手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

明日から9月になる

2018-08-31 20:04:06 | 無題


 8月が終わった。8月が終わった・・何かあっただろうか? 夏の暑さに音を上げることもなく、何もしないうちに月日が飛んで行った。

 9月からは少し実感の伴う毎日になってほしいものです。とりあえず明日は花園世紫弥君の15周年記念で詩吟を一つやることになってる。頑張らなくちゃ。2日は北詩連の資格審査会で二日続けて教育文化会館に行くことになる。3日は碌峭会の詩吟、4日は福祉センターの詩吟。17日の手稲神社のお祭りに奉納吟をすることになっている。23日はお彼岸、お寺参りに行かなくちゃならない。

 10月の北詩連全道大会、手稲文化協会の文化祭、その出演準備がのしかかってくる。11月にも二回大きな大会があるから気が抜けない。

 こんなことで9月からは息つく暇もないほど多忙になる。そんなことに追われているうちに今年も過ぎることになるのでしょう。

 仕事とは言い難い趣味の詩吟関係で頭を悩ませるだけのことなのですが、体力が減少していて、考えるだけで疲れるこの頃なのです。肺気腫が進んでいて気管支賀細くなっているのでしょう、声が詰まって思うような声になってくれない。詩吟は肺気腫のリハヒリーにはなってくれるものの、今やまともな声が出なくなっている。つらいところです。
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入れ歯での苦労

2018-08-30 19:50:17 | 身辺雑記
 今自分の歯は下の5本くらいです。入れ歯の苦労は長いこと続いている。今年の春ころまで数年間とてもいい状態で経過してきました。 ところが下の義歯の歯茎がやせて、ゆるくなったので、見てもらいに行きました。直ぐに調整してくれて、やれやれと思ったら、上の義歯かなり古くなっていますから、新しく作りませんかと勧められた。確かに古くなっていますし、少し緩んで、粘っこいものを食べたりするとはづれることが結構多くなっていたので、作ってもらうことにしました。

 一応できて、使いながら調整してきて、もう三か月以上かかっているのですが、駄目です。先月一応完成したと思ったのですが、使ううちに不都合な箇所がいくつか出てきた。医者からは、不都合があったらいつでも来てくださいと言われているのですが、9月1日に教育文化会館で詩吟を一吟やらなくちゃならないので、何かゆっくりした気分になれず、古い義歯をつけて我慢している。かなり大きな手直しをしてもらわなければ使い物にならないように感じるのです。食事の時にひどい違和感を感じる。フイット感はあるのですが、かみ合わせが、特に前歯の部分で、ちょっとした手直しでは駄目な感じなのです。9月に入ってからゆっくり調整するか、新しく作り直すかじっくり見てもらうことにします。今まで使っていたのもこの病院で作ったものでこの時はこんな苦労なしに住んだのでした。それなのに、今回は何ともひどい、最初に出来て合わせたとき、ひどい出っ歯になっていたのですが、そのあたりの作り方が抜本的に狂っているのかもしれません。どんな風に説明すれば゛いいのか困っています。
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涼しい夏でした

2018-08-29 19:04:33 | 無題

 内地では猛暑がつづいて、さらに台風に襲われたりで大変なのだけれど、北海道は涼しい夏になった。もう少し暑い日が来るかと思ったけれど、涼しいままに秋になっている。日照時間が記録的に少ないらしい。例年ならまだまだ取れるキュウリとかトマトがさっぱり収穫できない。まだこれからもいくらかは取れると思うけれどトマトは終わったみたいだ。また馬鈴薯は茎が゛全部枯れてしまった。掘ってもいいのでしょうがもう少し土中で眠らせておくことにします。

 ササゲだけは食べきれないほど育っています。秋大根20本ほど取れそうです。

 こんなこと書くと元気そうに思われるけれど、休み休みやっとの仕事なのです。それでも少しでも収穫のできるのは楽しい。運動にもなっていないのです。そのままにしたらたちまち草畑になるでしょうから、しかたなく老躯に鞭打っているのです。

 
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福祉センター 詩吟  

2018-08-28 19:05:44 | 詩吟関係
  
 福祉センター詩吟、今月はお盆休みが入ったので第4週の今日も教室でした。今日は14名の参加となりました。今日教室があることを忘れている方がいたのだと思います。今まで一度も欠席心かった五十嵐さんが来ていなかったのは多分失念でしょう。でも、新人の二人今日も来ていました。

 前半「絶命の詞 黒沢忠三郎」をやりました。 「辞世の詞」と読み替えてもいいのです。桜田門外の変に加わった水戸藩脱藩の士です。「幾歳の妖雲一旦晴る」をこれは何をたとえているのですか?と質問してみました。きちんと答えてくれました。「正に是れ桜花の好時節」について、何日で何が起きたの?と質問してみました。3月3日、桜田門外の変の確認です。そのうえで旧暦だから、今の4月中頃になるのでしょうと補足して、「桜田門外血は桜の如し」について、積もっていた雪が血に染められている、この季節外れの雪が、この変を成功させることになったことを確認しました。そのあといつもの通り 独吟をやってもらいました。

 最後少し時間があまりましたので、日曜の「西郷どん」の、薩長同盟について質問もいれながら話してあげました。決裂寸前の薩長同盟を結び付けたのは?と聞いてみたら、"伊藤博文"といってくれた方がいた。伊藤が何かしたんだったよね・・というと、薩長からの留学生の写真を見せたのだと説明してくれた人がいました。私も知らなかったことで、一番感動させられたところでした。しっかり見てくれている人がいたのです。維新以前、それも薩長同盟も成立する前に、尊王攘夷の最先端を走っていた、薩長は若者をイギリスに留学させていたのです。

 後半は「舟由良港に到る 吉村寅太郎」をやりました。 吉村寅太郎については話したいことがありすぎて、少し話し過ぎたと思います。土佐勤皇党に属し、脱藩して尊王攘夷の活動に加わり、寺田屋事件でとらえられ土佐へ護送される途中の作だということと、天誅組の乱・・・これが討幕の最初の戦いになることだけをもう少し手際よく話すべきだったと思う。この頃、覚えているはずのことが、話し始めるとなかなか頭に浮かんでこないでもたつくことが多くなった。話をするためには今はしっかりメモを作って行くべきだと自覚しました。
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手稲神社祭典奉納吟  私は「川中島」をやることにする

2018-08-27 19:37:58 | 詩吟関係


 9月17日手稲神社秋季例大祭の後祭り、11時20分から30分碌峭会が奉納吟をすることになっている。これで10年近く出演しているのだと思いますが天気に恵まれないことが多く、一度は土砂降りで、屋内開催となり観客のない状態で吟じたこともありました。昨年も雨だったのですが、それでも傘をさして結構な方が聞きに来てくれていました。今年はどんなことになるのか、今から心配です。

 私は「不識庵機山を撃つの図に題す」・・川中島・・を吟じることにします。詩吟といえば、「鞭声粛々・・・」とすぐ返ってくるくらい有名な詩ですので初めて吟を聴く人にもわかり易くいいのではと思いながら決めました。11月の末に手稲文化協会の年忘れ演芸会があります。この時、後半で稲穂吟友会と組んで 構成吟をやることになっているのですが、物語性を省いて「日本史を飾る一駒」といった題で、歴史を飾る詩を幾つか選んで、組んでみようかと考えています。20分と短い時間ですので絶句6題くらいしかやれないのでしょう。
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西郷どん  「薩長同盟」  感動した  

2018-08-26 19:46:52 | 無題
 今日の西郷どん「薩長同盟」だった。先週は竜馬の仲立ちで桂と西郷の会見が実現するはずの処、西郷の都合で約束を破り、桂を激怒させる結果となっていた。今日はそれを受けての、同盟成立の場面だった。形だけの同盟の中身は誰もが知っていることだけれど、それほど単純に成立したとは思えない。また、ほとんどその経過をのぞくことをしないで来ていた。

