手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲は最高・・・群馬だより・・ 金山城

2024-06-05 15:47:00 | 身辺雑記

群馬に来て間もなくから近くの山に城があるという話に接していた。そしてその山が金山ということもわかったが、一連の山のどれが金山なのかわからないし、だれの城なのかも

わからないまま過ぎていた。ただ新田義貞に関連するのかと尋ねたら、新田義貞の神社があるという。とするとやはり新田にかかわるのだと推測される。しかしよくわからないまま

地名に城西というところがあるのは金山の西だからなのだろうと想像しても、確信が持てないまま過ぎていた。新田についてもう少し知りたいと思っていたころ、世良田東照宮のそばに

新田荘歴史資料館があることを知り、世良田東照宮にお参りをして、ついでに新田資料館を見てこようと思って出かけ、思いがけない収穫を得た。

 その一つは新田が徳川の出自となること、さらに金山が新田の流れの岩松家純氏が築城し新田の荘をまとめ、後、由良氏がそのあとを引き継ぎ戦国の乱世を占領されることなく

潜り抜けてきたことを知りました。 

 金山がこの時代では当たり前の山城で堅固であったこと、新田の荘が新田の名前が表に出ないまま金山城主によって支えられてきたのを知りました。

さらにこの時、世良田東照宮が徳川三代将軍家光公により創建されたことを知りました。新田の荘資料館と一体の場所にこの二つのが建立されいる理由も理解できました。

その後、金山城跡ガイダンス資料館を見学し、金山城の一片を見学し、その強固さを想像しました。

金山という言葉をもとにこんな展開になり、新田義貞の理解が深まったことに驚いています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最・・・高群馬だより・・ デイサーヒスに行っています

2024-06-04 15:50:17 | 身辺雑記

群馬に来たのが92歳、北海道でのこれまでの生活はコミニテイにも恵まれ楽しかった。それが一気に知り合いのない土地に住まうことになり、戸惑った。

そんな中で、年も年なのでディサービスの世話になり、その中で7失われた人とのつながりを求めてみようと考え、太田市内のいくつもの施設を見学してみた。しかし、

私の求めているものを満たしてくれるような施設はない。何とか決めた施設も結局自分の努力の結果に待つしかない状態で、私の希望は勝手すぎたようです。

とにかく決めたのが゛テイサービス「reスタート」で現在も世話になっています。半日コースと全日コースに分かれていて、半日コースで世話になることにしました。

趣味的なものは求めようもない、半日3コースのトレーニングです。20数名の参加者が三班に分かれ、1) マシン 2) レッドコード 3) リハビリー、フイッネスのどれかから順次

35分間のトレーニングを積ませていただきます。特にハードとは言えず、体操の延長線のようなトレーニングです。この間、私語を楽しむ暇はなく仲間意識を深めるような

ことはあまりできません。何せ初めて顔を合わせた方ばかりで、年齢は幅広くまた当然それぞれの方の職歴もわかりません。仲間意識を求めることが無理なのです。

身体状況もまちまちで、車いすあり、カートあり、身体不自由の方も多く、日常の運動不足を少し補う施設といってよいのかもしれません。一日コースの方は、入浴のサービス

とかマッサージのサービスも受けられるようになっています。どちらかといえば一日コースの方のほうが身体不自由度の重い方が多いように見えます。

私は家内と二人で半日コースへ週二回世話になっています。顔なじみにはなりましたが新しい友達が出来たということにはなりません。そこまで行けないのがこれらの施設なのだと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最高・・・群馬だより・・

2024-06-03 14:55:48 | 身辺雑記

群馬駅北口の広場に新田義貞の像がある、初めて見たとき、小学校で学んだ「稲埼将軍の剣投ぜし古戦場」という歌を思い出し、将軍が群馬の人だったことを知りうれしくなった。

そして群馬での新田義貞について少し理解を深めたく思い始めました。そのころ道路標識に「足利」とあるのを見て、足利尊氏の出身地がすぐ近くなのだと知りました。とてもうれしく思いました。

