表題にした句は、私の好きな「峨眉山月歌」の起句です。「峨眉 山月 半輪の秋」(がび さんげつ はんりんのあき)と読み下されています。中国語ではどうなのかわかりませんが、この訓読はとても素敵です。
この句を意味を大切にして読むと「峨眉山 月 半輪の秋」(がびさん つき はんりんのあき}となる。比較したら、詩と散文の違いになる。「詩」特に定型詩の場合は音数律がとても良いリズム感を生み出すことになる。
私たちが詩吟で扱う漢詩は訓読された、日本語の詩になっている。しかし、昔、漢詩をこのように訓読した先人は素晴らしい人だと思います。中国の近体詩(絶句・律詩・排律)は、音数律が五言(2+3)七言(4+3)となっていて更に、4は2+2となり3は1+2または2+1の構成になり、基本音律は2語とし奇数は間合いを作ることになっていて、これは日本の歌の基本的音数律と同じ構造になっています。即ち短歌を例にとると、5・7・5・7・7・という音数律になっている。5音、7音と奇数になっていますが、日本語の場合、二語1拍のリズムで、一語は半拍となり、各連に一語の半拍があり、それが間を生み、心地よいリズムを作り上げているのです。
「峨眉山月」を「峨眉+山月」と訓読させるのは、、漢詩の音数律を重視することと日本語の音数律を調和させ「がび さん げつ はん りん の あき」と6拍半になっています。この時半拍の「の」が大切な役割をしていることに気づかなければなりません。ここで半拍の余韻を込めることで主語の「秋」が強く浮かび上がるのです。 このように漢詩を日本語のリズムに近い形を考慮しながら訓読しているのです。
この句だけでいえば更にア音が頭韻的に響いて更に素晴らしいリズムになっていると思うのです。
日本語の美しさは古語に在るといわれます。力強く、しかもリズム感のある古語、それを一番よく受け継いでいるのが詩吟だと思います。定型詩から自由詩へ、演歌からポップスに、時代とともに変化、音楽の世界も大きく変化しています。時代の流れでどうにもなりませんが、何か私には寂しいものを感じさせてくれます。div>