坊さんが ドライヤー買い 毛根を 焼き尽くしてる 人間世界
*これが大火だ、という作ですね。真似できそうで誰にもまねできないこのわざがたまらない。痛快だ。
毛がない坊主がドライヤーを買う、などという発想は誰にでもできそうだが、含める意が強い。これは要するに、何でもあるつもりで何もない、という意味なのだが。
ツイッターではわたしもこのあとに思わず解説をつけてしまいました。こういうのでしたね。
一本もないのに、ふさふさしてるつもりでドライヤー買って、返って毛根を焼き尽くしてしまった坊さんのような、馬鹿な人間の世界であることよ。
つまりは、この世界は何でもあるように見えて、何もないということなのです。それは、ほとんどの人が嘘をついているからです。
ご承知のように人類史は恐ろしい暴虐の歴史でした。この暗闇の世界を突っ切ってきた人間は、誰もがきつい罪に染まっている。恐ろしい影を背負っている。そんな自分に嫌気がさしている人間は、嘘でもきれいな人間になりたいと思い、総勢で嘘をついているのです。
本当の自分を生きている人などめったにいない。なりたい自分、などという言葉を転がしながら、嘘で作った自分を生きている。
見栄えをそれらしく磨いて、化粧のような自分の設定を塗り重ね塗り重ね、時々ちょろりと出てくる自分の正体をごまかしている。
そんな小手先のごまかしをするたびに、本当の自分がとんでもない馬鹿になっていくということを、ハゲがドライヤーで毛根を焼く、などという愉快な表現で表したのです。
実際、嘘で作った自分をしつこく生きていけばいくほど、本当の自分はつかれはて、すり減っていくのです。そしていつしか、自分の中の大切なものを壊してしまい、そうなるともう二度と本当の自分にはもどれなくなる。
馬鹿な人間たちは、なんにもないのに、なんでもあると思い込んで、やればやるほど馬鹿になるということを、嬉しそうにやっているのです。