足利尊氏の足利学校が見れるということと、義貞と建武の中興にともに活躍した人ですから義貞をさらに理解する手掛かりになると思ったからでした。

間もなく足利学校の見学に連れて行っていただきました。この時まで、足利学校は、足利尊氏の藩校と勝手に思っていたのが間違いと分かりました。

それにもまして、学校という表札がはじめて日本で使われたのがここだとわかり、あの表札の重さを感じました。しかも時代は平安時代にさかのぼるのもに驚きとでした。

この見学を契機に足利尊氏と新田義貞か親戚だということをしり、しかし、鎌倉幕府とのつながりは全く違っていて、中興成立後、皇室にさら反旗を翻し、室町幕府創立に向かう

尊氏と皇室に背くことなくついに福井で倒れた義貞の姿に何か重たいものをかんじる。

この一連の流れの中で義貞が150騎で倒幕への出陣の旗揚げをしたのが、生品神社で現存することを知り、義貞が最後に住まったのが反町で、今は堀が現存するが、邸宅は

すでに神社になり面影すら見ることもできなくなっているのを見学してきました。さらに、新田義貞神社が金山に建てられていることを知りました。さらに、新田氏は群馬県太田市の

大半の荘園主だったようですが、義貞公がこのよう結果となった後を同じ新田の血統となる岩松氏が金山城を建て、新田の荘をまとめ、そのあとを由良氏がつい゛戦国の動乱を

潜り抜けて行ったようです。        ・・・・  新田義貞の銅像をきっかけに私の新田への理解が深められていく過程が、群馬での生活の深まりでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県太田市に住まって三年め

2024-06-02 13:31:28 | 身辺雑記

  群馬に来て群馬を知ろうと思った。 群馬の太田がスバルの工場のある処とは来る前から知ってはいたが想像以上の規模であることが分かった。これは論外として、最初に知ったのが

「大光院」だった。別名「呑竜寺」、この名前も気に入ったが、創建者が徳川家康だと知って驚いた。この後、太田が徳川と深くつながっていることをしり、さらに新田との関係などを知り

世良田東照宮に出かけることになった。そのつながりの中で、東照宮が日光だけでなく、徳川家康を神として祭る神社で各地に在ることを知った。ここで、大光院が徳川家康の創建で

あること疑問が解消した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しばらくの無沙汰 お詫び

2024-06-02 12:59:09 | 身辺雑記

随分ご無沙汰しました。  何と生きています。   元気ですといいたいのですが、体が寄る年波にさらされてきています。

群馬に来て3年目の夏を迎えています。昨年までは新しく挑戦した群馬の生活で知りたいことも沢山あり、その話題を追って結構楽しく過ごしたのでしたが、

一通り、めぼしいところを見て回り一段落したら、追及するものがほとんどなくなってしまいました。新しく求めるものがなくなり、思考が空白になったところで、老化現象が

体を削りだし、思わぬ体体調変化にさらされています。 詳しく書くのは遠慮しますが、いわば老人病というようなものでしょうか。

身体的ダメージの回復に努めているうち前向きな目標が見当たらなくなってしまい、体調の変化と絡まり、なんともうっとうしい生活に陥っているのです。

そんなことでブログを書くこともおっくうになっていたのです。そんなことを言って現状を放棄すれば、楽かもしれませんが、それは生きる意欲の欠如でしかないのでしょう。

書くことで、この現状と対決するにしてみようかと思い出しました。どこまで頑張れるかわからないけれど、挑戦することにします。  お笑いください・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最高・・・群馬だより・・群馬県庁.32階展望台より上毛三山を

2024-05-01 10:00:12 | 身辺雑記

    三年前群馬に転居してきた折、まず知りたいと思ったのは赤城山を中心とした上毛三山だった。

だが転居先太田からはその雄姿を見つけることすがとても難しかった。最初に赤城山を確認したのでしたが、赤城山という独立した峰を想像していたが

赤城山は無くて赤城山系であることが分かった。しかしその赤城山系は太田からもきれいに眺められ、楽しく眺めてきていました。いろいろな人に榛名山、妙義山

がどれか尋ねても全く判然としないまま来ていました。

先日、群馬県庁が32階建てで、32階が展望台になっさているという話を聞き、出かけてみたのでしたが、よい天気なのに、山が霞に包まれていてその姿を見ることが出来なかった。

先週、足利のフラワーパークに行った帰り、とお道になるけれど足を延ばして前橋の県庁にもう一度行きようやく念願を果たすことが出来ました。結果、赤城山がひとまとまりの

山系であるのと同じに榛名山系、妙義山系となることをしりました。以下、山の写真を並べてみます。

                赤 城 山 系                                                                                                                                       榛名山系( 左側の峰が榛名富士です)

 

