おほぞらは 神のすみかか 青深み そこひもしれぬ 心ぞ見ゆる
*「青深み」は「青が深いので」と訳します。「み」は接尾語で、形容詞の語幹などについて、原因、理由を示す語を作ります。
「空高み」といえば、「空が高いので」という意味になります。文字数が少なくて大きい意味を載せられるので、覚えておくと便利ですね。
大空は神のすみかだろうか、青が深いので、底も知れない心が見えることだ。
確かに、神はよく空にいらっしゃいます。そういうことも、もう感性の開けたあなたがたにわかることでしょう。空があきれるほど深く、高く感じるときなどには、空に神がいらっしゃることが多いのです。
昔は、神などいないのだとか、いてもはるかとおい次元を超えたところにいるのだとか、そういう考えが多くありましたが、今ではわかる。神はいつでも、すぐそばにいてくださるのです。
人間をいつも見ている。そして人間のためになんでもしてくださっている。
それはとても大きな、ありがたい愛なのです。
神はわたしたちの御親です。神が、わたしたちをつくってくださったのです。それゆえにその愛はあまりにも深い。わたしたちを誰よりも深く愛してくださる。
その愛を、馬鹿にしてはいけません。愛を馬鹿にしすぎると、神の愛をも馬鹿にしていることになる。そうなればもう、神の愛の限界を超えることもあるのです。
人間は悪さをしすぎると、神の堪忍袋の緒をちぎってしまうこともできるということを、覚えておかねばなりません。この時代、本当にそんなことをしてしまった馬鹿な人間が相当にたくさん出ましたから。
あまりにも大勢の人間で、ひとりの美人をいじめるなどということをしたら、神の愛の限界も破るのです。美女は人類を救うことを夢みて、貧乏な生活に耐えながら、懸命に努力していたからです。
人類を救うことは神の夢でもあり目的でもあります。その手助けをしていた天使を馬鹿にすることはもはや、神を敵に回すことなのです。それを馬鹿はやり切ってしまった。ゆえに、馬鹿は人類の救済を邪魔する敵対分子になり果ててしまったのです。
やり直すチャンスは何度も与えられていたが、それも全部無視した。ゆえにもう、彼らは神の愛の下にある世界にはもう、いられなくなったのです。
空を見ればいつもそこにいた、あの美しい愛の中で、生きることはできなくなったのです。