゛踊る阿呆に 見る阿呆 どうせ阿呆なら 踊らにゃ 損 損!!” 阿呆といわれようと踊らなくちゃ… と待ち焦がれて踊る それが盆踊りだった。
北海道では「北海名物数々あれどよ それさね盆踊りよ」とかという北海盆歌があるように、盆踊りは北海名物だった。とはいうものの北海道に移住してきた方たちが
阿波踊りなどを参考にアレンジした単純な踊りで誰でもが簡単に中に入って踊ることのできるものだった。田舎では特に娯楽がありませんから、年に一度の盆踊りは
待ちかねていて、あの盆太鼓が゛初秋の夕暮れに聞こえてくると老いも若きも・・・小学生まで大人の中に入って踊ったものでした。その盆踊りがすたれていくのですが、
少子化と関係もありましょうが、それよりも青少年育成の観点から 子供が夜出歩いたり、あの卑猥な歌などが平然と歌われる盆踊りを踊ることはよくないということから子供盆踊りなるものを
作り、夕方6時ころまでに踊りを終わらせるように指導がされた。少子化の進む中で子供盆踊りは盛り上がらなく、さらに親は子供を家において踊りに出かけることもできず、
盆踊り自体も衰退てししまいました。そしていつ間にかみんなの盆踊りでなく、見世物の盆踊りへと質が変わっていったように思われます。
私も小学生のころから盆踊りに取り付かれているみたいに楽しみました。それも20代の中頃まで終わりました。田舎の部落の盆踊りは次第に衰退し、地域の祭りの出し物のように
なり、それもあまり盛り上がらなくなりました。お盆になり、夜風に乗ってどこからか太鼓のの音が聞こえて来ると郷愁をおぼえたりしたものでした。
内地では各地に特色のある踊りがありますが、これらももとみんなが踊り楽しむものだったのでしょうが今はいろいろな団体(連)に別れ、それぞれの演技を競うようになっている
ように見えます。先日書きました阿波の阿呆踊りの素晴らしさはここから出てきたのでしょう。