5月晴れというのが暫く無いまま皐月が去る。
いろいろあつて、5月も過ぎた。昨日、私にとって面白いことがあった。
先週に、北詩連札幌西支部の支部便り(毎年4~5回総務部長が作成発行)
を各会に配布した。A43ページで出したのだが、最後スペースを埋めるのに、徒然草の150段「堪能のたしなまざる・・」を使って、自分に才能が無いとか思って引っ込む人に、積極的に一生懸命努力すれば、才能はあるものの、才におぼれて適当にやっているものよりもきっと上手くなり皆にも認められるのだということを書いた。あんな支部便りです、読まない人も多いのですが、是が意外なところで、「やあ!やあ!」という話になった。
昨日、ある大会があって出席し、手稲に戻っていわば仲間4人で二次会をやった。その中に、私の前の総務部長さんがいるのです。何時もいろいろ世話になっているのですが、いろいろ話している中で、その先生から、「支部便りに徒然草を引用していましたね、同じところを、私も支部便りに使ったことがあるのですよ、同じようなことを考えるのだと嬉しく思いました」といわれた。ひょっとして私も読んでいて、忘れていたのかもしれません。全く前任者が同じところを使って記事を書いていたなどとは露知らず、初心の人を励ますような気持ちで、穴埋めに書いたことが、同じ思いで、同じようにやっていた事を知り、でも、徒然草を使える人もいたということは嬉しいことなのです。
話しは変わりますが、今晩孫が来て詩吟の稽古をしていきました。そして晩飯も食べて帰りましたが、食事のとき、娘が孫から聞かされてびっくりしたという話し、それは「百人一首」の歌ってすごいのがあることを知って驚いた」という話しなのです。
これは、2月に私が支部研修会で、和歌の鑑賞をやりました、そのとき、孫はプロジェクターの操作の手伝いをしたというかさせたのです。そのときの和歌の中で西行の和歌の鑑賞のとき、教本で取り上げてはいない和歌、「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる吾が涙かな」という百人一首の歌を参考にあげて、この歌は恋の歌なのだと説明しました。多分、そんなことが引っかかっていて、百人一首を調べたのだと思う。そして、驚きの発見、平安貴族の、恋の嘆きの歌などを読んで驚き、それを母に話したのでしょう。でも、 高校3年の孫が、学校の国語で勉強したのではなく、自分で勉強したりしているのはとても私にとっては嬉しいことです。
百人一首を文学として、歴史として、楽しんでくれる、それも詩吟が縁なのだと思う。こんな発展をしてくれるのは嬉しい限りだ。