 激怒させた桂(木戸孝允)と再び会見できるようになるまで、又会見の中身などについて、どこまでが事実なのかわからないけれど、最後同盟が結ばれる仲立ちとして薩長両藩からイギリスに留学生が派遣されていて、その青年たちが対立を乗り越えて共にイギリスて学んだ折の写真が有ったことに驚かされた。

 薩摩からイギリスに7名の青年が送られたことは知っていた、長州からも留学生が送られていたことは知っていたが、同じ時期同じイギリスだったったことは知らなかった。維新以前に薩長両藩が西洋に青年を送っている事実を注目したい、攘夷の最先端の二藩が西洋に青年を留学させていたのです。攘夷ということの意味を正しく理解しなければなりません。更に討幕へと進む薩長に武器を売り込んだイギリスの下心のようなものも考えてみる必要があります。また、戊辰戦争が始まり、錦の御旗が薩長の側に立てられたのを見て、徳川慶喜は海路江戸に戻り討幕派との全面戦争を放棄してしまいました。また勝海舟と西郷の巨頭会談で江戸城無血開城へと進む戊辰戦争の成り行きはあまりにもうまく出来ているように思う。しかし、これが最良の選択だったのですね。あまりこのあたりを論じているのを知らないけれど、これは徳川慶喜の最後の選択のような気がする。
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来週の土曜は教育文化会館で吟じます

2018-08-25 19:15:34 | 詩吟関係
 先週の土曜日はサンプラザでの大会で「新涼書を読む」を吟じました。来週の土曜日は花園世紫弥さんの15周年に出ることになり、「夜 坐 藤田東湖」を吟じることにしています。この詩は象堂流に所属していた時に、石崎先生が吟じたのを聞いて、感動し、その後北詩連に加入してから一度ある先生の会に招待されて吟じたことがあのます。教室では何回か教えてきています。

 徳川斉昭の側近として活躍し、彼の尊皇攘夷思想は維新の志士たちに大きな影響を与えたといわれる。皇室からの密勅事件で斉昭公は永蟄居となり、東湖も蟄居を命ぜられた。この詩はその蟄居の中で作られたものです。猶東湖は安政の大地震で家がつぶれ、母を救おうとして自分が梁の下敷きになって死んだとといわれます。 象堂流にいたとき東湖の長詩「述懐」を感動しながら吟じた記憶があります。

 一見、静かな抒情詩のように見えますが、この詩を作ったときの彼のおかれた状況などを勘案すると、抑えた表現の中に身命を賭しての憂国の情がほとばしっているのです。私はこの詩を強吟調で吟ずるつもりです。
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文化協会の年忘れ演芸大会の用意をしなければならない

2018-08-23 20:07:28 | 詩吟関係
  手稲文化協会には手稲に私の会ができてからすぐ加入して活動してきている。最初のころは手稲文化祭だけの出演だったのだけれど私が文化協会の事務局長を引き受けてから、文化協会が文化祭だけの活動というのも寂しいと思い、チャリティの伝統芸能祭を立ち上げた。  
 伝統芸能祭は文化協会所属の日舞、民謡、詩吟、筝曲、謡曲の団体が出演し、6年ほど続いた。一つの壁に突き当たったのは、日舞が各団体の先生方が、古典舞踊を中心に発表していましたが、古典を鑑賞できる観客の層ではないことが、重荷になった。それで発展的に解消して新しく、舞踊の会を立ち上げ、舞踊以外の芸能団体で年忘れ演芸会をやり、3月にカラオケフェスティバルを開催することにしたのです。

 ところが、舞踊の集いが舞踊人口の減少などで辛くなり、カラオケの賛助出演をもらう形になりました。又、年忘れ芸能祭もやや花に欠ける向きがあり、途中から日舞の先生方で参加しても良いという方の参加をいただくことにしました。更にカラオケも参加いただき総合的な演芸会になりました。

 そんな文化協会の活動の中で詩吟も文化祭、年忘れの二回参加することになります。このほかに北詩連の大会が三回控えています。ほかに私の会は手稲神社の祭典奉納吟にも出していただいていて、ほかの団体より出演回数が多く多忙を極めるのです。来月の10日くらいまでに出演演目を決めなければらないのですが、結構面倒なのです。年忘れでは稲穂吟友会と組んで 構成吟をやる予定で、その構成が私の役目になっているのです。とにかく急がなくちゃならない。
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詩吟  指導者がいなくなっている

