手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

思い切ってタイヤ交換をやった  午後パソコンと格闘

2014-10-31 19:39:11 | 身辺雑記
  朝、結構暖かかったので8時半過ぎからタイヤ交換をやった。ゆっくりゆっくり時間をかけて何とか30分ほどで終わった。終わってから空気圧を見てもらいながら給油をしてきた。空気圧を見てくれたスタンドの従業員からこのタイヤ交換しなければなりませんねと言われた。まだ大丈夫と思っていたのだけれど、年数がたちすぎているということだった。今のタイヤは2009年のものでスタッドレスは3年くらいで交換するのが普通らしい。私の場合そんなに走りませんのでまだ摩耗している気がしないのですが、ゴムの柔軟性が失われ制動が悪くなっているのかもしれません。もったいない感じだけれど本格的な雪になれば考えることにします。

 パソコン二階の8、調子が悪くなっていたのを娘に診てもらい回復したのですが、また変にしてしまった。回復していたと思ったのだけれどまたおかしくしてしまった。昨日、ノートンのインストールをしながら終わらせたのですが、今日使おうとしたらオフィスが抜けてしまっている。新しく立ち上げるのにひどい目にあった。

 夕食後使おうとしたら今度は立ち上がらない。マイッタ。
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ソフトバンクホークス日本一!!!

2014-10-30 21:13:13 | 野球
 今決着がついた。9回表、1アウト満塁で西岡ファストゴロ、バックホーム2アウト、キャッチーの投げたファストへのボールが暴投になったように見えた。ヤバイと思ったらなんと打者西岡がアウトの判定でゲームセット。どうしたのかと思ったら西岡が守備妨害、ラインの内側を走って一塁手の守備を妨害していたのだ。

  変な幕歯切れだったが、しかしよく守りきったものだ。パシフィックのフアンだから嬉しかった。

 秋山さんおめでとう!! 退任を飾れましたね・・・・。
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議員の秘書の政治資金収支の記載不思議だ

2014-10-29 19:11:16 | 政治
 議員の多くは支出は秘書に任せていいて、あまり点検することはないのだろう。しかし、政治資金規正法に引っかかりそうなものは当然その処理について秘書と連携するはずだ。しかし、秘書の責任として知らなかったという場面が多い。先日のSMバーには驚きを通り越した。こんなのが政治活動費として通用するかどうかは、どんな馬鹿な秘書だって判断出来ることなのだ。政治資金収支報告書が見られることはわかりきっているはずだ。見られないとでも思っているのだろうか。みっともない日用品まで政治資金でだ購入している。政治家としての報酬は我々とは比較にならないのだ。それにもかかわらずそんなものを政治資金の中から支出するとは、驚きだ。秘書がもう少し心があれば私費からの支出としてもらう配慮ができるはずだ。議員も提出する報告書がずさんで、大臣を辞職したり議員バッチを外さなければならなくなるひとをみてきているのだ。ならばしっかり点検しなければならないはずだ。秘書を頭から信用して、点検しない。信用されているはずの秘書がこんなことが公表されたらとんでもない恥ずかしいことだくらいわからなきゃならないだろう。

 政治資金の扱いで俎上に上がるのは大臣となった方が多いけれど、点検されないで済まされている議員も多いのだろうと疑いたくなる。

 こんな恥ずかしいことをしている議員は即座に辞職すべきだ。議員も支払いは秘書任せにして、払っておけと命じるだけで、必要な私費を渡していないこともあるのじゃないだろうか。または、秘書がとても気が利いて規制の枠に入らないと勝手な理由をつけてこんなものまで政治資金として処理しているのか。

 でも、大きな収入は必ず収支報告がなされるはずだし、それを点検しないでいることは民間の団体では考えられないことだ。

 これだけの大金の扱いについて公認の会計士とかを使うこともしないのだろうか。国の大臣がこんなことで辞職しなければならない、それで本望ですか。襟を正せと言われ続けている。判り切っていてやるのだから弁解の余地はないのです。
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北大定期健診  午後カラオケ