                    妙義山系

 榛名と赤城の間からは浅間山が雪を被って眺められました。また県庁の真下を利根川がうねっていました。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最高・・・群馬だより・・ 足利のフラワーパークに行ってきました

2024-04-27 09:39:01 | 身辺雑記

昨年は少し遅れて出かけましたが、大変感動させられました。今年もパークが開園になったと聞き、25日の木曜日、朝7時半に家を出て目的地へと向かいました。

渋滞になることもなく開園時間に到着し、2時間ほど見学してきました。写真を並べてみます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最高・・・群馬だより‥ 新田義貞居館跡

2024-03-06 10:22:03 | 身辺雑記

以前生品神社にお参りしたとき反町館跡の存在を知り、その帰り一度立ち寄ったのですが、何か見たりない感じがしていたのでもう一度行ってみました。

この大きな楠は、650年の歴史を見めてきたものです。   傍に素晴らしい藤棚がありその外が堀になっています 。 藤の咲いたときもう一度来てみます。         

                                                             

                                                                 

                                     この堀は当時のまま残されたものといいます。藤棚と楠が覆いかぶさっています。

                                                                                反町館跡案内版

 

 

 

          

                                                                                                                                          

    
           

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最高・・・群馬だより‥ 群馬の来て間もなく2年

2024-03-02 14:10:33 | 身辺雑記

5月になると群馬での暮らしが2年になる。 早いものですね・・群馬の生活になれましたか?と聞かれたら「まあ まあ・・」とか答えるのしよう。
群馬県太田市・・いいところです。でも、生活を楽しんでいるかと問われると、楽しんでいますとは答えられない。気候も素晴らしいし、周囲の環境も面倒なこともなく、ショッピングなども
困ることがない。ただ、徒歩で用事を足すことがむつかしい。遊びにも行けない。車のない年寄りには何もできない辛さがある。娯楽施設が分散していて、どこにカラオケとかパチンコとかがあるのか
見当もつかないし、たとえ分かっても車なしには行くことがむつかしい。大抵の町だと停車場の近くにそんな歓楽街があって、楽しめるのですが、この太田市は駅の近辺に 娯楽施設の集中する繁華街が
ない。また、先に住んでいた札幌では、各区ごとに老人福祉センターがあり、いろいろの講座が用意されていて楽しめたがそのような施設も見当たらない。
昨年、四輪の電動カートを福祉サービス機関から貸借したのてーだけれど、このカートで行動できる範囲に私が楽しめるような娯楽施設はほとんど見当たらない。おまけに太田市の道路は歩道のないところも多く、
カートでは進むことがむつかしいところがたくさんあり、道路事情に疎い私たちでは思うようにカートを走らせることが出来ない。そんなことで折角のカートを楽しむこともなく過ごしています。
雪のない群馬の生活、この年寄りにはありがたい。夏の暑さは閉口するけれど、家の中では困らないし、空っ風は残念だけれど、北海道の雪の辛さを知っている私にはあまり問題にならない。
この歳ですから、いろいろの病気に取り付かれ、病院通いも大変ですが、娘が車で連れて行ってくれるので問題なく来ています。とても助かっています。
これから夏に向かうのですが、体調をしっかり整えて、もう少し生活にゆとりのある人生にわたし自身をシフトしてゆきたい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手稲は最高・・・群馬だより・・ちょっと気になること

2024-02-14 19:55:39 | 身辺雑記

群馬の暮らしにようやく慣れてきた。一番つらいのは夏の暑さと、空っ風・・ 群馬で今住まっている太田市は天候にも恵まれているように思う。うっとうしい曇りの日が少ない。
雲一つない青空が広がっている日が多い。ただ青空が広がっていても、空っ風が吹いているときは散歩もつらい。でも買い物などは娘の車で出かけますから気にならない。
内地の植物の多彩さに驚いている。樹木も知らないものが多く、また覚えようにも覚えようがない。これから花を咲かす木々がたくさん現れるけれど、ほとんど名前がわからない。
歴史のある土地ですから庭の植え込みまもよく手入れのされた素晴らしいものが随所にみられる。また、柿とか蜜柑がたわわに稔っている庭を見るとうらやましく感じる。
畑を見ると、野菜がとても冬と思われない勢いで育っている。一年中、玄関先に草花が鮮やかに育てられたりしていてるのも面白い。
今年は、木々の見分け方を勉強してみようかと思う。
夏の間は見えなかった浅間山の雄姿をマンションのベランダから眺められるのも面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする