことは嬉しいこと。また、新しい北詩連の資 格審査で第二の中村さんが3回連続短縮合格、全道大会での菊地さんの入賞、 入ったばかりとしては、結構な結果だったといえるのでしょう。何とか十大ニュ-スが見つかりました。