2014-10-28 19:31:14 | 身辺雑記
 肺気腫の定期健診、と言っても普通の健診、聴診器、血圧、飽和度の検査だけ。特別のことはありません。飽和度が98といつもより良かった。薬を処方しいてもらう。北大の支払いのシステムはすごい。とても早くてありがたい。支払の手続きはあっという間に終わる。精算は自動支払機です。順番待ちの間に院外処方の薬をもらってきて、すぐ精算して帰ることができる。

 11時過ぎに帰宅。午後雨が降っていたけれどこんな日はお客も少ないだろうと思い出かけた。雨なのですぐ横に駐車のできる店に行きました。それでも先客が4人いました。一寸びっくりしたのは、Kの常連で昔から顔なじみの方がここに二回目と言ってきていたことです。

 人数が少なくて楽しく歌ってこれました。でもマイクの調整が声の低い方向きに調整されていて、私には使いにくく残念でした。

 夕方、ブラジルのトメアスに定住している義弟から、アマゾン日本人移住85周年記念「合同句集 樹海」が送られてきました。ベレンの句会「アララ会」とトメアスの句会「大河」の合同句集なのだそうです。さっと目を通してみました。ブラジルへの移民当時の苦労は遥か彼方になっているようです。しかし、にじみ出ている苦労の跡、望郷の想いが胸を打ちます。

 ブラジルにこのような句会があることは素晴らしいことです。日本人としての証をここに求めているのだと思います。早速お礼の手紙を書くことにします。

 
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手稲第一教場  今日は時間延長で教えました

2014-10-27 18:56:01 | 詩吟関係
手稲第一教場は月曜日が稽古日。月曜日は祝日代休で休日になることが多い。

 今まで大きな大会の翌日、休みにしていなかったのだけれど私がどうしても懇親会に出席しなければならなく、二次会まで付き合うものだから月曜が少し辛いのです。それで大きな大会の次の月曜日を休みにしてもらえないかとお願いしてみました。ほぼ了解いただけたのですが、たまたま11月の稽古日になって困りました。3日が祭日、9日が西支部の吟詠剣詩舞の集いですから次の10日大会明けで休日、さらに24日も振替祝日の休みになります。すると17日一回しか稽古日がなくなります。一部の方から12月の審査大変だという声が出ました。それでみんなが良ければ3日の祝日も稽古日にしてもいいですよと話していたのですが、すると、何日か稽古の時間延長をして稽古をする日を作ろうという話となった。今日はその延長稽古日でした。また3日私はやってもよいと言っていたのですが、皆様の中では徹底していなく、逆に教場長が手配して教室の予約をしていました。結局来れる人だけが来て稽古することとなりました。

 本日、延長はしましたけれど一時間延長で皆様も疲れてきたので終了しました。でも一時間余分にするとかなり余裕のある稽古ができます。大きな大会の前には二回くらい時間延長をすることにしようかと思ったりしています。

 今日は初心者の二人にかなり時間を割いてあげました。とてもよかったように思います。

 ただ、24日の文化協会の年忘れ演芸会の出演女子はあてにできなくなりました。ちょっと寂しいけれど仕方がありません。私の至らなさでしよう。今まではこんな思いをしたことが無かったのだけれど、どこかづれてきているのだと思います。簡単には修正できないのだと思います。指導者のつらさです。
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収穫祭みたいな売り出しに出かけきた

2014-10-26 20:13:48 | 身辺雑記
  今日はホクレンショップの大売り出しがあった。9時開店。例年大混雑になる。漬物の野菜とか越冬用の野菜などが売り出される。9時10分ほど前に着くように出かけました。いつものように行列のできる売り出しになっていた。家内が東京の姉に馬鈴薯を贈りたいということでそれを目玉にして出掛けた。馬鈴薯も随分種類のあるのに驚いた。果物なども割安で出ていたので二種類ほど購入してきた。その他ついつい買ってきた。

 午後からのど自慢を見てから一寸迷ったのだけれど、先週カラオケに出かけなかったので行くことにした。日曜に出かける何時もの店に行くつもりで、何時ものように何時もの駐車場に車を停めて手稲駅に上がったところで思いがけない人と出会い、その方がいつも出かけている店に一緒させてもらうことになった。先客が三人いて結局五人で楽しむことになった。これくらいの人数はありがたい。店はもっとお客が来てほしいのでしょうが、10人となると50分に一曲となって、待ち時間が長くて嫌になる。私は三時間で帰ることにしていますので、三曲くらいで帰ることになることが結構あります。これは少し辛い。今日は7曲くらい歌ったと思います。

