手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲は最高・・・群馬だより

2024-11-08 14:53:06 | 無題

   今日はフイギュアスケートのnhkf杯が放送される。なにか忘れかけていたものに出会う感じがして、楽しみに見学しょうと思っている。

羽生君の活躍したあの頃の熱気が冷めているけれど、鍵山君という有望株が出てきていて楽しみだ。女子の坂本さんはよく頑張ってくれている。体格が

フイギュア選手らしくない感じがあるのだけれど、基本的技術では他の選手を圧倒するものを持っていて、目下敵なしの状態だ。

ロシヤが参戦できない状態では、日本が特に目立ってきている。楽しみです。

 

 

 

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手稲は最高・・・群馬だより

2024-11-07 19:12:41 | 無題

群馬に来て3年め。太田市の住人として過ごしている。できるだけ早く群馬を知りたいと思いそれなりの努力をしてきた。ただ車を持っていなく、娘に

載せてもらっての行動だから制限があります。太田以外では、足利学校と足利フラワーパーク、県庁の13階建てビルデイングを見たくらいです。

太田市の見どころは、新田の荘に関連して、展開されている新田と徳川の足跡をたどることにつきそうです。どうやら外郭をつかみましたが、もう一息

突っ込んでみたいと思いつつも、体調が崩れとていて実行できないでいます。

 また太田はスバルの大工場があります、大きすぎて取り付きずらいのですが、戦時中から今日に至る歴史的流れと、市内に展開される工場群をこの眼で確かめ

てみたいと思ったていますが、大きすぎて取り付けません。他に高山彦九郎旧館も見ておきたいと思っています。

群馬は温泉の地でもありますが、上毛三山・温泉群を車で一回り出来たらうれしいなと思っています。

ようやく梅雨時も終わり冬日和の続く季節となりました。何とか思い切って三山方面へのドライブを娘にねだってみうかと思ったりしています。

 

 

 

 

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手稲は最高・・・群馬だより

2024-11-06 16:11:41 | 無題

   今年はと張り切っていたのに、5月ころから不眠症?に襲われ体力をすっかり落としてしまいました。9月ころにPC]の宣伝でエコンザイスムQ10という

自律神経を安定させるというサプリメンナトを取り寄せ使いだしたら、眠れるようになりました。でも、元の体力に戻ることはできないまま、しかし

寝ることに苦労はしなくて済んでいます。もうやめようかとも考えたりするのですが不安が先走ってやめきれないでいます。

数え年だと95歳になっている。体力の衰えは足腰に来ています。何とか食い止めようと努力をしたりしていますが、この歳で体力を増強するには無理で

維持するのが精いっぱいのような気がします。でも努力だけは続けるつもりです。

 持病の肺気腫も進行しています。まもなくボンベを離せなくなると思います。そうなると外に出るのがむつかしくなるのでしょう。

 今の努力以上を自分に課すのはむつかしいようです。無理をしないで今のリハビリーを楽しむことにします。

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手稲は最高・・・群馬だより・・な何枚かの写真

2023-11-07 14:09:15 | 無題

       城の内公園

 

 

 

渡良瀬峡谷鉄道  足尾銅山駅

 

   

 

 

     

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手稲は最高・・・群馬だより‥阿波踊り・・凄い!

2023-08-20 15:02:04 | 無題

you tube で阿波踊りを見ました。  凄い!!!

話に聞いてはいたけれど、実際の姿を見たことがなかった。たまたま昨日You  Tubeで本場のパレードを見せていただいた。

驚いた一糸乱れぬ、独特の着付けでの踊りは、そのリズムとともに思わず引き込まれる。

北海道でヨサコイソーラン祭りのパレードが開催されるようになり、その規模とバフォーマンスは今までにない踊りの形で観客を魅了してきていた。しかし、ソーラン節のリズムが

どう生かされているのかあまりわかりにくく、その団体の独自性が問われるようなものになっていた。しかし、阿波踊りは基本のリズムも踊りの形も全部同じだけれど、それなりの各連の

工夫がさりげなくされていて、おなし物を見ている感じにはならないし、日本ならではの一糸乱れぬ踊りは素晴らしいとしか言いようがない。このようなパレードはどこの国にもあるけれど

この阿波踊りのような質の高い踊りは見られないと思う。アメリカとかフランスでもパレードを披露したそうだけれど、あの下駄の音高く、そろいの衣装で高い手ぶりで登場したら唖然として

見ほれると思う。昔は盆踊りのようにばららばら踊っていたのだと思うけれど、今このようにまとめられた姿は世界に誇れるものだと思う。

 

 

 

 

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雨が降ったり雪になったり・・・

2022-03-17 18:57:53 | 無題

 この数日天気がすぐれない。雨になったり雪になったり。御天と様を拝めない。
 でも、雪は積もるより減っていっている。春への橋渡しなのです。このいやらしい天気が過ぎると本格的に春の景色になるのでしょう。
 ウクライナの報道を見ながら、ソ連=プーチンがとても憎らしく思えてます。人としての血を持っているのでしょうか。あれは戦争といわない、侵略無差別侵略攻撃です。今の時代に侵略攻撃を仕掛ける???信じられない。
 ウクライナの人を全員殺して、勝利とさけぶのでしょうか? ここまでの経過を見るだけで、プーチンの威信は地に落ちている。でもまだこの職をソ連の人たちはつづけさせるのでしょうか。もしもそうなるのなら、その時は世界の孤児になってもらわなけばならない。共産党独裁政治の本質見たり!!!という評価はいやおうなしにされると思う。あの民家人の住宅や学校・病院を無別に木っ端みじんにしているあの写真をソ連人に見せてあげたい。
何満人もの人民が国外に避難しているさまを見てもらいたいものです。ウクライナの大統領は自分の命を捧げても、共産主義独裁政治の本質を世界に知らしめようとしているのじゃないでしようか。国民もみんなついてきている。
 そんなソ連です。北方領土の返還など全く考えてくれないのが当たり前なのでしよう。むしろこのウクライナ問題が大きな転換の契機になってくれたらと思ったりしています。 
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時の速さ・・何もしていないから

