1930年の4月2日生まれ・・・勘定しやすい。
昭和5年というと、勘定に困る。4月2日というのがやや気になるのだ。本当は3月末の生まれではないのかと思ったりするのだけれど、そのように聞かされたことは無い。
父が私の小学校1年のときに校長に成り、複式の小さな学校だったから、父が担任になった。私は、出席番号は一番だった。小さいときは何も不思議でなかったが、段々わかってきた。父は要するに私を1番にしたかったのだ。それで生まれた順番で出席番号をつけていたのだ。
こんな親心ってどんなものなのだろう。父は私を先生にしようと決めていたようだ。小学校を卒業するとき、予科練に行きたいといったら、駄目だといって、師範学校に行きなさい、師範学校を出て兵隊に行ったら士官になれるからという。それを聞いて納得していた。
その父の願いを結局かなえたのだから、まあ親孝行したことになるのだろう。いつの間にか、父の亡くなった歳にしっかり近づいている。
先生にはなったけれど、校長にはなれなかった。字を書かせても、人前でしゃべらせても、私は父の側にも寄れない。
それでも、時代が違うということもあるでしょうが、私の歳のときの父とは、比較にならないだけ私は多忙な日を送っている。充実しているといえば言えるのでしょう。
今こそ、毎日を大切にしなければならない。それが親孝行なのでしょう。