2018-08-22 19:08:04 | 詩吟関係
  
 かつて詩吟の盛んだったころは、独特の声調を誇示し一派を作り上げる方も多かった。今や、一派を立ち上げるに必要な会員の獲得もむつかしい状況でもあるし、さらに個性的な吟者、指導者がいなくなっている。

 詩吟会員の減少が吟力の低下へと進んでいるように思う。また、会員の減少と伴奏楽器(コンダクター)の普及、各種コンテストの採点基準などに縛られて個性的な吟が抑えられてきているようにも思う。指導者も個性を表立たせず、標準的な吟法を探っている。個性的な吟となると、アクセントが違うという難点が付きまとう。又「渡り」などは許されない。流派による特徴が昔は際立っていたけれど、今は標準化されて来ている。西洋音楽的な発声法、標準語としての正しい発声、洗練された日本語のリズムなどが求められているように感じる。ここまでくると詩吟もきちんとした譜面に統一して、声楽的な研修をするしかなくなりそうだ。

 民謡という芸能がある。これは方言がまかり通り、言葉としての拍数などはその曲,曲によって違ってもしっかり認められる。その曲の個性をとことん認めている。詩吟ではより美しい日本語が求められる。このことは個性的と相反するところがある。民謡的な発想で個性的な吟を求めても、コンテストなどでは問題にもされない。資格審査でもはじかれる。やっぱり声楽的な評価が付きまとうのでしょうか。

 今詩吟の指導に当たっている先生方で声楽の勉強をしてきている人が何人いるでしょう。とても難しい。純粋の音楽としての評価は私にはできない。どちらかといえば詩吟は民謡に近いのだと思う。そうすると、もっと幅のある吟が認められてもいいのかもしれない。審査基準に声調があるはずだけれど、この点の評価の仕方などについてもう少し検討しあうことが必要に思われる。指導者の資質の向上、更に個性的ということについて、許容範囲とかも話し合ってみることが必要かもしれない。
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福祉センター  詩吟 17名参加

2018-08-21 19:29:16 | 詩吟関係

  お盆休みで中一週間空きました。何か久しぶりという感じ。先月から来始めた新人二人も来てくれました。  

 前半は「出郷の作 佐野竹之助」、初めに桜田門外の変について少し詳しく話してあげました。特に尊王攘夷にかかわる水戸藩の役割?について触れてあげました。吟はみんなとても上達しています。聞いていてとても楽しい。そのあたりのカラオケのグループの楽しみとは全く違う楽しみがにじみ出ています。漢詩というなじみにくい題材が、老年の皆様でも新しく学問に立ち向かう喜びとなっていることを、教えながら感じています。生涯学習としてこんなに素晴らしい対象があるのです。

 後半は「絶命の詞 黒沢忠三郎」をやりました。これは桜田門外の襲撃者の一人で、辞世の詞でしょう。桜の節句、桜田門外、折からの雪を血潮で桜模様を描いたと結ぶこの詩に、志を全うした作者の誇りがあふれているように思います。

  こういうことを書くのは本意でないけれど、残念なことによく出会う。数日前のプグラムの中に児島高徳の小学校唱歌が引用されていた。その中で「微哀(びあい)をいかて聞こえんと」とかかれていて、歌も(びあい)と読んでいたから、全く理解できないままでいるのに驚いた。確かに「微衷」(びちゅう)は、「微哀」(びあい)と似ているけれど、意味は全く違うわけで、凄く残念に思った。このような間違いがとても目につく。組織のあり方とか現状とかでも、いつの間にか間違いが正当化されていたりする。演歌あたりならどうでもいいことかもしれないけれど、詩吟の世界は学問の世界に近いだけにあまり学があるとは言えない私でも凄くつらくおもう。間違いがあっても気にしない、見てみないふりをする、それが利口な生き方なのかもしれないけれど、「腹ふくるる思い」になる。

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