 夕食後、軍師官兵衛を見て先ほどまで野球を見ていた。最後まで見たかったが、家内にテレビを譲りブログに向かった。

 タイヤ交換の時期になっているのだけれど、どうも今年は自分で交換するのが億劫になっている。かなり体に負担がかかるのです。30分くらい時間をかけてゆっくりやればできないことはないのですが、こんなな気持ちにさせるだけ体力が無くなっているということです。あんな簡単なことなのにスタンドなどに持ってゆくと3000円以上かかるのです。どうしよう・・・。

 
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「胡坐」を組めなくなっていた

2014-10-25 20:15:17 | 身辺雑記
  この数年「胡坐」が組めなくなっていた。和室の時は正座をするしかなかった。それでも特に気にしなしいでいたのだけれど、これは紛れもなく体の柔軟性が無くなった結果なのだ。

 歩くのにも膝が上がらず、躓くことも多くなっていた。肺気腫が進行して歩くのがつらくなっている。総て肺気腫の故と考えていた。

 体のリハビリーを考えたことがなかった。ただパークゴルフで歩くのはいいリハビリーだと思って出掛けていた。それも最近は大儀になってきていた。

 先日からふと「胡坐」を組めるようにしてみようとやり始めた。その努力の結果最近は何とか胡坐を組めるようになってきた。膝関節と腰の関節が硬くなっていたのがだんだん柔らかくなってきている感じがする。

 胡坐を組む稽古のついでに身体を動かし、ささやかだけれどリハビリーともいえないだろうがリハビリーらしいことをしている。心持ち歩くのが楽になっているように思う。

 年齢は体の機能を奪う。それを少しでも遅らせるにはりはびりーしかないのでしょう。それも継続しなくちゃならない。

 内臓的には詩吟がいいリハビリーになっていると思う。体の柔軟性を保つための努力、その一歩に「胡坐」を組むことを実行してみることにします。
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西郷南洲の構成吟のナレーションを作りながら「残響」の村橋久成を思い出して

2014-10-24 18:47:36 | 随想
  今、構成吟「西郷南洲をしのぶ」のナレーションを作っている。その中で戊辰戦争が鳥羽伏見の戦いで始まり、函館五稜郭の戦いで終わる所にきて、「残響」の村橋久也のことを思い出した。

 維新の動乱の中で、島津久光公の上洛、「生麦事件」の賠償問題などで薩英戦争が起こり、その結果、薩摩とイギリスの関係が深まり、そんな中薩摩藩は7名の青年をイギリスに留学させることになった。その中に村橋久也はいたのだ。しかし、村橋は1年で帰国し、薩摩軍に加わり、五稜郭の戦いではその講和交渉の中心として活躍したのを思い出した。また、戊辰戦争で庄内藩との講和を進めたのが黒田清隆で、黒田は西郷の命に従って、庄内藩の恭順を穏便に終わらせて大変感謝されたのだということも知った。その黒田の下で維新の北海道開拓の重要な使命をうけ、北海道開拓に多大な功績を遺したのだった。とりわけ、ビール工場立ち上げを政府が意図したとき、ビール工場は札幌にすべきと上申して現在のサッポロビール工場を設立したのだ。設立されて間もなく村橋の消息は分からなくなった。それが数年後神戸で行路病者として倒れているのを見つけられる。その時名乗ったのが村橋久也という名前で、新聞に「行路病者村橋久也」として知人に連絡する記事がで、それがきっかけで黒田清隆をはじめとするしか政府の薩摩関係の方たちにより葬儀が執り行われたのだといいます。

 サッポロビール工場史の中にも村橋久也の名前が残っていなかったといいます。それが、この「残響」で明らかとなり、今はサッポロビール向上に村橋久也記念展示がなされています。

 この「残響」を改めて評価したのが現知事の高橋さんです。知事着任の折、「残響」の村橋の意思をくみ北海道の進展に尽くすといったことがきっかけで改めて「残響」村橋の名前が表に出て、名古屋大学中村信也先生が、残響の作者田中先生と会い、村橋の話を知り、村橋の胸像を作ってお持ちになっていたのですがその胸像を北海道に移そうという期成会が立ち上げられ。数年前の9月23日、知事公館西入口から入ってすぐのところに移転され、「残響」という銘をつけて、今も厳然と立っています。

 村橋が消息を絶つにいたった理由は知る由もないけれど、ビール工場は設立間もなく、きわめて安い価格で民間に払い下げられたのです。それを知っての失踪でした。これが村橋の新政府に対するただ一つのできる抗議だったに違いありません。北海道の為、命がけで作り上げたビール工場が道民の財産として開拓時の北海道に大きな利益をもたらすものと信じていた村橋の新政府への抵抗は総てを捨てことだったのだと思う。

 ちなみに明治新政府の役員(多くは薩長)は、空いた大名藩邸を殆ど無償で手に入れていったのです。村橋はそのようなところにも手は出さなかったようです。







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ドラフト会議  日ハム 有原投手を引き当てた  ロッテ単独中村内野手を獲得

2014-10-23 18:45:14 | 野球
 例年ドラフト会議はドラマがある。最近は指名拒否する選手はいなくなった。これが当たり前なのだ。私はロッテのフアンだからロッテを注目していた。昔、指名拒否に会っていた球団はロッテくらいだったように思う。でも最近は拒否する選手もいないのだから対等に有名選手の獲得に乗り出すかと思ったら、単独の可能性が高い中村選手を指名、単独獲得ができた。どんな選手か知らなかったけれど、アマ球界NO1内野手という。外野もこなすマルチ選手という。投手には注目されていた京都大の田中選手を取った。西武の岸に似た選手だという。期待してよいのじゃないだろうか。

 日ハムはもっとも競争の激しかった有原投手を引き当てた。これは大きいと思う。日ハムやや層が薄い感じだったので、この補強は心強い。安楽投手は楽天が引き当てた。この投手は将来性がある。去年の松井に続いて楽天は素晴らしい選手を取った。何かパシフイックがよかった感じだ。

 
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84歳の秋も終わる 

2014-10-22 20:27:47 | 無題
 1830年生まれ、84歳です。改めて思う、よくここまで生きてきたものだ。

 日中戦争が始まった昭和12年が小学校一年だった。その後太平洋戦争を見てきた。学制が変わる節目を生きてきた。旧制の最後で、新制の最初を歩いてきた。戦中派の最後でもあるのでしょうか。

 定年退職してから24年、いつの間にこんな月日がたったのだろうと不思議な感じがする。退職後、詩吟の先生として今日まで来ている。お弟子さんの数もすべて合わせれば50数名になるのでしょう。よくここまで来れたと改めて思ったりする。この先、どうなるのか、これは計ることのできるものではない。天意に任すしかないのです。

 そんなに悠長にはしていられない時間になっているのだと思う。特別さしあたって考えることもないと言えばないのですが、もう少し気楽になってもいいのかと時々思う。東京オリムピックの年は90歳になるのです。出来れは見てみたいという願望はある。退職からの年月を思うと、これからの6年くらいはわけなく過ぎそうだけど、そうなる保証もないのです。

 詩吟を続けていますが、ただ教えるだけなら特別のこともないけれど、各種大会などに参加させることで気を使うのが結構きつくなっている。

 先日あるお弟子さんが、自分の会として独立してはどうですかと何気なくおっしゃっていたけれど、本当に詩吟をやりたい人と一緒に詩吟を楽しむ教室というのもありかもしれない。

 今年は大会等の参加で本当につかれた。あんまり気張らない方が好いのだと思う。会としての何かプライドみたいなものを守りたい気持ちが働き、会員にも無理を言っていたのではと思ったりする。もっと余裕のある、無理のない参加の仕方を考えて行くのかよいのかもしれない。

 年賀状の季節になっているけれど、同年代の方の多くは、かなり絞ってきているようだ。私は年賀状だけででも付き合いたい思いで、ほとんど会う機会もない人に年賀状を書いていた。そろそろ大胆な削減の時期に来ているのかもしれない。今年の年賀の最後に今年だけにしますと書く人を作ろうかとおもったりする。
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