2021-04-08 19:08:51 | 無題

時の流れの速さをよく嘆く。90近くなってから特にそれを感じるようになった。今日は4月8日だ。もう四月八日なのだ!!!
令和3年ということも念頭から消えてゆく。2年であろうが3年であろうが関係なくなっているのです。
時の流れの速さを、もうそんなにたったの!!! 早いね・・・なんて言葉は聞き飽きるほど聞くし、自分でもそう感じている。
今の自分を見つめてみると、早いはずです。何もしないでいるのですから、時間を意識する必要がほとんどない。
突然今日は何日の何曜日?と聞かれると確信をもって答えることができない。自分の前に立ちふさがる何物もない中に身を置いているのだから。
生きている意味が無くなっている。何かを成し遂げようとすれば、時間との勝負みたいになり、時間がほしいと思い、時間に追われながらの時の早さを嘆くのと違う。
この時間をもう少し生きる楽しさにしたいけれど、肺気腫で体を思い切り使うことができないし、さらにコロナの蔓延は人との交わりを締め付けている。
独りで詩吟を時々するけれど、声が出なくなっている。詩吟は声が勝負みたいなところがあるけれど、今やそんな挑戦はやりたくてもできなくなっている。
何もしないで時の早さを嘆くのは楽だけれど、人生といえない・・空虚な生き物の姿、 しかし、私の人生はまだ完結していないはずなのだ。


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おしやべり・・・村橋久成の胸像移転

2021-03-18 19:54:13 | 無題

 残響の田中先生と中村晋也先生の出合い、高橋知事の知事就任あいさつをきっかけに鹿児島の中村記念館に収納されていた村橋の胸像の札幌移転期成会が立ち上げられて2005年の9月に移転が完了したのでした。
 残響で村橋を鹿児島の人たちの前に立ち上げたのです。これまでうすうす知っていた親戚の方たちも、行路病者として亡くなったことに、むしろ恥じらいを感じていたようなのです。それが、素晴らしい活躍の姿が明らかにされ、鹿児島と札幌に村橋会が設立され、胸像設除幕式には鹿児島市長を始め多くの鹿児島の方が参加されていました。
 東京に建設予定だったビール工場を札幌に変更させ、ビール醸造士中川清兵衛を技師として雇い、サッポロビール工場を完成させたのですその完成祝賀記念の折、ビール樽を横済みにした樽の底に「麦とほっぷを聖すればビールという酒になる」という文字を書かせ写真に撮ったのです。その写真は今も残されています。/div>
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おしゃべり・・・村橋久成の「残響」

2021-03-15 19:18:52 | 無題

 つづき・・・「残響」の作者、田中和夫先生は国鉄の車掌さんでした。勤務の傍ら国鉄北海道文学で文芸活動に関わっていて、たまたま「北海道史人名事典」で村橋久成の記述に出合ったのだそうです。そこが出発点で残響の中身の調査に入ったようです。尊王攘夷の旗頭のような薩摩が、薩英戦争に負け、その直後、英国に青年17名を留学させていたのです。もちろん国禁を破ってです。その中に村橋も入っていたのです。しかし、村橋は1年で帰国していました。
 田中先生が残響を書き上げた頃、鹿児島大学の中村晋也先生(日本芸術員課員)が鹿児島駅前に「若き薩摩の群像」という彫刻を作り上げたのです。しかし、その中に居る村橋の活躍は知る由もなかったのです。
 田中先生が「残響」を上梓し、鹿児島県知事に贈呈すべく出向かれた時、たまたま中村先生もお出でになりここで田中先生から村橋のことを聞かされ、田中先生が小説で村橋を送りだしたのなら私は胸像で村橋を世に出そうということになり、田中先生が手に入れた一枚の写真をもとに、村氏の胸像を作り上げ、中村先生の美術館に展示してあったのです。
 
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おしやべり・・・・・・村橋久成

2021-03-14 15:43:58 | 無題

 先日、村橋久成について思い出の端くれをかきましたが、たまたまご覧になられた何人かの方がつづを希望されましたので、少しおしゃべりしてみようかと思います。
 村橋は札幌ビール工場を完成してこれからという時に突然辞職し行方不明になり行路病者として見つかったことを書きました。ここをもう少し詳しく言いますと、辞表を出し行方不明になり、10年後に神戸で行脚僧の姿で倒れているのが発見され、神戸新聞に行路病者村橋久成という広告がて、それを昔の仲間が見つけ葬儀を行い送ったのだそうです。のちに残響の作者田中先生は村橋のお墓を探したところ八方手を尽くしたが分からず、最後に当てもなく東京の青山霊園に電話をしたら「正七位村橋久成墓」の存在を確認でき、さらに実のお孫さんが健在であることが分かりお尋ねしたところ、葬儀の香典料人名簿が残されておりそこに名前を連ねていたのは元開拓使長官の黒田清隆を筆頭に明治新政府の要人となっていた方たちがずらり名前を連ねていました。
 村橋久成の胸像が知事公館の西門から入って左側にたられていています。この胸像を鹿児島から移転したのですがそれにまつわる話が、とても感動的な野で次におしゃべりしてみます。
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